腐令嬢、手を結ぶ


 私は必死に両手で口を押さえ、飛び出しかけた叫びを殺した。



 暗殺!?

 私、殺されちゃうの!?



大神おおかみさん、どうか落ち着いてください」



 落ち着く!?


 落ち着くってどうやって……そうだ、BL妄想だ!



 私は目を閉じ、今日もこの部屋まで案内してくれたステファニの姿を思い描いた。そして脳内で素早く男体化させ、スティーブンなるポーカーフェイスがスタイリッシュクールな美男子を脳内に作り上げる。


 私という邪魔者が帰った後、私が座るこの位置に彼は座り、琥珀の美しい目を伏せてイリオス様に懇願するのだ。



『イリオス殿下……私は城を去ります。どうか私の身勝手を、お許しください』


『な、何故だ、スティーブン! 僕は、君がいなければ……』


『あなたのお側にいるのが、辛いのです。あなたは第三王子、その高貴なる血を後世に残さねばならない。そうと理解していても、もう耐えられないのです』


『あの女のせいか? 僕だって、婚約などしたくはなかった。それは君もよくわかっているだろう? 僕が愛しているのは君だけだ!』


『おやめください! 身分を弁えぬどころか、子の成せぬ男の身であなたを愛した私が愚かだったのです。あなたに愛される資格など、私にはありません!』


『僕を愛したことを、悔やんでいると? だから僕を置いて、僕を忘れ、僕以外の誰かと幸せになろう……と?』



 はい、ここでスティーブンが顔を上げ、悲しげに微笑ーむ!



『この私が、あなた以外の人をどうして愛することができましょう? 私には生涯あなただけ、この想いと共に死ぬつもりです』



 はいはい、ここでスティーブンの決意を知ったイリオス様が立ち上がり、彼を抱き締めーる!



『スティーブン……お前一人で逝かせやしない。僕も共に逝こう。今度こそ君と、何物にも囚われず愛し合える世界に』


『イリオス殿下……!』


『イリオス、と。最期くらいは、そう呼んでくれ』


『ああ、イリオス……愛しています。心の底から』



 その後二人は城を抜け出し、手と手を固く繋ぎ合って冷たい海にその身を投じ――――。




 …………やだーー! 悲すぃーーーー!!




「大神さん、泣かないでください。残酷な未来にショックを受ける気持ちはわかりますが……」



 江宮えみやがらしくもなく慰めの言葉をかけてくる。


 その声で、私は妄想から目が覚めた。



「いや、これはイリオス様とステファニ男体化から爆誕したスティーブンなる男子との報われぬ愛に捧げる涙だから。そっちは余裕で落ち着いた」



 明らかにドン引きといった顔をされたが、んなこたぁどうでもいい。



「お前がそのこと知ってるのって、やっぱり続編があるからなんだよね?」


「…………ライトノベルで、ゲームの続きの世界が描かれていたんです」



 そこまで明かしたものの、江宮は内容についてはほとんど語ってくれなかった。ただその物語には、クラティラスの死が大きく影響しているそうだ。



 もう一つ教えてくれたのは、ジャンルが『戦記物』ということ。



 それだけで私の死後、この世界がどれだけ混沌とするかが窺い知れる。


 どの国とも友好な関係を築いているアステリア王国が戦火に晒されるなんて、想像もつかない。恐らく、私の父親である外務卿のレヴァンタ一爵が何らかの形で関与するのだろうけれど……何を聞いても、江宮は頑として口を割らなかった。



 私の死亡フラグさえ回避できれば問題ないことだ、とだけ答えて。



「『知らなくて良い未来』以外に、何か聞きたいことはありますか?」



 向かいのソファに移動したイリオス様が、冷え冷えとした眼差しで問う。


 といってもなぁ……特に聞きたいことなんてないよなぁ。



「あーそうだ、お前パーティーの日の前後に何食ってたの? 人が排出したとは思えないほどウンコくっさくて、窒息死しかけたんだけど」



 ポテチを食べながら投げやりに尋ねると、クールに決めてたイリオス様はたちまち顔を真っ赤にしてブチ切れた。



「あんた、本当に最低ですな! 暫く便秘で苦しんでいた僕のために、ステファニが煎じてくれた薬を飲んだら効きすぎたというだけです!」


「へー、めっちゃ効くやん。私も便秘したらもらおっかな。でも、あんなにウンコがくっさくなるのは困るなぁ……」


「その件は忘れてください、王子命令です。他には?」


「他ぁ? あーそうそう、何でお前の部屋、こんなに貧乏臭いの?」


「貧乏臭いとは失礼な! 余分なものがあると逆に気が散るんです! 前世の僕の部屋もそうだったでしょうが! 敢えてのシンプルですから! シンプルイズビューティーですから! はい、次!」


「えーと……いつ記憶戻った? 私は半年くらい前だけど」


「遅っ! 僕は三歳で思い出しましたよ! セリニ様の事故の時に!」



 流れでサクッと答えたイリオス江宮は、しかしすぐにしまったという顔をして形良い唇を引き結んだ。



 セリニ殿下の事故の件は、私も知っている。


 当時は、私も同い年の三歳。けれど世間では大きな話題となっていたため、子どもながらに大変なことが起きたのだと理解できたし――それにゲームでも、彼女の死がイリオス様の心に深い傷を負わせたという設定だった。



 セリニ・ピクラリダ・アステリア、享年三歳。


 スタフィス王妃陛下の二番目の娘、つまりディアス第一王子殿下の実妹で唯一の王女、だった人物だ。



 同年のイリオス様と仲が良く、いつも二人は一緒にいて――――あの日も、同じ車に乗って式典に出かけるところだったという。


 その道中、彼らの乗った車が事故を起こして炎上。燃え盛る車内にイリオス様とセリニ様は取り残されたのだが、片方は無残な遺体に、しかし片方は全くの無傷で生還した。



 そう――迫りくる死の前で、イリオス様の中に眠る『魔力』が覚醒し、無意識に展開した魔法で自身を守ったのだ。



 子を産むと同時に亡くなったイリオス・オルフィディ・アステリアの母親は、現在では稀少な魔族の血を引く者だった。


 不意に姿を消し、今も尚、行方不明だというリゲル・トゥリアンの父親と同じく。



 こうしてイリオス様が悲痛な顔をして押し黙っているのは、その時のことを思い出してしまったからなんだろう。



「…………ええと、やはりイリオス様は、セリニ様のことを愛していらっしゃったの? 恋ができなくなったのは、それが原因なのかしら?」



 沈黙に耐え兼ね、私は丁寧な口調でそっと尋ねてみた。


 が、イリオス様はさも心外だといわんばかりに肩を竦めた。



「まさか、大嫌いでしたよ。第一王子の妹である彼女にとっては、僕なんて下僕のようなものでしたから。命令されて、仲が良いフリをしていただけです」



 え、そうなん?


 確かに設定集には『目の前で救いを求める義妹を助けられなかった自責の念で心を閉ざすようになった』としか書いてなかったけど……ロマンチック要素あるんじゃないかと思ってたのに。



「それと……恋ができない云々は、イリオス・オルフィディ・アステリアではなく江宮えみや大河たいがの問題です。僕はただ、微百合を見て癒されたいだけ。気に入った女の子に好かれたいとも触れたいとも思わないので、今後勃発する予定のリゲル嬢の争奪戦に加わるつもりもありません」


「ふーん、ま、好きにすれば? せっかく生まれ変わったんだし、フリーダムに生きたらいいよ」



 砕けたポテチの欠片をちまちまと指に取っては舐め取っては舐めしながら、私は適当に返した。



「…………大神さん、理由を聞かないんですね。てっきり、意気揚々と突っ込んでくるものだと思っていたのに」



 小さな声で、江宮が言う。



「うん、興味ないもん」



 そう答えると、私はバスケットに敷かれたペーパーを持ち上げ、残りのポテチをザラザラっと口に流し込んだ。うむ、やはりしめポテチは飲むに限る。



「ごちそーさまっ。そろそろ時間かな? また暇あったら対策会議しよ!」



 ソファから立ち上がり、ドレスの膝に溢れたポテチ片を払っていたら、イリオス様が吹き出した。



「大神さん……服より、顔を気にしたらどうですかぁ? 口の周り、ポテチのカスだらけになってますよ?」


「うわ、マジか! やっべ、このまま出てったらステファニたんに引かれるとこだった!」



 ハンカチで顔をわしゃわしゃ拭いていたら、イリオス様も立ち上がり、お高そうなおハンカチーフで私の顔面清掃のお手伝いしてくださった。ついでに拭き残しがないかもチェックしていただいたよ……あなありがたや。



「これからも、女の子達が幸せな道を進めるよう様々な方法を試してみるつもりです。仕方ないので、嫌々渋々あなたもその一人に加えます。ということで、クラティラスさんも協力していただけますか?」



 帰り支度を整えた私に、イリオス江宮はミステリアスクールなイリオスマイル……ではなく嫌味に満ちた萎江宮なえみや笑いで告げた。


 仕方なく嫌々渋々というワードが微妙に引っ掛かったけど、私も笑顔で頷いた。



「ええ、イリオス様。私にできることでしたら、喜んで」

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