腐令嬢、違和感を覚える
イリオスに個別レッスンを任せてからというもの、トカナのBL説明能力は驚くほど向上した。
用語を思い出せず口ごもることもなくなり、無茶振りな質問にも笑顔で対応できるようになった。
何せマンツーマンのお相手は、BL嫌いの王子だ。しかもネチネチと嫌味ったらしくて、根性が捻くれ曲がってて、すぐに人を小バカにしやがる極悪激悪最悪三拍子揃った性格ときてる。奴よりひどいクレーマーはそういないだろうから、あれを相手に鍛えられればどんな冷やかしが来ても大丈夫だろう。
「…………完璧よ。素晴らしいわ、トカナ! 私の見込んだ通り、いいえそれ以上よ! 部長として、あなたという部員に巡り会えたことを心から誇りに思うわ!」
文化祭一週間前となった本日。
紅薔薇支部部室にて、例の模擬案内所セット――という呼び名の椅子と机で向かい合い、私はトカナの出来を自らテストした。仕上がりは、パーフェクトを超えるパーフェクトすぎるパーフェクト。
思わず私は彼女の手を握り、心からの賛美を伝えたのだが。
「あ、ありがとうございます……イリオス様のおかげです。あの、でも」
けれどトカナは、どこか浮かない顔で曖昧な笑みを返すのみだ。んもぅ、謙遜しちゃってぇ〜。
「案内所だけでなく、案内人の役も任せて良いかもしれないわね。今からでも、やってみる? 心配しなくても大丈夫よ、私とリゲルが付きっきりで……」
「…………す、すみません、クラティラス先輩。わ、私、まだ全然自信が持てないんです……!」
前のめりになる私とは正反対に、トカナはしょんぼりと項垂れた。
「完璧なんて、とんでもありません。今日のテストは、たまたまうまくいっただけです。覚えている言葉をそのまま口にしただけで、ちっとも心を込められていませんでした。これじゃダメだと思います。先輩達みたいに、情熱を伝えられるようにならなくちゃ誰の心も動かせません」
確かに、それは私も感じていた。
トカナは説明こそ上手くなったけれども、やはり小手先という雰囲気は否めない。笑顔も営業用スマイルといった味気なさがあり、心からオススメしているようには思えなかった。
練習当初はリゲルの作ったBL用語集にばかり目を落とし、まともに相手を見ることもできなかったのに、トカナは短期間でここまで成長した。私には十分だと受け取れる内容であったけれど、トカナの目標はもっとずっと高いものだったようだ。
私は握ったままのトカナの手に力を込め、静かに告げた。
「私こそ、ごめんなさい。あなたにとってはまだ未完成な状態だったというのに、それを完璧だと称して喜んでしまった。この程度で十分だ、なんて考えて侮っていたと勘違いされてもおかしくないわよね。そんなつもりではなかったとはいえ、失礼なことをしたわ」
「い、いえ! クラティラス先輩が悪いわけではありません。でも、やるからには自分で納得できるレベルを目指したいんです。先輩達のために!」
そこでトカナは、視線を部長席に移した。
そこには、案内所セットの椅子から解放されたイリオスが寛いでいらっしゃる。他にも席はたくさんあるってのに、何でわざわざそこに座るかな? 私専用ポジションだってのに、オタイガーヒップで汚さないでほしい。
「あの……イリオス様、お忙しいことは理解しております。時間がある時だけで構いません。ですから、もう少し練習のお相手をお願いできませんかっ!?」
詰まることもなくはっきりとした声で懇願したトカナだったが、私の手の中で彼女の手は細く震えていた。王子に何度もお願いをするというのは、とても勇気が要る行為なのだろう。
トカナの震えを止めようと、私は手を強く握った。
「私からもお願いするわ。イリオス、トカナの練習に付き合ってあげて。トカナが自信を持てるようになるまで、どうかお手伝いしてくれない? あなた以上の適任者はいないのよ」
イリオスが、無表情のまま私達を見る。その様子に、私は小さな違和感を覚えた。
だって女の子が二人、手を握り合っているんだよ? なのにあの百合ストが無反応っておかしくない?
怪談してるとこに乱入した時は怯えるトカナにも萌えてたはずだし、中身が私だろうとクラティラスなら何でもオッケーだってのはよく知ってるし、かといって固定カプ厨でもないし、百合萌えに枯渇するあまり最近はついに女体擬人化に目覚めて、雄蕊を取り去った花を並べて妄想してるくらいの超百合脳なのに。
「…………わかりました」
間を置いて、やっとイリオスが発したのは、恐れていた拒絶ではなく受諾の言葉だった。
「しかし、これからは二人きりで、というのは無理です。もう文化祭も近いですし、僕も部長として自分の部の方に注力せねばなりません。ですので白百合の部室で皆と一緒に練習するのであれば、少しはお付き合いできます。それに……デスリベ一人で紅薔薇軍団の暴走をおさえるのは、そろそろ限界でしょうしねぇ?」
「アッ、ハイ。イロイロサーセン」
ギロリとイリオスに睨まれるや、私は即座に俯いて詫びた。
やっぱバレてたかぁ〜! だよなぁ〜! 今の語尾、絶対に死ねって言葉とのダブルミーニングだったよなぁ〜!
「ヴラスタリさん、それでよろしいですか?」
「は、はい……ありがとう、ございます……」
イリオスの念押しに答えるトカナの声は弱々しくて、そっと顔を上げて窺ってみると彼女は非常に複雑な顔をしていた。例えるなら、痛みを堪えて無理矢理微笑みを浮かべようとして失敗したような、そんな決して喜んでいるようには見えない表情。
気持ちはわからなくもない。イリオスの今の言い方だと、遠回しに迷惑だと告げられているようにも受け取れるもん。やらねばならないことがたくさんあるという相手を無理に付き合わせることに、トカナは申し訳なさでいっぱいになっているようだ。
かといって先輩である私からもお願いされた手前、やっぱりいいですなんて断れないだろうし……。
こんな時は――――そうだ!
「私、イチゴ牛乳を買ってくるわ。三人で飲みましょう。イリオスもイチゴ牛乳が好きなのよね?」
トカナの手を離して私が立ち上がった瞬間、イリオスも部長席を立った。
「それなら僕がご馳走しますよ。紅薔薇は今期、部費が足りなくて大変な状態なんでしょう?」
このやろ、痛いところを突いてきやがるな。全メンバーの写真入りの部員名鑑、あんなに高くなるとは思わなかったんだよ……最後になるかもしれないから、装丁にまで拘ったからなぁ。
後悔はしてないけど、悔しいからイリオスには絶対見せてやんない!
「そ、それじゃ私が買いに……」
慌ててトカナも立ち上がったけれど、私は上から肩を押し付けるようにして座らせた。
「いいのいいの、トカナは待ってて。うまいこと煽てて、一人十個くらい買わせてやるわ。運びきれなくなったら呼ぶわね?」
「聞こえてますぞー。そんなに買いませんぞー。あんたの分だけは自腹でお願いしますぞー。とっとと行きますぞー」
トカナにだけそっと囁いたつもりが、いつの間にか近くにまで来ていたイリオスにも聞かれていたらしい。
「やだやだウソウソ、待って待って! 私の分も買ってよ買ってよ、イチゴ牛乳ーー!」
そのまま置いて行こうとするイリオスを追って、私も慌ただしく部室から飛び出した。
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