腐令嬢、超常現象に遭遇す


 まさに幽霊を見たような顔、とでも形容したら良いだろうか。顔面は蒼白となり、教科書もノートも取り落とし、わなわなと震える姿は、驚き――というより、恐怖を体現したかのようだった。


 それは二月に入って間もない、移動教室での出来事だった。



「ク、クラティラス……!? あなた、何故ここにいるの!?」



 やっとのことで絞り出したといった掠れ声で問うたのは、サヴラ・パスハリア一爵令嬢。


 翡翠色の瞳は零れんばかりに見開かれ、全身の震えに連動してハーフアップにしたオリーブ色の髪も小刻みに揺れている。


 何なの、このビビり方。こっちが怖いんだけど。



「何故って、私もこの授業を取っているもの。何度も顔を合わせているでしょう? おかしなことを言うわね」


「そうではなくて、今日は……! え、あたくしの記憶違い? そんなはずは……だって」



 と、何かを言いかけたところでサヴラは我に返ったようで、慌てて周囲を見た。自分に注目が集まっていることにやっと気付いたらしい。



「ちょっと来て!」



 しかしサヴラは落ち着くどころか、私の腕を引いて教室の外へと連れ出そうとする。



「いやいや、何? これから授業が……」

「黙って付いてきなさい! それどころじゃないのよ!」



 鬼のような顔で一喝されたので、私は大人しくサヴラに同行することにした。サヴラの様子から窺うに、どうやらただ事じゃないようだ。


 何だろう、私のドッペルゲンガーでも見たとか? まさか、どっちが本物か確かめるためにそいつの元に連れて行こうとしてるんじゃあるまいな?

 うわあ、それは嫌だ。会ったら即死ぬやつやん。死亡エンドを回避するっていう一番の目的が、いきなり断たれちゃうじゃん。どうかドッペルゲンガーだけは勘弁願いたい!


 サヴラが私を強制連行したのは、彼女の教室だった。今期は三年生全員が学期末に行われる卒業試験に向け、ランク別に振り分けられた移動教室での授業となる。なので全クラスが空き部屋となるせいで、当然中には誰もいない。


 それでも私は、どこかに自分のドッペルゲンガーが隠れているんじゃないかとビクビクしながら辺りを窺っていた。そんな私を置き去りに、サヴラはロッカーから自分のバッグを取り出し、それを引っ繰り返す勢いで漁った。そして、鍵付きの手帳を引っ張り出す。



「…………やはり、そうよ! クラティラス、どういうことなの!?」



 手帳を突き出し、示されたのは――本日の日付に丸が付けられたカレンダー。いや、どういうことと言われましても。


 意味がわからず首を傾げるばかりの私に、サヴラがついに掴み掛かった。



「今日はあなたの受験日でしょう!? なのに何故あなたは呑気な顔をしてここにいるの!? 急に志望校を変えたの!? それとも受験そのものを辞めることにしたの!? どちらにせよ、あたくしは何も聞いていないわよっ!?」



 あまりの剣幕に押されかけたけれど、私は足を踏ん張り、キッと彼女を睨み返した。



「ちょっと、勝手な勘違いで言いがかりを付けるのはやめてよね! 私の受験日は今日じゃなくて来週よ! 学校にも休みを申請してあるわ! あなたが間違えているだけよ!」



 必死に言い返すと、サヴラの表情と腕からからやっと力が抜けた。



「で、でもあたくし、今朝もちゃんと確認してきたのよ? あなたの志望校の募集要項もお取り寄せしていたから、自分の受験日と一緒に指折り数えて毎日カレンダーに印をつけてカウントダウンしていたのに……そこまでして、間違えるなんてことあるかしら?」



 しかしサヴラはまだ納得いかないようで、不安げに顔を曇らせたままだ。



「いいわ、証拠を見せてあげる!」



 そう告げて今度は私がサヴラの腕を引き、隣の自分の教室に連れて行った。鞄の中に、その募集要項が記された冊子を入れてきている。それを見せれば、サヴラも安心するはずだ。



 ところが――――私の目の前で、信じられないことが起こった。



 クリアファイルから取り出した用紙には、確かに『受験日 2月13日』と記されていた。


 なのに、だ。


 ほらね、とサヴラに声をかけようとした瞬間、『1』の部分が溶けるように消えてしまったのだ!



「サヴラ、今の見た!?」



 隣で凍り付いているサヴラに、私は慌てて尋ねた。



「見たも何も……あなたの受験日、やっぱり今日じゃない!」


「そうじゃなくて、文字が消えたでしょ!? これって超常現象…………え!?」



 もう一度、募集要項に視線を落とす。『13』から『1』の数字が消え、『受験日 2月 3日』になった文字が私の目に映った。


 サヴラには、文字が消えるところは見えなかったらしい。最初から三日だった、自分は間違ってなかったと喚き立てている。



 どういうこと? でも私にはずっと『13』に見えていて、と考えたところではっとした。


 まさか、これは…………。



 こんなところでのんびりしている場合じゃない。何とかしなくては!



 サヴラがまだ何か叫んでいたけれど、私は構わずバッグを持って教室を飛び出した。どうせアホだバカだと罵倒してるだけだろうから、わざわざ聞く必要はない。


 大丈夫だ、落ち着け。まだ終わったと決まったわけじゃない。家には、受験票がある。


 今すぐに帰って、学校にその受験票の番号を伝えて事情を話せば、再試験をしてもらえるかもしれない!

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