腐令嬢、スベる


「『あの夜』……そう、クラティラスの誕生日の晩、私は彼女にプレゼントを贈るため、ひっそりとプラニティからこちらの家に戻ってきました。しかしプレゼントを置いて立ち去ろうとしたところを、クラティラスに見付かってしまったのです」



 ここまでは、伝えても差し障りのない真実である。問題は、ここからだ。



「本来ならばお父様とお母様に挨拶すべきだったのでしょうが、留学の件で揉めている最中でしたし、合わせる顔がないと思っていたのです。それで誰にも見られないよう家に入って目的を果たしたらすぐに退散しようとしたのに……ところがクラティラスときたら、しつこく私を引き止めて。お兄様、愛してる行かないでと泣きながら抱き着いて、挙句にはキスまでしてきたのですよ!」



 おい、待て! 打ち合わせとは異なる内容が飛び出てきたぞ!?



「はぁ!? ちょちょちょっと何言っちゃってんの!? 私、そんなことしてない!」


「ああ、内緒にしておくのだったな。すまないすまない、お兄様ったらうっかりしていたよー」



 全力全否定するも、お兄様は平然と受け流しやがった。マジでこいつ、腹立つ!



「ち、違うんです! お父様、お母様、私はお兄様の言うような行為などしてません!!」


「そ、そうだな……クラティラスは、まだ子どもだ。キスはまだ早い。私はクラティラスを信じよう」


「でも、イリオス殿下とは学校も同じなら部活も同じですから、キスくらい毎日余裕でブッチュカブッチュカしてるのではないかしら? ホテルに一泊して、ワンナイトおっぱい揉まれ放題だったこともありますもの。もうキスなんて稚児の戯れとしか思っていないでしょうし、私はヴァリティタを信じますわ」



 せっかくお父様がフォローしてくれたのに、お母様! 何で余計なことを言うの!?


 おっぱいは一切揉まれてないって、何度も説明したよね!?



「何!? ほ、本当なのか、クラティラス!? お前の身は、もう清らかではないのか!? 嫌だぁぁぁ! 嘘だ信じぬ! 私の可愛いクラティラスが! あの可愛いおっぱいが! 既に他の誰かに触れられた後なんてぇぇぇええええ!!」



 お兄様は私に掴み掛かるや、高速で暴走して号泣し始めた。


 ほーら、こうなるよねー。はいはい、知ってた知ってた。てか可愛いおっぱいって……慌てて目を逸らしてたのに、しっかり見てたんかい。とんだドスケベ紳士だな。



「こ、こうなったら最後の手段だ! クラティラスの純潔を返してくれと、イリオス殿下に頼みに行ってくる!!」


「やめてくださーい。持ってないものを返せと言われても、イリオスだって困りまーす。純潔とやらはちゃんと私が保管してるんで、とっとと説明しやがってくださーい」



 訳のわからないことを抜かして立ち上がろうとしたお兄様を、私は冷静に引き止めた。おかげで私がまだ乙女だと理解してくれたようで、お兄様はほっとした表情で座り直した。


 何故かお母様だけは不満そうだったけれども。



「ええと、クラティラスに引き止められたところまでお話ししたのでしたね? 必死で縋り付くクラティラスを引き剥がすためには致し方ない……そう考えて、私は禁じ手を使いました。できたら、この方法は使いたくなかった。このせいで、私はクラティラスと長い間、仲違いすることになってしまったのだから」


「禁じ手、とは?」



 息を飲み、お父様が尋ねる。


 ところがお兄様は答えない。お父様とお母様の発する圧に、耐えられなくなったらしい。


 こんなことを言いたくないと横目で訴えるヘタレ兄貴の代わりに、仕方なく私が答えた。



「…………ゲヘゲヘです」


「ゲヘゲヘ」

「ゲヘゲヘ」



 私の言葉を確かめるようにお父様が、続いてお父様の言葉を確かめるようにお母様が、輪唱するように繰り返す。



「お兄様に生まれについて打ち明けたのは、サヴラ様との対面のためにパスハリア家を訪問された日でしたわよね? お兄様はとてもショックを受けて、ゆっくり静かに考えたいと思っていらしたようなの。なのに私はそんなこととは露知らず、部屋でお兄様の婚約を祝うための歌と踊りを練習していたのよ。それがとてもうるさかったようで、お兄様はお怒りになって」



 お父様とお母様の刺すような視線がとても痛い。


 こ、これは確かに言いにくい……。でもここはしっかりと言い切らねば。何たって、発案者は私なんだから!



「私の部屋に飛び込んできたお兄様は、こう言ったの…………『お前なんかゲヘゲヘだ! ゲロい屁を略してゲヘゲヘだ!』と」


「ゲロい屁」

「ゲロい屁」



 また、お父様とお母様が時間差でリピートする。


 うっわ、何この空気……ステファニの言葉をパクっただけで私が考えたわけじゃないのに、すごくやらかした感でいっぱいだ。何も思い付かなかったからとはいえ、安直にパクりなんかするんじゃなかった。パクりでスベると、こんなにやるせない気持ちになるんだね!


 だが、後悔してももう遅い。諦めてやり遂げるしかない。



「そんなひどいことを言われるなんて初めてだったから、悲しいやら腹が立つわで。私が『もうお兄様とは口を聞かない!』と言ったのをきっかけに、売り言葉に買い言葉で大喧嘩になって、お兄様と絶交したの」



 そこまで言うと私は隣のお兄様を肘でつつき、先を促した。



「そ、そうなのです。あの夜も、ゲ……その、我々が仲違いした原因であった言葉を使い、クラティラスを引き剥がそうとしたのです。しかしクラティラスの怒りは想像した以上で、離れるどころか、取っ組み合いの喧嘩にまで発展しました。その現場を、忘れ物を取りに引き返して来られたというイリオス殿下に目撃されたのです。殿下は『紳士らしからぬ暴言だ!』と大変お怒りになり、クラティラス側に参戦なされて……あのような事態になってしまったというわけで」



 お兄様は、どうしてもゲヘゲヘなる単語を言いたくなかったらしい。けれどお兄様がその言葉を口にしようとしない姿が、逆に説得力を高めたようだ。



「そ、そうか……クラティラスだけでなく、イリオス殿下も激怒されたのだから、余程のことなのだろう。いやほら? 初めて聞く言葉だったのでな?」


「そ、そうね……考えてみれば、いくら何でもゲロい屁はないわよね。しかも二つ重ねて、ゲヘゲヘとまできたら……ねえ? いくらお転婆を通り越して野獣か珍獣みたいだといっても、クラティラスだって女の子ですもの。それは傷付くわよね」



 お父様は何か言いたげではあったし、お母様には余計なことまで言われたけれど、何とか納得してくれたみたいだ。



「お兄様も反省して、二度とあのようなことは言わないと約束してくれました。ですので私はイリオスにこのことを伝え、あの命令を破棄していただき、お兄様と自由に話せるようにお願いしたいと考えております。お父様、お許しをいただけますか?」



 私としては、もういっそお兄様からの接近は禁止のままでも良かったのだが、相手は救いようのないアホだ。禁止されていようと構わず私に近付いてくるのは目に見えている。


 その度にお父様とお母様を困らせてしまうくらいなら、イリオスにルールを撤廃してもらった方がいい思ったのだ。



「わ、わかった……許そう。だが」


「やったーー! お父様、ありがとうございます!!」



 渋い声でお父様が了承の言葉を漏らすと、続きを聞く前にお兄様は大きく仰け反り、ブリッジ状態で部屋の中を駆け回り始めた。

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