癲狂院

 あそこの癲狂院にいる医者は腕がいい、とひそやかに語られていた。


 まだ私が少女だった頃の話だ。都会では既に癲狂院という名は使われなくなり、精神病院と名を変えているところが大半だったが、田舎も田舎、ド田舎であるここになぜか建っていたここはまだ癲狂院という呼称が現役だった。

 そこに入院させたら、どんな恥知らずだろうと、知恵遅れだろうと、狐憑きだろうと治してくれる、とよく話題にのぼっていた。今から考えれば頭のくらくらするようなフレーズが並んでいるが、昭和初期の田舎なんてそんなものだったのだ。

 ただ、腕利きの医者がいるのは本当だった。遊んでいる最中に転んで頭をぶつけ、それ以来「ああ」とか「うう」とかしか言えなくなった山田さんのところの子供をその癲狂院に連れていって一週間ばかり入院させたら、すっかり元気になって戻ってきたという。

 すっかりボケてしまった鈴木さんとこのじい様も、入院させたら頭がしゃっきりして戻ってきたという。

 だからあそこの癲狂院にいる医者は腕がいいとよく言われていた。おまけに田舎にいるにはもったいないほどの美形だと評判だった。たしかに、まるで人形のように顔が整った男だった。

 でも、私はどこか不気味さを感じていた。

 友達の花ちゃんが、あそこに入れられたのだ。花ちゃんは知恵遅れでまるで幼児のようだったが、優しくて笑顔が素敵な同い年の女の子だった。

 花ちゃんの両親は周囲の評判を聞いて、知恵遅れを治すために花ちゃんを癲狂院に入れた。一週間して花ちゃんは戻ってきて、読み書きも計算もできる聡明な子になっていた。

 でも、私には花ちゃんが花ちゃんでないように感じた。読み書き計算ができるのは良いことで、笑顔も優しいのも昔のままだった。なのに、ふとした瞬間によくわからない違和感を覚えるのだ。

 いや花ちゃんだけではない。癲狂院から帰ってきた人はみんなそうだ。賢くなったところ以外で、説明できない違和感があるのだ。

 ……癲狂院の中では何が行われている?

 入院中は両親ですら会えないのだ。どう考えてもおかしい。

 そう考えた私は、こっそり夜中に癲狂院の中に侵入したのだ。薄い雲に阻まれ月明かりすら頼りない夏の夜。肌に伝った汗は暑さからか、緊張からか。

 音をたてないようにそろりと中に入り一つの部屋に入ると、椅子に誰か座っていた。

「なっ……!」

 ここの医者、最初はそう思った。だがよくよく見れば医者にそっくりな等身大の人形だった。あまりにも精巧なそれはまるで生きているかのようで、今にも動きそうなほどだった。

「なんでこんなものが」

 こんなところに、と続きは口から出なかった。


『ドキドキさんのぉ!!!!!! 等身大お医者さんごっこ!!!!!!! 癲!狂!院!編!!!!!!!!』


「うわああああああ!!!!!」

 背後に急に現れたのは、黒衣を纏い、首から上が布でくるんだ丸い何かが乗っている化け物だった。

『ハイ! こちらお医者さんごっことなっております! こちらはですね~このお人形さんと病院を設置するとあら不思議! このお人形さんが動いてお医者さんをやってくれるよ! よかったね!!!

 癲狂院編なので、脳みそをちょちょっとするのが得意なお医者さんです!!!!!!!

 ……ドキドキさんのほうが上手いもん!!!』

 顔が布の塊のくせにいやに饒舌なこの化け物は隣の部屋に手を伸ばし、ずるりと寝ている患者を引きずり出してきた。そしてその患者を机の上に置くと、どこからか取り出した刃物で、患者の頭を骨ごと一刀両断した。

 患者の頭は血の一滴も流れることなく開きになる。そして化け物はそこからぶるぶるとした丸みを帯びたものを取り出すと、ゴミ箱へ『シュート!!!』と叫びながら投げ込んだ。

『そしてここに新しい脳みそを~~ちょちょい!』

 そしてどこからか取り出した、先程と同じようなものを頭の中に入れて閉じて、糸で縫う。

『あとは一週間経てば頭もくっついて~~新しいこの人がこんにちは!』

 ようやく明かりがついて、患者の顔が分かった。隣の村の、最近ボケてきたと言うどこかの家のじいさまだ。

「新しい……この人?」

『そう! ドキドキさんがさっき取り出した脳みそ……脳みそってわかる? 知恵と心の塊だよ。それを交換したんだぁ! 動きが鈍いやつから、速いやつにね!』

 知恵と心の塊を……交換した。

「ねえ、じゃあ、花ちゃんは……」

『花ちゃん? この間来た子かな? うーん、人の定義って難しいけどぉ』

 少し考えるような手の動きをしたあと。

『"心"がその人の本体なら、その花ちゃんはよく似た別人だね! だってドキドキさんが交換しちゃったから!』

「………………!」

 愕然とした。花ちゃんが交換された? さっきみたいに、ごみ箱に捨てられて?

「返して! 返してよ! 花ちゃんを返してよ!」

『や~~だよっ。だってドキドキさんのお客さんは君でもここの患者でもなくて、その家族さんなのさあ。

 知恵遅れ、ボケ老人、その他もろもろを抱えてこの先どうしようってなっている人がぁ、今のドキドキさんのお客さんなの! だからそんな人たちを大切にしなきゃ!』 

「………………………」

『君はいいよぉ。ただの友達でしょ? 家族は死ぬまで自立できない人たちを養わなくちゃいけないんだもん。大変だよお。そんな人たちのためにこんなものを作ってみました! ハァイ!』

「わけがわからない? 納得できない? そうだよねえ?」

 顔(のようなもの)がぐいっと近づいてくる。

『大丈夫! 君も、大人になったら絶対に分かるから!』 


 それ以降、あそこに行くことはなく、大人になると都会にでて村にはろくに寄り付くことはなかった。あんな化け物がいる村には帰りたくなかった。

 そうして年が経て、結婚して、子供ができて、成長して、その子供が結婚して、孫が産まれて………………

「お母さん……この子、ちょっと……おかしいみたいなの」


 私は……どうするべきなんだろう。

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