妖精のヒソヒソ話

 家賃がやたら安いボロアパートに引っ越した。


 静かな夜だ。なんせこのボロアパート、住民が自分しかいない。夜は落ちついて過ごせる。そう思っていた。

『よかった。この部屋は寒くもないし明るいわ』

『そうねえ良かった良かった』

『ここに住みましょう』

「ん?」

 微かな声。ヒソヒソ話のようなそれは、辛うじて耳に届いた。テレビもラジオもつけていない。他の住人はいないから他の部屋が発信源でもない。

 それ以来『何か』の声が届くようになった。


『あのニンゲン、ご飯に焼いた卵を乗っけてるわ。美味しそうよ』

『今度やってみましょうか』


『あそこの家、美味しい木の実がなってるけど、犬がいるから怖いわ』

『あら、では夕方に行きましょう。犬は散歩に出ているから』


『雨がすごいわね』

『でもここなら平気ね』


 日常的で、ささやかな会話。その声がするようになってから、物の配置が若干変わっていることもある。

 最初は気になっていたが、近頃は当たり前の存在になった。うるさいわけでもないしBGM代わりのようなものだ。

『ああ、そういえば、聞いたかしら?』

『聞いたわ聞いたわ。ご近所から聞いたわ』

 また何か話してる。謎の存在にもご近所付き合いはあるらしい。

『あの家のニンゲン、またニンゲンを殺めたそうよ』

 …………。


 あの家、とは通勤するときに通る道にある、白い壁の家。中古で売り出されていた一軒家に、誰かが一人で住んでいる。ご近所付き合いがないボロアパート住民である自分はそのことぐらいしか知らない。

 謎の存在のヒソヒソ話を信じるのもどうかと思うが、

「…………」

 それでも、庭先にある真新しい盛り土が、随分と不気味な存在に思えてきた。

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