腐令嬢、過去を重ねる


「………泣くくらいなら、諦めるなんて言わなきゃいいのに」



 慰めたところで意味がないと思ったので、私は率直に告げた。



「想うだけでもいいじゃない。それに、まだ届かないと決まったわけじゃないでしょう?」



 けれどロイオンは首を横に振って、私の言葉を否定した。



「あ、相手を想うからこそです。好きだから……っ、彼女の邪魔にしかならないこんな気持ちは、捨てなきゃならないんです……!」


「バカバカしい、綺麗事で飾り立てた詭弁ね。彼女のためと言いながら、傷付きたくなくて逃げようとしてるだけじゃない」



 涙ながらに吐露された彼の決意は、せせら笑いの刃で一刀両断だ。


 だって私、悪役令嬢ですもの。優しくなんてしてやらないわ。



「……っ、クラティラスさんに何がわかるっていうんだよっ!?」



 するとロイオンは、これまでとは打って変わって乱暴な口調で叫ぶと共に私の方を向いた。


 声変わりがまだ到来していない声を激情に荒らげても、それほど迫力はない。しかし眼鏡のグラスの向こう、涙に濡れたヘーゼルの瞳は確かな怒りに燃えていた。



「キミみたいに恵まれた人には、ボクの気持ちなんか理解できないよ! ヴァリティタ様にもイリオス様にも、何もかも敵わないボクにどうしろっていうの!? どれだけ好きになったって、何の取り柄もないボクに振り向いてくれることはないって、嫌というほど思い知らされたのに! 好きな人が他の男のものになるのを見ているしかできないなんて……そんなの、ひたすら惨めじゃないか! なのに諦めずに追い続けろって? 傷付きたくないから、逃げることも許さないって? キミはそんなにボクを笑いたいのかよっ!?」



 やるせなさを怒声と涙で発散するように泣き喚くロイオンに、私は静かに吐息を落とした。



「それじゃあロイオンも、彼女が美人で家柄も良いから好きになったのね? 勝手にスペックで惚れておいて、やっぱり自分じゃ無理そうなのでやめますと投げ出せる程度の想いだったのね? そんな打算に満ちた感情を、あなたは恋だと主張していたのね? だったら想われる側も迷惑よ。諦めた方が相手のためになるわ」



 我ながらキツイことを言っているなーとは思う。だが、このくらいざっくりぶった斬らなくては伝わらないだろう。


 ――コンプレックスの塊になって、大切なものを見失っているロイオン・ルタンシアには。



「私が何故、あなたに協力したと思っているの? 身の程知らずの恋が打ち砕かれる様を嘲笑うためだとでも? バカにしないで、私はそこまで悪趣味じゃないわ。時間を割いて相談に乗ってくれたリゲルも、懸命に協力しようとしたステファニも、あなたはそんな奴だと思っていたの? 皆、あなたの本気に心打たれたから、あなたの想いを何としても叶えたくて応援したのに」



 ロイオンがまた項垂れかけたので、私は彼の肩を掴んでそれを止めた。



「顔を上げなさい、ロイオン・ルタンシア。そうやって自分自身から自信を奪って、蔑むのはもうやめなさい。世の中には確かに、家柄の良い美人に愛されれば自分の価値が上がると勘違いしている男もいるようね。だけど、あなたは違うでしょう? 純粋に恋をしたんでしょう? だったら胸を張りなさい」



 自己嫌悪の沼に浸かって全てを閉ざして諦めた経験が、私にもある。



 その当時ハマったジャンルは、同人界隈の治安が悪いことで有名だった。それでも気にしないと活動開始した私だったが、すぐに質の悪いアンチグループに粘着され、ヲチられた挙句にSNSや巨大掲示板で晒され、身に覚えのないことで叩かれ、結局は疲弊し切ってすごすごと撤退した。


 一番傷付いたのは『あいつはマイナージャンルでチヤホヤされつつ稼げるメジャージャンルを転々とする悪名高い175イナゴだ』と揶揄されたこと。


 175とはその名の通り、動員数の多い流行の旬ジャンルを次から次へと移動して荒稼ぎする奴の蔑称だ。あの罵倒を目にした時は、一つ一つのジャンルに愛を注いでいたのに、どうしてこんな言われ方をされなくてはならないのかと、悔し涙で枕どころか布団までビッチャビチャにした。


 最初は、自分の何がいけなかったのかがわからず戸惑うばかりだった。でもその内に、これだけ疎外されるということは自分が悪かったのだと思うようになった。ただただ自分を責め続けた結果、同人界隈自体が怖くなってサークル活動をやめ、SNSのアカウントも削除した。特にそのジャンルに関連するものは、同人誌も原作漫画もアニメも全て封印した。



 けれど手を伸ばすことすら投げ出して引き篭もっても、光が射せば見上げずにはいられない。



 嫌な記憶から逃げるように暫くはそのジャンルを避けていたけれど、ふとテレビを点けたら原作のアニメが再放送されていた。


 大好きだったカプ二人の尊い姿を見るや――私の目から、滝のように涙が溢れた。


 どれだけ踏み躙られても、好きという気持ちは消えないし変わらない。こんな単純なことまで見失っていたのかと情けなくて、だけど気付けたことが嬉しくて、私は泣き続けた。



 その後、すぐに同人活動を再開したのだが――――あの時のことを思い出すと、今も涙が出そうになる。けれど私はそれをぐっと堪えて、ロイオンに微笑んでみせた。



「コンプレックスは、誰にでもあるわ。でもそれを理由に、恋をした自分を否定してはダメ。それは好きになった人まで貶めることになるのよ。だから諦める前に、せめて好きだという気持ちに誇りを持てるよう、自信を持つことから始めてみたらどうかしら?」



 ロイオンは俯こうとして、けれどそれをやったらまた私に怒られると思ったのか、斜めに首を背けて目を逸らすに留めた。



「で、でもボクなんて……」

「ほら、そういう発言がダメだと言っているの。ロイオン、あなたはとても素敵な人よ。じゃなければ、サヴラがあんなにもあなたに心を許すことはなかったわ」



 再びこちらを向いたロイオンに、私は尋ねた。



「彼女のガードが固いのは知っているでしょう? あなたに見せた笑顔は、嘘だったと思う? 楽しそうにしていたのも、演技だったと思う?」



 少し間を置いてから、ロイオンは真剣な目で答えた。



「思……いたくない。本物だったと、信じたい!」


「私もよ」



 そう言って、私はロイオンの手を取った。


 女の子とほとんど変わらないほど華奢だけれど、指は長く掌は自分よりも大きい。それを両手に包み込むと、彼は軽くたじろいだ。


 しかし構わず、私は手を握り締めたままロイオンを真正面から見つめた。

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