不可視の獣(後編3)
炎が膨らんで、周囲全てを飲み込んでいく。どうやら安全圏らしいここには熱も風も何もかも届かないゆえに、まるて映画を見ているような現実感のなさだった。
「あっははははは! 愉快愉快!」
隣で大笑いしている不動くんの声が現実に引き戻す。
「いっぺんやってみたかったんだこれ!」
……そんな願望持っていたのか。
「さすがに死んだよなぁ?」
「えっと、ちょっと待って……」
近くにあったデパートから双眼鏡を持ってきて、遠くを覗く。こうでもしないとさすがに遠すぎてわからないのだ。
「……………あ」
「ん?」
「炎、食べてる……」
ぺりぺり ぺりぺり
ぺりぺり ぺりぺり
そんな音が聞こえてきそうなほど、体に張り巡らせていた蔦を操り、皮膚に張りついたビニールをとるような手付きで、炎を剥がして口に運んでいた。
「………………………マジで?」
悪食にもほどがある。食べられないものはないのかもしれない。
「…………海に落とすか?」
「飲み干すんじゃないかな…………」
「ちっ、しょうがねえ逃げ回るしか……」
「待って」
不動くんがエンジンをかけようとしたとき、空がおかしくなったことに気づいた。歪んでいる。まるで空が描かれたカーテンが、どこか一ヶ所……あの猪がいるあたりに引っ張られているかのように、青空に皺ができている。
「不動くん、今すぐ目をつむって」
「へ?」
「多分、見ちゃいけないやつだから……」
あの猪は、空すらも食べている。
空が剥がれていく。青空というテクスチャの"向こう"が露出する。それは青空よりも深い青。星が輝く満天の星空と、その中でいくつも重なってゆらめくオーロラ。列を作って行進する青い炎。
そして中央に、大きな大きな門があった。
誰か、いる。ほんの少しばかり開いたその扉の向こうに、"誰か"がいる。こちらに気づいてない、目を向けていない。だけど誰かが、向こうにいることだけはわかる。
猪が、咆哮した。
そして車の屋根の上に、ドンという強い衝撃が走る。
「ああ、もう本当に……」
それは、待っていた声。静かな中に、呆れが少し混じっている。
「"空"を剥がしてしまうとは、悪食にもほどがあるぞ」
車の屋根から地面に飛び降りたそれは、全身が真っ白の男の人だった。
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