蝶々
私の妹は正直に言って、だらしない人間だった。
学校も仕事も遅刻が多い。私生活でもそうだから、妹の友達はもう妹が遅刻してくることが前提でスケジュールを組むくらいだ。男関係も入れ替わりが激しくて、彼氏が運命の人とか言ってた割に、翌日は別れたと言っていた。そして三日後には新たな運命の人と出会っているのだ。そういう人だ。
そんな妹が、最近徐々に“まとも“になってきた。とっかえひっかえだった男性関係も落ち着いてきて、遅刻もしなくなってきた。汚かった部屋も片付けるようになって、食事も三食きちんと摂るようになった。家族も妹の友人もえらく驚いたが、妹は「男にいい加減飽きてきた」「職場の健康診断の結果が悪かったからもっとちゃんとしようかなって」とそれらしいことを言う。
まあいいかとみんな言っているうちに、妹が死んだ。
原因不明の心不全。だが妹は昔から夜更かししがちで、遊びで徹夜することも珍しくない。慢性的な不摂生が体にダメージを与えていたのだろう。今更矯正したとしても遅かったのだ。もしかしたら妹も無意識で自分の体の限界を感じ取っていたのかもしれない。だから“まとも“になりかけていたのだ。
葬式の日、妹の友人が別れのために棺を開けたときだった。
「きゃっ」
小さな声。みんなが注目すると、ひらりと小さなものが宙を泳ぐ。
虹色の蝶。
正真正銘、七色の蝶がひらりひらりと飛んでいき、部屋から外に出て行った。
「棺から出てきて……」
声をあげた人が言っている。何かで読んだことがある。蝶は、人の魂の象徴であると。
「あの子、なのかしら……」
母が、呟く。蝶はちょうど窓の外を泳いでいて、青く広い空へとひらりひらりと自由に飛んでいった。
「こんにちは、死神さん」
「おや、久しぶりだねぇ千花ちゃん」
三島千花。それが私の名前。そして私には霊感がある。だから、一見公園で休憩中のただのサラリーマンに見えるこの人が、人のフリをした死神さんだということも分かる。
「休憩中なの?」
「ああ、今は“蝶“が戻ってくるのを待っているのさ」
ひらりひらりと飛んできた七色の蝶が、死神さんの指に止まる。
「死神さん」
「須藤アキラって呼んでくれよ。せっかく人間の世界用の名前があるんだしね」
「須藤さん、その蝶はなんなの?」
「こいつはね、寄生する蝶だよ」
須藤さんはポケットから小さい瓶をだして蓋を開ける。蜜のような甘い香りのそれに蝶が引き寄せられた。餌だろうか。
「こいつに寄生されるとね、我欲が減って、まあ簡単に言えばちょっとした乱暴者やだらしない人が、そこそこ礼儀正しい“普通の人“になる。
俺はこいつを人に寄生させてたんだ」
「そんなことしてどうするの?」
「善人の魂をあの世に連れてくと上司からの評価が上がるからねえ。かといって殺しちゃうのは最悪だ。クビになる。その上そもそも善人の魂なんてそうそう簡単に見つからない。
だから体が弱ってるような人間にこいつを寄生させてちょいと“まとも“にしてやって、そいつの魂を連れていくのさ。そしたらその辺の人間をそのまんま連れて行くよりマシってもんさ」
「ふうん、寄生されるなんて、なんだか怖いな」
「そうだねえ。でも大丈夫! こいつを寄生させるには夜に……おっと、君みたいな女子高生には刺激が強い話だ!」
「つまり、いやらしいことをするんだね」
「あっはっは、まあそういうこと! ダメだよ君も、大人になったら知らない男と一夜限りの関係なんて結んじゃ! 何を仕込まれるか分かったもんじゃない!」
わざわざ人間の世界用の体を用意してるくらいだ。この人は霊感がない人にも普通の人間に見えるだろう。
「さてそろそろ行かないとねぇ。次の予定がある」
「魂の回収?」
「それは蝶が指定の場所に連れてってくれたから大丈夫。頭いいんだよこいつ。
次の予定はね、デート」
見せられたスマートフォンの画面には、女の人と会う約束を取り付けている場面。
それはすなわち、次の蝶の寄生先。
「じゃあね~」
ひらひら手を振る、黒スーツの死神さん。その周囲を、虹色の蝶がひらひらと飛び回り、初夏の風とともに背中が遠くなっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます