腐令嬢、濁さず
本校舎は、休みでも警備や見回りによって厳重に保護されている。けれどもろくに機材を置いておらず、使う生徒もあまりいない旧校舎は割とガードがゆるい。
そのため我々は「誰にも見られず侵入から脱出までをこなす」というファーストミッションをあっさり達成できた。
いや、めっちゃ怖かったけどね!?
夜の学校なんて、オバケの活動拠点に決まってるもん!
何度か影や物をオバケと見間違えて、心臓止まりそうになったよ。帰りもあそこを戻らなきゃならないのかぁ……超やだ。イリオスには小バカにされるし、本当にオバケ出ても助けてくれなさそうだし、何なら私にしか見えないってパターンもありそうだし。もぅまぢムリ……。
しかしオバケの仲間入りしないためにも、死亡エンド回避に向けて行動せねばならない。
祭りの開催地である商都は、学校からそれほど遠くない。どこぞの家の猫に似たデブ猫面の下で半泣きになりつつも、私はイリオス・イン・オッサンヘッドと共に商都に急いだ。
異世界のお祭りといっても、風景はモロ日本の縁日そのもの。何たってこのゲームのコンセプトは『乙女にこどももおとなも関係ない! 誰でもキュンキュンできる乙女ゲーム♡』なのでね。金魚すくいや射的やわたあめ作りなどのミニゲームができたりもする。
幸い、人は多かったもののぎゅうぎゅう詰めというほどではなかった。接触嫌悪症のイリオスでも、何とか歩けるレベルだったみたいだ。それでもたまに人とぶつかりかけては変な声上げてたけど。
もうヤダもうムリと呪詛みたいに繰り返すイリオスを叱咤激励しつつ、屋台から漂う胃袋を誘惑する香りを振り切り、私はゲームでリゲルと攻略対象が出会う場所――商都南側にある水車広場に向かった。
水車広場はその名の通り、アステリア王国を流れる河川の側に水車が設置された場所の一つである。サイズとしては小規模で、噴水公園の噴水もここから動力を得ているんだとか。
水車広場には高さ五メートル、長さ十五メートルほどの煉瓦造りの橋があって、ヒロインは遠目からそこにいる攻略対象を見付ける。
『あれ、見覚えのある顔が……。お祭りに来たのかな? 声をかけてみよう』
この時に選択肢はなく、真っ直ぐにそいつのもとへ向かうというのがゲームの流れだ。
橋の近くにまで来たけれども、デブ猫面の隙間から目を凝らすも、橋の上に誰がいるのかはわからなかった。何といってもあの橋は、花火を見るには最適の場所。人が多くて、判別しきれない。
イリオッサンは既にグロッキー状態だったので、彼を置いてデブ猫ティラスは単身でその橋に突撃した。階段を駆け上るとイチャつくカップルを押し退け、小さな子にはぶつからないように細心の注意を払い、懸命に見知った顔を探していた――のだが。
「……クラティラスさん、ですよね?」
聞き慣れた声に名前を呼ばれ、私は振り向いた。
「リゲル……」
私も名を呼び返すと、リゲルはアクロバティックに人波を華麗に避けながら私のもとへとやって来た。
「やっぱりそうだった! クネクネしてるのに無駄にキレのある個性的な動きに見覚えがあったから、クラティラスさんじゃないかと思ったんですよー。しかもそのお面、クラティラスさんちのプルトナにそっくりだし」
やめたって! 私も似てると思ってたけど、敢えて名前は言わないでおいてあげてたんだから!
「え、えっと、リゲル。この橋の上に、他に知ってる人はいなかった?」
「さあ? クラティラスさんを見付けて慌てて走ってきたんで、わからないです。誰か見たんですか? あたし、視力は良い方ですけど、知り合いはいなそうですよ?」
リゲルがきょろきょろしながら答える。
攻略対象は誰もいない?
リゲルは私を発見してここに来た?
ということは、つまり……。
呆然と見つめていたリゲルの顔が、光に照らされて輝いた。
「あっ、花火が始まりましたよっ!」
華やいだ声音に、重い衝撃音が重なる。
釣られるように、私は空を仰いだ。夜空に咲く光の花が、視界いっぱいに広がる。
お城のバルコニーからでは遠い景色でしかなかった煌めきは、そのまま落ちてきて自分達を飲み込んでしまうんじゃないかと思うほど近くて――その圧倒的な迫力に、私は言葉も忘れて見入ってしまった。
「クラティラスさんと、こうして花火を見るのは初めてですよね。えへへ、嬉しいな。この橋で好きな人と花火を見ると、ずっと一緒にいられるっていう言い伝えがあるんですよ」
細かな台詞は、忘れてしまった。でも、ヒロインがその言い伝えをここで出会った攻略対象に教えたことは、覚えている。
そして、それを告げた後にリゲルが浮かべる、はにかんだ可愛い可愛い可愛い可愛い、可愛いをどれだけ並べても足りないくらい可愛すぎる笑顔も。
その笑顔が、今私の目の前にある。
「え……ちょちょちょちょっと、クラティラスさん!? 無言にならないでくれます!? ここは『じゃあ攻め受けどっちやる?』って突っ込むところですよ!? やだもう、あたしったら恥ずかしいこと言った人みたいになっちゃったよぅ……」
リゲルが両手で顔を覆い隠そうとする。しかし私が彼女の手を握る方が早かった。
「恥ずかしいことなんか言ってない」
プルトナ面をそっとずらし、私はリゲルの金色に輝く目を真っ直ぐに見つめた。
「ずっと一緒にいよう。ずっとずっと一緒だよ」
考えるより先に、言葉が勝手に出た。
『ずっと一緒にいられたらいいね』
『ずっと一緒にいられるかもしれないよ?』
『ずっと一緒に……そんな未来も待っているかもしれないな』
ここでの攻略対象達は、揃って曖昧に濁していた。まだゲームの序盤だから、そこは仕方ない。
でも私は違う。リゲルとずっと一緒にいると誓う。この約束を必ず守る。彼女から教わった言い伝えを、絶対に叶えてみせる!
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