腐令嬢、カオす


 ビラ配りの成果か、第二王子殿下の公開入部発言の効果か、翌日になると我らが紅薔薇支部にも何人かの見学者がやってきた。


 ところが、そんな時に限って戦が勃発してしまいまして。BLとノマ混合の夢女子リコとオンリーカプ固定派のアンドリアが衝突して、紙を巻いて作ったお手製の槍で突き合いながら罵詈雑言を吐き散らしてたところだったんだよねぇ……。


 おかげでせっかくやって来た新入生達は、引き攣った笑いを浮かべながら逃げるように退散してしまった。

 せっかくのチャンスを逃してしまったのは非常に残念ではあるが、こういった『解釈違いから起こる論争』は我が部では日常茶飯事。時には全員巻き込んでの戦争に発展するくらいだから、一対一程度のバトルでドン引くなら入部しても長くは続かなかっただろう。


 見た感じ、イリオスかクロノかわからんけど、いかにもどちらかの王子様目当てといったご令嬢様達だったしなぁ。初等部を卒業したばかりのお子様のくせに、メイクまでバッチリキメてきやがって。



 今週で、もう四月は終わる。


 クロノのみとはいえ、一応新しい部員は加わったんだ。それで良しとしよう。でも本音言うと、可愛い後輩が欲しかった……。



 皆が新入生萌えから年下攻めと年下受けを議論する中、私は半ば諦めの心地で、男らしい凛々しさに満ちた『受け様』を開拓すべくサイクロプスのジョンさんをモデルに、イラストの練習をしていた。


 すると不意に、部室の扉がノックされた。



「はいはーい」



 隣の椅子に座っていたリゲルが返事をし、軽やかな足取りでドアを開ける。



「……あら、もしかして見学希望者の方ですか?」



 その声を聞くや、ジョンさんの肌の質感をゴリゴリ書き込むことにひたすら集中していた私ははっとして顔を上げた。



「す、すみません……失礼します」



 リゲルに伴われて室内に入ってきたのは、眼鏡をかけてセミロングほどの長さの黒髪を一つに結んだ大人しそうな女の子。


 たった一つしか年が変わらないとはいえ、先輩達に囲まれると緊張するのだろう。もじもじと俯き、両手でスカートをきゅっと握りしめている。真新しい制服は彼女の小さな体には少し大きめで、それが一層初々しさを際立てていた。



 その姿を一目見るや、私の脳天から脊髄にかけて雷が走った。


 こ……これよ!

 これがまさに私の理想! 夢にまで見た後輩の理想が現れたぞーー!!



「あ、あの……私、トカナ・ヴラスタリといいます。その……」


「ヴラスタリさんね! オッケー了解ばっち記憶した! 私は……」



 こちらも自己紹介をしようとしたその時、彼女はやっと顔を上げて私を見た。



「クラティラス・レヴァンタ様、ですよね? 存じております。えと、その……ゆ、有名でいらっしゃいますから」



 その言葉に、私は笑顔のまま固まった。


 第三王子殿下の婚約者って肩書きだけならまだしも、あのチラシ配りの一件で『第三王子殿下の婚約者という立場を盾にして、第二王子殿下に対しても傍若無人に振る舞う高慢不遜な女』なんて不名誉なレッテルまで貼られてしまったのだ。有名といっても、悪い意味での悪名ということに違いない。


 そっかぁ、この子がこんなに怯えた顔してるのは私のせいかぁ。BLに興味があるけど、この女に何されるかわかったもんじゃないって思われてるのかぁぁぁ……。



「ヴラスタリさん、でしたか? クラティラスさんは、皆様が噂しているような方ではありませんよ」



 悲しい気持ちに陥りかけた私を救ったのは、肩に置かれたあたたかな手と、凛と強く澄んだ親友の声だった。



「クラティラスさんは優しくて明るくて、一爵家のご令嬢とは思えないほど誰とでも気さくに接してくださる方です。それに、一人でずっと悩んでいたあたしを助けてくれました。こんな素敵な人、他にいません」



 背後から私の両肩を抱き、リゲルが毅然と言う。そっと振り向けば、至近距離で合った目が優しく微笑みかけてきた。それが何だかくすぐったくて、私は慌てて俯いた。


 やだやだ、私ってば恋する乙女かよ! でも仕方ないじゃん、こんな可愛い子がこんな近くにいるんだよ? マジで見つめたら、本気で恋に落ちちゃうかもしれないじゃん!!



「私もです」



 さらにリゲルの手の上に、ステファニもまた自らの手を重ねて告げた。



「殿下を眺める度に心の中で激しく渦巻く感情の正体がわからず、ただモニョるしかなかった私に、クラティラス様は萌えなる至高の感情を教えてくださいました。それだけに留まらず、エミヤ様という素晴らしきカプ相手をお恵みくださいました。セメオス✕ウケミヤ、セメミヤ✕ウケオスがいなければ、今の私は存在しません」



 オッケー、ステファニ。話を戻して。その言い方じゃ私、ほとんど役に立ってない。



「私も同じよ。恥ずかしい話だけど……私、以前は家柄に囚われて自分より格下の子達を見下していたの。でも今はヴァリ✕ネフェという萌えに目覚めたおかげで、ぐーんと世界が広がったわ!」



 マリリーダ二爵令嬢、アンドリアがブルーアッシュの縦ロールを翻してオーバーリアクション気味に両手を広げて回転する。彼女は我が兄ヴァリティタ・レヴァンタと我が家の世話係ネフェロ・メネクセスのカプに初の萌えを見出して以来、ずっと固定を貫き続けているのだ。



「そうかしら? アンドリアさん、割と融通が利かないじゃない。同じカプ一本で、物足りなさを感じないの? ドリも兼ねれば、もっと世界が拓けるのにね?」



 そこへリコ・クレマティが、青紫のストレートボブをさらりとかき上げて挑発の姿勢を取る。彼女はBLと夢妄想の両方を嗜むハイブリットタイプ。


 しかし学年トップクラスの頭脳をもってしても、固定派をジャンル移動に誘うのは難しいようで、今回もアンドリアはプイとそっぽを向いてしまった。



「だったらまず、リバでお試しになってはいかが? アンドリアさん、実はリゲルさんの考案した暗黒ネフェロさんにも萌えていらっしゃるのでしょう? 意地を張らずに、こちらへいらっしゃいよ〜?」



 アンドリアが顔を背けた先で待ち構えていたのは、オレンジのまとめ髪が知性を漂わせるリナール三爵令嬢ドラス。こいつもリコに負けないほどの才女で、リバ好きという性癖を持つ。



「リバは敷居が高いでしょうから、ケモ耳から始めてみては? そこから全身に毛を生やしてモフモフを楽しみ、巨大化させて牙を生やして、慣れた頃に換毛期を迎えさせて、さらに鱗化させてしまえば完璧ですわ!」



 ドラスを押し退け、人外萌えのイヴィスコ三爵令嬢ミアが迫る。するとミアの両耳から伸びる紫のおさげをぐっと掴んで引き下ろし、カンヴィリア四爵令嬢のデルフィンが進み出た。



「暗黒ネフェロ様なら、お相手はオジサマでなくちゃ! ヴァリティタ様は今も素敵ですけれど、お年を召されたらもっと輝くはずよ! 未来からやって来た、オジティタで妄想しましょう!」



 ところが、嬉々としてオジ受け至上主義を主張したデルフィンの栗色の巻き髪を、スケッチブックで思い切り殴った者がいる。



「か、勝手にキャラの年齢捏造するのはやめてくれませんか!? わ、私、そういうの苦手なんです! 捏造なのにイメージと違った〜とか、こんなのあの人じゃない〜とか言われたら、し、正直、殺意を覚えますのでっ!」



 ゆるくウェーブのかかったピンクの髪を波打たせ、メリスモーニ五爵令嬢イェラノは怒りに震えていた。彼女は私と同じイラスト描きなのだが、基本は一次オリキャラの二次元専門。そのため、実在する人物であれこれ描くのは苦手なのだ。



「うるさいわねっ! あんた達が何と言おうと、私は断固ヴァリ✕ネフェよ!」


「そんな狭い視野で、いつまでも続けられると思ってるの!? 大人しく夢主になりなさいよ!」


「一度でいいから、ネフェ✕ヴァリを妄想してみなさいな! さては、抜け出せなくなるのが怖いんでしょう!?」


「そんなに嫌なら金輪際、ネコミミもウサミミも禁止ね! 都合良いところだけ人外を利用するんじゃないわよ!」


「だったらオジフェロでいってみたらいいんじゃないの!? オジサマになったネフェロ様も、間違いなく素敵よ!?」


「だーかーらー、リアル寄りの捏造はするなと言ってるんです! いい加減にしやがれなのです!」



 こうなるともう止まらない。六人の部員達は新入生などそっちのけ、ぎゃあぎゃあと論争を始めた。


 ねえ……皆で私を庇ってくれるんじゃなかったの?


 クラティラスさんのおかげで人生が楽しくなりましたとか、クラティラスのおかげでモテモテになりましたとか、クラティラスのおかげで宝くじが当たりましたとか、そういう話はどこいったの?


 何のフォローもせず、暴れ始めて……これ、どうしろっての!?




「うるっせえええええええ!!」




 室内を震わせるほどの雄叫びを放って奴らを黙らせたのは、恒例の如く部長の私――――ではなく、副部長のリゲルだった。

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