腐令嬢、ヘイト吐く


 ファルセとディアヴィティと別れ、向かう先はリゲルの待つ応援席……なのだけれども、やはりどうにも気になることがある。


 少し迷ってから、私は寄り道する方を選んだ。そう、例のイベントが起こる場所だ。


 競技に使用する用具は、グラウンドの片隅にまとめて置かれている。玉入れは午前に終了したので、もう出番はない。しかし片付けは体育祭が終わってから一気に行うそうだから、まだ置いてある。


 用具置き場は校舎寄りで、横を通ればトイレへの近道になる。けれどもしものことを考えて、リゲルと移動する際はそのルートを絶対に使わなかった。


 行く必要はないとわかっている。でも生の現場を、見てみたいんだよね。ここがイベントの舞台かーって、リアルに体感したいというか?


 リゲルがいないなら、何も起こらないだろう。

 怪我をさせる相手も意志もないんだから、悪役令嬢も無害だ。そう考えて、私は急ぎ足で用具置き場に向かった。


 遠目にも、高くそびえる玉入れのポールは目立っていた。

 近くに立って見上げると、ヒロインを庇って負傷した攻略対象達の顔や声が思い出される。


 あそこのシーン、どいつもこいつもセクスィーだったよね。

 特にペテルゲ様よ。苦しげな吐息の間に囁かれる『だ、大丈夫か……っ?』なんて、甘美なる快楽に苛まれつつも受けちゃんを気遣う攻め様って感じで、優すぃー! やらすぃー! 美味すぃー! の三拍子だったよね。ゲームを勧めてくれた妹達にはとても言えなかったけど。

 ハニジュエもエロかったよな。言動行動はさておき、ビジュアル面ではお色気キャラだったし……。



「ダメだ、大神おおかみさんっ!」



 そびえるポールが我が心を具現化した801棒のように思えて、ニヤニヤと見上げていた私だったが、その声で我に返った。


 何かが上から迫る影。

 振り向けば、後ろからバスケットゴールがこちらに倒れてくる様が目に映る。そして、衝撃。地面に叩き付けられる体。目鼻を襲う土埃。


 ほんの一瞬の出来事だったと思う。しかし私には、まるでスローモーションのように感じられた。


 おかげで現実感が湧かず、私は倒れたままの姿勢でしばし呆然としていた。



「イリオスッ!」



 私の意識を現実に引き戻したのは、耳を割くような金切り声。私が放ったものではない。



「イリオス……イリオス!? ああ、何てこと……!」



 座り込んで叫ぶカミノス様の腕には、見慣れた銀髪の青年が抱かれていた。イリオスだ。私は慌てて立ち上がり、ふらつく足で彼のもとへと駆け寄った。


 イリオスはぐったりとして動かない。こめかみには、赤い血が流れていた。頭を打ったらしい。


 そこで私はようやく、彼に突き飛ばされて救われたのだと理解した。そして自分の代わりに、イリオスがバスケットゴールをその身に受けて怪我をしたということも。



「イリオス、大丈夫!? しっかりして!」



 彼の肩に触れようとした手は、カミノス様によって振り払われた。



「婚約者だからといって何様のつもり!? わたくしのイリオスに気安く触ろうとしないで、汚らわしい! あなたのせいでイリオスは怪我をしたのよ! 二度とイリオスに近付かないでちょうだい!」



 憎々しげに私を睨み、カミノス様が吠える。

 その台詞は、私のものだったはずだ。


 ちょっと待って。何が一体どうなってるの?


 どうして玉入れのポールじゃなくてバスケットゴールが……それより何故リゲルじゃなく私が……。


 混乱して声も出せなくなっていると、下から弱々しい声が上がった。



「僕は、大丈夫です……。大神さ……いえ、クラティラスさんのせいじゃありません……」



 紅の瞳を薄く開き、イリオスがカミノス様から逃れるように身を起こす。しかし立ち上がったまでは良かったものの、すぐに蹌踉めいて膝をついた。



「イリオス、いけないわ! わたくしが医務テントまで連れて行きますから、無理しないで!」



 再び彼に寄り添おうとしたカミノス様に、私の混乱は塗り潰し機能を使ったように一気に怒りへと転じた。


 イリオスに触れる寸前で、彼女の肩を掴んで引き剥がしたのは、ほとんど無意識だった。



「あなたこそ何様のつもりなの! イリオスはあなたに触れられたくなくて、無理してまで起き上がったのよ! そんなことも理解できないくせに、何がわたくしのイリオスよ……あなたこそ、彼に近付く権利はないわ!」



 そこからはもう、堰を切ったようにこのイベント時でのクラティラスに溜まっていたヘイトを吐き出しまくった。



「大体、イリオスが怪我をしたのは私のせいじゃないわ。随分とタイミング良く出てきたけれど、『見ていた』のならわかるんじゃなくて? もしかして、この事故もあなたが仕組んだことなのでは?」


「なっ……何を証拠に! 言い掛かりをつけるのはやめてくださる!? これは不運な事故よ! 調べればわかることだわ!」



 カミノス様がわかりやすく顔色を変えて吠える。


 おうおう、図星かよ。

 護衛も連れていないし、もしかしたらと思ったけれど、魔法の力で私をやっつけようとしたってわけね。私本人に魔法が通じないからって物理攻撃で挑んでくるとは……こいつ、クラティラスばりの悪役令嬢だわ!



「ええ、調べても何も証拠は出ないでしょうね。そこまでのアホではないと思いますから。けれどイリオスは、あなたが何かしたと疑っているんじゃないかしら? こんな状態なのに、あなたに身を預けようとしなかったんですものね?」



 顔面蒼白となったカミノス様に冷ややかに告げると、私は背後のイリオスをチラリと見た。

 もう頭を打った衝撃は落ち着いたようで、彼はしっかりと頷き返してきた。治癒魔法を使えば一発で治るだろうが、ここじゃ誰が見ているかわからない。


 騒ぎを聞き付けて人が集まってくる気配を感じたので、私は急いで彼を立たせた。



「イリオス……ダメだと言ってわたくしを制止したのは、その女を守るため? わたくしに罪を侵させたくなかったからではないの? わたくしのせいじゃないと庇ってくれようとしたのに、何故その女の言うなりになっているのよ……?」



 触れているように見せかけて実は触れてない寸止め寄り添いで立ち去ろうとする我々の背に、細い声が投げかけられる。そっと振り向くと、カミノス様は泣く寸前の様相でこちらを見ていた。


 少し待ったけれど、イリオスは薄いくちびるをしっかり閉じて何も言おうとしなかった。


 後ろ髪を引かれるような心地を振り切り、私は彼の歩みに合わせてその場を後にした。

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