腐令嬢、歯噛みす


 自分が嫌われたのだとすれば――一つだけ、思い当たることがなくもない。イリオスだ。


 彼女がイリオスに女の子として恋をしたとすれば、どうだ。婚約者である私に、今まで通り接することができなくなったというのも頷ける。


 でもリゲルがあのキモヲタに、キュンとくるシチュエーションなんてあったか? 二人きりになることもほぼなかったし、スペックで惚れるなら一年の時点でラブが芽生えてたはずだし……なるほど、全くわからん。


 いや、三次で恋したことない私には理解できない何かがあるのかも。ラブラブする夢を見てから気になり出したとか、悲恋物語にハマって自己投影してしまったとか、NTRに開眼したとか、はたまた美鈴みすずみたいにキモヲタ属性に目覚めたとか。



「……クラティラス様」



 思考のズンドコに沈んでいたところにいきなり話しかけられ、私は飛び上がった。声の主は、ステファニ。



「失礼とは思いましたが、先回りして室内に潜んでおりました」



 どうしてここに、と私が尋ねる前に、ステファニはここにいる理由を答えた。心を読むのも先回りしたってかーい!



「クラティラス様に、お伝えしたいことがあるのです。これを」



 しかしステファニに差し出されたものを見るや、勝手に盗み聞きしたことへの抗議は喉からも頭からも消えた。



 机に置かれたそれは――――無惨に破られ、落書きやら泥水やらで汚されて原型を留めないまでに滅茶苦茶になった、私の数学の教科書だったらだ。



「え……何これ、何で」



 まさかリゲルが? と口にしようとした私を遮り、ステファニは強い口調で訴えた。



「リゲルさんが、こんなことをすると思いますか? ありえません。ナシ寄りのナシ、いいえ、完全にナシです」



 じゃあ誰が、と問おうとした私を再び遮り、ステファニは机の下に隠していた新たな品を取り出して広げてみせた。こちらも破られて汚された、体操着と上履き。私より一回り小さなサイズ感のそれらは、もしかしなくても――。



「リゲルさんのものです。最近どうも様子がおかしいと感じておりましたので、彼女の行動に目を光らせていたのです。すると人目を忍んで教室を抜け出すところを見かけ、こっそり後をつけてみたところ、彼女が校舎裏のゴミ置き場にこれを捨てるのを目撃しました」



 私の教科書だけならまだしも、リゲルが自分で自分の持ち物をこんな風に傷付けて捨てるわけがない。決して家が裕福でない彼女は、支給された勉強道具を宝物みたいに扱っていた。


 勉強も学校も大好きだったリゲルが、こんなひどいことをするはずがない!




「リゲルさんは…………いじめに、遭っているようなのです」




 ステファニの言葉に私は世界が激震するほどの衝撃を覚え、足元から崩れそうになった。



 リゲルが、いじめ?


 皆に優しくて誰とでもすぐに打ち解けられて、明るくて賢くて頑張り屋のリゲルが?



「それじゃあ、他の教科書やノートも……誰かが故意に悪戯して駄目にした、ってこと?」



 揺れる頭を押さえつつ確認を取ると、ステファニは静かに頷いた。その瞬間、私の全身から怒りの炎が噴き上がった。



「何それ、許せない! こんなひどいことする奴、全員表に叩き出してフルボッコに……!」

「いけません!」



 ステファニが声を荒らげて厳しく制止する。燃え上がる憤怒に任せて、私は彼女を睨んだ。



「何でよ? リゲルに何か落ち度があるっていうの?」


「いいえ、リゲルさんは何も悪くありません」


「じゃあ何? 仮にも一爵家の令嬢様なんだから、面倒事に首を突っ込むなんて許されないって? 上等だよ、首だけじゃなくて全身ぶっ込んでやる! 殴って蹴って頭突きして噛み付いて、この身が滅びようとも奴らを屠り尽くしてくれるわ!」


「そうではありません。クラティラス様、とにかく落ち着いて私の話を聞いてください。リゲルさんのことを心から大切に思うなら、短絡的な行動は控えるべきです」



 淡々と紡がれる音声が、激昂した脳を穏やかに冷却する。そこで少し冷静さを取り戻した私は、椅子に座って大きく溜息を吐いた。



「怒鳴ってごめん。ステファニのせいじゃないのに、八つ当たりみたいなことしちゃった」


「構いません。ヤベこれ殴って失神させるコース一択だったか? と軽く悔やみましたが、思い直して実行する前にクラティラス様は理解してくださいました」



 そんなコースあったのかよ。お前さんにマジで殴られたら、気を失うどころか命まで失いかねないんですが? 怖えな、オイ!



 ステファニも椅子に座ると、私と向かい合う形でゆっくりと言い聞かせるように語ってくれた。



「こういうことは、止めれば止めるほど陰湿に、そして過激になっていくのです。犯人を突き止めて本人に注意しても、きっと止めようとはしない。むしろその行為で、よりエスカレートする可能性があります」



 だったら確かな証拠を集めて然るべき機関に提出し、そいつらを学園から追い出せばどうかと提案してみたが、ステファニは首を横に振った。



「恐らく、リゲルさんをいじめているのは一人二人ではありません。仮にその方法がうまくいったとして、いじめを根絶するのは難しいと思われます。それどころか学園に残った者はさらに用意周到に、そして追放された者は学園の外でも彼女を狙うようになるかもしれません。名門であるアステリア学園から追放されるということは、人生を左右する大きなダメージになります。逆恨みで、家にまで嫌がらせをされる事態も起こりえるのです」



 それを聞いて、私はぞっとした。



「だ、だったら……どうすれば」

「いじめ当事者の意識を変えるしかありません」



 震え声で問う私に、ステファニはきっぱり潔く断言した。



「リゲルさんをいじめても自分達には何の利もない、むしろ損であると思わせなくてはなりません。リゲルさんは聡い方です。下手に反応すれば相手を喜ばせるだけだと察し、無闇に騒がずじっと耐えることを選んだのでしょう」



 しかし、それは裏目に出てしまったらしい。大人しくしていたせいで逆に相手は業を煮やし、結果として行為はどんどんひどくなっていったようだ。


 私の名前が書いてある教科書をズタズタにしたのも、きっとその一環。腐ってはいるけれどこれでも一爵令嬢、そんな者から借りた品を返却できない状態にされれば、これまで平静を装っていた彼女もさすがに大きなショックを受けるだろうと考えたに違いない。


 ぐぬぬ、卑怯な!

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