腐令嬢、出会う


「えー! 着ぐるみダメなの!?」

「ダメに決まってるでしょうっ!」

「特殊メイクは!?」

「当然却下ですっ!」



 幼い頃から行きつけの仕立て屋にて、私はネフェロと激しく意見を戦わせていた。



 普通の貴族のお嬢様は、仕立て屋さんがドレスを持参してお家にやってきて、その中から好みのものを選ぶのだそうな。


 しかしクラティラス・レヴァンタ様は好みがうるさいらしく、こうして自らの足で店に赴き、店内全てのドレスを網羅して最高の一枚を選ばねば気が済まないのだ。実に悪役令嬢らしい設定である。


 ところが今回に限っては、粘りに粘ったものの、私の好みは一つも通らなかった。結果、完敗の惨敗である。


 ネフェロは気まぐれお嬢様のワガママになんか付き合えないとばかりに、むくれる私を置き去りにして勝手にドレスを決めてしまった。


 いくつか試着して決定した一枚は、年齢の割に大人びたデザインの紫のドレス。胸元を飾る宝石もブルー系で統一されていて、私の青みがかった黒髪とアイスブルーの瞳によく似合う。


 綺麗だけど、綺麗じゃ困るんだよ!


 溺愛系の攻め様ですら見捨てるほどのレベルに姿形を貶めたいの!


 それでも攻め様はどんな姿になろうと愛してるよ、なんて受けちゃんに囁いちゃうもんだから我、昇天す……ってそんな妄想は今要らないの!



 ドレスのサイズ調整から装飾品のバランス至るまで細かな注文をし終えると、私達は護衛と共に乗ってきた黒塗りの車に戻った。



「……クラティラス様、どうか機嫌を直してください」



 隣に座ったネフェロが、今頃になって殊勝に謝ってくる。



「やだ。ネフェロなんか嫌い。顔も見たくない」


「気に入った品がないからといって、おかしなお召し物を選ぶわけにはいかないでしょう。大切なパーティなのですよ? 私が怒られてしまいます」



 それはわかってる。


 ネフェロは、当然のことをしたまでだ。お嬢様の目に適うものがなかったんだと勘違いして、店主のオッサンも軽くしょげてたし……皆様にはとても申し訳ないことしたと思ってる。


 でも、こっちは命懸けなんだよ! 死亡フラグをブチ殺したいんだよ!


 こうなったら、パーティ当日に大失態をやらかすしかないか。

 はあ……うまくいくかな? それよりネフェロのビリビリ騎士服姿、見たかったなぁ。



 車は退屈しか待っていない屋敷に向かって進んでいく。


 ネフェロから顔を背けると、反対隣に座る護衛の向こうの窓に、あまり見ることのない庶民達が暮らす町並みが流れていくのが映った。


 雑然とした風景が、大神おおかみ那央なおとして暮らしていた頃、よく通った近所の商店街を思い出させる。車と一緒に馬車も走ってるなんてこたぁなかったがな。



 と、ここで私は思い立ち、提案した。



「機嫌を直してほしいのなら、この辺りを散策させて。行きたいところがあるの」


「しかしそれは……」


 ネフェロの美しい翠の目が、困惑に揺らぐ。こいつってば、本当に泣かせたくなる美形だよな!



「断るなら、もうネフェロとは口を聞かないわ。他人事みたいな顔してるけど、ここにいるあなた達全員も連帯責任ですからね。そうだわ、皆で私をいじめたってお父様に告げ口しようかしらぁ〜?」


「それは困りますっ!」



 ネフェロに加え、私を挟むようにして座っていた二人の護衛と助手席の護衛、おまけに運転手までもが揃って大声を上げた。そうこなくっちゃ!



「じゃあ決まりね。私が言う場所に向かってちょうだい。もちろん、このことは誰にも内緒よ?」



 そう言って私は人差し指をくちびるに当て、小悪魔な笑みを浮かべてみせた。




 デルフィンの情報によれば、彼女は北部一般居住区の北大通りによく出没するらしい。


 アステリア王国の地理構造はとても単純で、ど真ん中に王族が住まう区域があって、その周辺に貴族が暮らす高級邸宅街、次に様々な商業施設、そして庶民達が生活する一般居住区と円を描くような構造をしている。中央に住む人ほど、社会的地位が高いってわけ。


 もちろん、商業施設のレベルも然り。王の領地に近い中央側は高級店揃い、一般居住区に近い方にはプチプラショップが軒を連ねている。


 一般居住区周辺に近付くのは初めてだ。記憶が戻る前だって、一度も来たことがない。


 興味がなかったわけではないけれど、悪役令嬢としての性が働いて、レヴァンタ一爵令嬢たる者が庶民などと関わるわけにいかない! と思い込んでいたから。


 まずは商業施設を抜けていったのだが、プチプラショップの誘惑がとにかく凄まじかった。特に、飯屋や屋台が放つザ・ジャンクフードって感じの油に満ちた香り。


 これにはやられたよ……もうね、胃が全力でゴゥゴゥ叫ぶの。うおおおお、買い食いしたいなぁぁぁ。ヤッソンのヤスチキが恋しいよぉぉぉ。


 元気良く鳴り渡る我が腹の音を、ネフェロも護衛達も皆聞かないフリをしてくれた。


 そういう気遣いはいいから、何か買うことを許してくだされよ……お腹が切ないよ……。



「クラティラス様、あちらではありませんか?」



 運転手の声に、私はほとんど毎日購入していたコンビニのファストフードを思い出して垂れかけた涎をおハンカチーフで拭き、シートの隙間から前方を見た。


 道路の片側に敷かれた歩道に、人集りができている。


 先に助手席に座っていた護衛が下りて確認に行き、それからこちらに向かって頷いてみせた。にしても護衛は全員黒服にサングラスってさぁ……いかにもボディガードやってますって感じで逆に悪目立ちしてるよね。


 ハイハイ、知ってる知ってる。この世界は、わかりやすさ重視で創られているんですもんね。



 ネフェロと運転手と一人の護衛を車に残し、私は二人の護衛を伴ってその輪に入り込んだ。クラティラス・レヴァンタ、生まれて初めての庶民世界突入である!


 護衛コンビが発する只者じゃない感に圧され、周りの人々が先を譲ろうとしたけれど、私はそれを丁寧に辞退した。


 欲しいものは、ちゃんと並んで手に入れたい。


 購入し損ねて涙を飲んだ希少な限定品だろうと、転売ヤーなんかにゃ屈しないというのが私のポリシーだったので。



「子どもが生まれたばかりなので、誕生の詩をお願いします」


「彼女と二人で星を見て感動したんです。なのでロマンチックな夜空の詩を一つ。プロポーズに使いたいので」



 などと聞こえてくる声から察するに、こちらが提示したテーマを元に即興で詩を書いてくれるらしい。


 私のテーマ? もちろん決まってますよ!



 いよいよ目の前を遮る人垣がなくなり、彼女の姿が私の瞳に飛び込んできた。




 その瞬間――私の心臓は、喉から飛び出るかと思うほど大きく跳ねた。




 金色の瞳が、眼鏡越しにこちらを見上げている。伸ばしただけといったボサボサのブラウンベージュの髪を一括りにし、痩せた体にブカブカのシャツを纏ったお粗末な格好だ。表情は、殆どなかった。



 高鳴る鼓動が止まらない。



 初めて『聖女』というものを目の当たりにしたから?

 この世界における『正ヒロイン』を前にして、圧倒的なオーラに気圧されたから?

 それとも悪役令嬢としての本能が、彼女を恐れたから?



 違う、どれも違う。


 確かにこの子は『アステリア学園物語〜星花の恋魔法譚〜』のヒロイン『リゲル・トゥリアン』の特徴をしっかりと持っている。



 けれど、リゲルは眼鏡なんかかけてなかったし、髪は可愛らしいボブだったし、何よりこんなにも『人を寄せ付けない雰囲気』じゃなかった。




 この感覚、すごく覚えがある。


 そう、あいつに初めて会った時と同じ――。




「あなた、もしやエ……」

「どういった詩をご所望ですか?」



 私の問いかけを遮ったのは、抑揚のないリゲルの声だった。



 そうだ、今はそれを問い質す時じゃない。他にも待っている人がたくさんいるし、こんなバカげた話を聞かれてはお互いに困る。



「あ、あの……恋を。恋の詩を、書いていただけないかしら?」



 震えるくちびるを動かし、私は何とかそれだけを告げた。



「恋ですね。わかりました」



 リゲルはにべもなく答え、さらさらっと紙にペンを走らせた。粗末な木箱に腰掛けた彼女を見下ろしながら、私は込み上げる悪寒にも似た高揚を堪えていた。



 どうして今まで気付かなかったんだろう。


 私がこの世界に転生したのなら、一緒に死んだあいつだって同じ境遇に陥っていてもおかしくない。だってこのゲームは、あいつもプレイしていたんだから。



 しかも、私より先にきっちり完クリしてるはず。


 高校卒業までに亜季あきにソフトを返したくて、教室でも必死にプレイしてた私に『おやぁ、まだそのゲームやってるんですかぁ?』なんて嫌味抜かして、未クリアルートのネタバレしようとしてきたくらいだし……ってクソ、思い出すだけで腹が立つ。


 だって、邪魔してくるあいつから逃げ回るのに時間食ったせいで、ゴールデンウィーク前までプレイしなきゃならなくなったんだからな!


 私が実家を離れる時に亜季が号泣してたのは、大好きなお姉ちゃんと離れ離れになる悲しみにプラスアルファで、ゲーム返してもらえなかった辛みもあったと思うんだよね!




 でも…………この子が、本当にあいつだとしたら?




 どうする? どうしたらいい?


 私は――どうしたい?




「できました、どうぞ」

「あ、ああ、ありがとう」



 詩が書かれた紙を受け取ろうと、私は慌てて手を伸ばした。


 するとその時、リゲルが聞こえるか聞こえないかくらいの音量で小さく呟いた。



「あなたとは、何だか不思議な縁を感じます。あたしのこういう勘、当たるんですよ。またお会いすることになると思います」



 再び、心臓が鋭く跳ねるのを感じた。



 勘というのは『聖女』としての第六感なのか、それとも――共に過ごした前世での繋がりを、婉曲に表現しているのか。



 あどけなく可愛らしい顔立ちながら、一切の感情を排して無垢を超え透明の域にまで達したようなリゲルの表情からは、何も窺い知れない。



「クラティラスよ。私はクラティラス・レヴァンタ。リゲル・トゥリアン、またあなたに会いに来るわ」



 私にできたのは――――自分の名を名乗り、彼女に再来の意志を伝えることだけだった。

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