腐令嬢、咆哮す


「頭がおかしいと思われても仕方ありません。けれど、信じてください。僕は、あなたを幸せにしたい。何故ならあなたは、僕の『最推し』……リゲル・トゥリアンなる女性と共に、いつまでも仲良く戯れながら睦まじく暮らしてほしいと心から願っているのですから」




 ちょちょちょ!


 待て待て待て待て!



 マジで待て!!




「ええと、つまり?」



 わああ、私のバカ! 聞くな、聞いちゃイカーーン!!



 するとイリオス様はくくっと小さく笑った。


 小馬鹿にしてるとも自嘲してるとも取れる嫌味な笑みの形は、とても見覚えがあるもので。




「何を隠そう、僕は『この世界の行く末を知っている』のです。そしてあなたを含め、仲良く戯れる女の子達を眺めて幸せを感じたい……それだけが今生での願いなのですよ」


「エ、ミ…………?」




 ここで私の口から、今最も発してはいけない単語が飛び出た。



 イリオス様も、薄く浮かべた笑みごと氷像のように凍りつく。



「今、何て……」



 ダメダメダメ、止まれ、私の口!


 言うな聞くな黙っとけーーーー!!




「エミ……ヤ? 江宮えみや大河たいが……? お前、オタイガー、か…………?」




 イリオス様が、ソファから滑り落ちる。



 そして彼は、床とテーブルに挟まれた状態で血の気が引いたくちびるを動かした。




「その呼び名……まさか、オーカ、ミ、さん? BL拡散生物兵器のウル大神おおかみ那央なお…………?」




 トイレの時と同じように私達は見つめ合い、しかしトイレでの轍を踏まないよう、必死に悲鳴を殺しながら確認し合った。



「お、お前が、あの百合豚ダサキモ眼鏡クソヲタ野郎のオタイガーなんて……ありえねーよな? ははっ、ねーわー」


「そ、そっちこそ、そこらの野郎より野郎全開のくせに腐れBL脳満開だった最高に気持ち悪いアホウル腐なんてありえませんよね? ですよねぇ?」


「んだとてめえ、誰がアホウル腐だ。やんのか、コラ?」


「望むところですよ。オタイガーなんてあだ名付けた恨み、今こそ晴らしてやりますとも!」


「いよっしゃ、勝負だ! やるぞ、いつもの!」


「了解、『生涯バトル』十時間耐久戦で決着つけましょうぞ!」




 立ち上がって火花を散らした瞬間――――しかし私達は耐え切れず、火を噴くように叫んだ。




「ふざけんなーー! マジで江宮じゃねえかーー! 最悪最悪最悪ーー!!」



 と、私がソファに倒れ伏して喚けば、



「最悪はこっちの台詞ですよー! 何で大神さんなんかが、僕の最推しに生まれ変わってるんですかーー!!」



 と、江宮も白いカーペットの上を転げ回って吠える。


 大神さん『なんか』だぁぁぁ? この野郎、もう勘弁ならねえ!



 私は立ち上がり、床を叩いて嘆くイリオス様――の姿をした江宮のタキシードの襟元を掴んで引き起こした。



「私だって生まれ変わりたくて生まれ変わったんじゃねーよ! 元はといえばあの時、江宮が話しかけてきたせいじゃねーか!」


「僕だけの責任にしないでくれます!? あの場所に引き留めたのは、大神さんでしょうが! 僕だって美少女に生まれ変わりたかったのにーー!!」



 が、江宮も負けじと私の手を振り払って責め立てる。


 私だって、どうせ生まれ変わるなら男が良かったよ!



 ん?

 てことは、利害は一致してるんじゃん!



「オッケーオッケー! 代わってやるから、お前も代われ! 方法は任せた!」


「いいんですか!? ありがとうございます! って丸投げの無茶振りにも程がありますぞーー!!」


「代わりたいなら、お前がどうにかしろ!」


「そっちこそ、どうにかしてくださいよ!」


「……失礼いたします」



 前世でいつも繰り返していたのと同じように激しく言い合いをしていたら、不意にノックと共に扉が開かれ――私達は揃って飛び上がった。



「イリオス殿下、愛しの姫君とゆっくりお話をされたいお気持ちはわかりますが、本日はここまでになさってください。このような夜遅くに、長時間に渡って二人きりで王子の私室にこもられたとなれば、また『おかしな噂』を立てられてしまいかねません。レヴァンタ一爵令嬢もお疲れでしょうから、また日を改めてお会いする時間を取っては如何でしょうか」



 戸口から現れたのは、我々と同年代くらいの少女。きっちりと髪をまとめ上げているおかげで、恭しく垂れた頭を上げると、その美しく整った顔がよく見えた。


 しかし彼女が発した機械音のように無機質な音声と同じく、表情の類は一切ない。


 赤髪に琥珀色の瞳という組み合わせは彼女の可愛らしくも怜悧な顔貌に大変マッチしていたが、あまりにバランスが取れすぎていて、まるで人形みたいだった。



「ステファニ……そ、そうですね。それが良い。オーカ……いや、クラティラスさん、改めてまたお話しましょう!」


「エミ……いえ、イリオス様、そうですね! 私も落ち着いてゆっくりとお話したいですわ!」



 イヒヒヌフフと上辺だけ笑みを向け合ってから、私はステファニなる女の子に連れられ、オタイガーの部屋を後にした。




 背後に三人の護衛を付け、私はステファニの先導で長い廊下を歩いた。その間に彼女は、例の機械音声みたいな調子で自分の身分についてを語ってくれた。


 名前はステファニ・リリオン。年齢は私達と同じ。


 幼少の頃から王立国防士官学校に在籍していたのだが、七歳かそこらでイリオス第三王子殿下専属のお付きに抜擢されたという。


 それから三年余り、イリオス殿下の側近として身の回りの世話をしてきたのだそうな。



「しかしご安心ください。私は女性としてまだ未熟、イリオス殿下との間にはまだ何もございません」



 ステファニはこちらを振り返りもせず、淡々と言い放った。


 どういうこと? と首を傾げる私に、護衛の一人が補足説明をしてくださった。



「イリオス殿下があまりにも他人を寄せ付けようとしないため、心配なされた国王陛下がステファニ様をお側付きにされたのです。同年の娘であれば、殿下も閉ざした御心を動かされるのではないかと陛下はお考えだったようで」



 なるほど、この美少女に恋のレッスンの手解きもさせようとしてたってか。オタイガーのくせに、羨まけしからんな!


 でも国王陛下の選択は、ある意味じゃ間違ってなかったかもしれない。


 あいつ、声優とか舞台とかにも興味持たない二次専ガチ勢だったもんな。三次でも美少女フィギュアみたいなこの子ならアリだったんじゃなかろうか?



 パーティー前に着替えた時と同じ部屋に通されると、家から共に来た侍女達の姿があってほっとしてしまった。



「…………あんなイリオス殿下、初めて見ました」



 安心して軽く泣きそうになった私の背に、小さな呟きが落ちる。


 振り向くと、ステファニの琥珀色の瞳と目が合った。



「失礼、政略結婚だという噂も耳に入ってまいりましたので。私事ながら心配しておりましたが、先程の様子を窺うに、お二人は心から打ち解け合っていらっしゃるようですね。どうかこれからもイリオス殿下を支えてくださいますよう、心よりお願いいたします」



 殆ど棒読みに近い口調でそう告げると、ステファニは深々と頭を下げ、規則正しい足取りで去っていった。



 けれども……先の呟きには、ほんの少しだけ感情めいたものが込められていた、気がした。



 実は彼女、ステファニもゲームにしっかり登場していた既知の人物だ。


 なので、私は知っている――――あの人形のような少女が、大きく歪んでしまうことを。悲しみの中に閉ざされる、彼女の末路を。



 お着替えを済ませて待機すること二時間、やっとお父様とお母様が迎えにやってきた。二人共揃ってぐったりしているのは、パーティー後に列席した貴族連中達を一人一人見送りながら挨拶し倒していたかららしい。



 合流した我々は城を出て、帰宅の途についた。


 クソうぜえことに、今回はイリオス江宮が見送りに出て来やがった。おまけににこやかな王子様スマイルで手まで振ってくださったもんだから、皆々様のヒューヒュー的な生あたたかい目がとっても痛かったよ……。


 ステファニの冷ややかな眼差しだけが救いだったわ。



 おかげで帰宅の車中では、お父様とお母様に『イリオスくんと二人きりで何話してたんだよ〜う?』『やらしーことしてたんじゃないのか〜い?』といった恋バナを話題の中心にされた。


 ねーよ。

 あの麗しき被り物の中身はオタイガーなんだぞ? 江宮とイチャコラブッチュなんて、おぞましすぎるわ。



 執拗に問い質そうとする二人を懸命にはぐらかし、家に戻ればシスコン兄貴にワンワン号泣され――――こうして私の新年初日は、精神的にも肉体的にも疲れ果てて終わった。

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