引っ越し先

 引っ越しをした。大学進学にともない、大学近くのアパートで暮らすことにしたのだ。通おうと思えば通える距離だが、近いにこしたことはない。


「やっぱりいつまでも親といっしょってのもやりづらいでしょ? 経験積むために一人暮らししなさい。親のありがたみを知りなさい。生活費はある程度出すけど、贅沢したかったらバイトでもしなさいよ」

「うん」

「あとお友達と彼氏作りなさい」

「…………………」

 お父さんの「まだ早いんじゃないか」という抗議は黙殺され、一人暮らしが決定した。


「ふぅー……」

 残りの段ボールはあといくつなんだろうか。夜になり、引っ越し業者も手伝いの父母も既に帰り、今は部屋に一人だけだ。BGM代わりのよく見るテレビ番組の音声も、今はなんだか上滑りする。

(不動くん来るのかな……)

 引っ越しを教えてはいない。教えなくても来る気がするしなんだったらいつの間にか近くの部屋で住んでいそうだ。なんなら初日から突撃してこないのは意外だったくらいには思っている。どんなに顔が良かろうがいろいろとメンタル面で我慢をしていようが、思えばストーカー気質にはストップをかけていた記憶がない。


 ピンポーン


「はいはい」

 疲れた体を引きずりながら玄関のドアを開ける。

「あ、すみません隣のものなんですけど」

「……ああ、はい」

「明日こちらに引っ越す予定でしてうるさくなるかもしれないんですけど」

「はい」

 ドアの向こうにいたのは全く知らない人。明日隣に引っ越してくるらしい新しい隣人。……結局荷物が片付く前に不動くんが来ることはなかった。

 右隣はサラリーマン。左隣は水商売風の女の人。上の階は漏れてくる音から察するに多分引きこもりのゲーマー。下の階にはおじいさん。

 ……数日暮らした結果、不動くんがいつの間にか引っ越してきているといったようなことはなかった。

『あそこの新作飲んだ~~』

『おいしい?』

『甘い』

(……引っ越したのって言ったほうがいいのかな)

 SNSでやりとりをしながら、思う。

(……言ったら負けな気がする……)

 何の勝ち負けかはともかく自分から言ったら負けな気がする。なんの勝負かはまったくわからないが多分負けな気がする。

『あとこれキャンペーンだって~~貰った』

 飲み物を模したマグネットの写真がつけられている。

『かわいいね』

『じゃ~~あげる』


 ガコッ


 玄関のポストから硬い音がした。何も言わず、一応チェーンはかけて、ドアを開ける。

「おはよぉ」

「……もう二、三日早く来てたら引っ越し手伝ってもらったんだけど」

「悪い悪い」

 ケラケラとした軽薄は笑みはいつものものだ。どこで買ったのかよくわからない派手なシャツをきた不動くんが隙間から私を見下ろしている。

「俺も引っ越しでさぁ」

「ああはいはい。それで斜め右上なの斜め左上なの斜め右下なの斜め左下なの」

 上下左右は埋まっているのだから来るのはそこだろう。しかし不動くんは「斜めぇ?」と疑問符を浮かべている。

「俺は隣」

「? 隣はもう別の人が……」

「隣の部屋じゃなくてぇ、隣の家」

 外に直通する廊下に出て、ごつごつした指の先を見れば、やや古びた一軒家がある。

「借家? わざわざ?」

「いや。親戚ン家だけど、住んでた婆さんが去年ガンで死んでさあ、誰も住むやついないんだって。でも取り壊す金もねえとか言うからさ~、家賃タダで住ませて貰えた。去年から合格したら3月にここに引っ越しとは決まってたけど向こうの都合でなかなか細かい日付決まんなくてさあ、言えなかった」

「…………へー…………」

「俺が近くの部屋に越してくると思ったぁ?」

 ニヤニヤとしているのを黙殺して足を踏んでおいた。相変わらずびくともしないが。

「家賃タダなのは魅力的だから三島がどこで暮らすにしてもこっちで暮らしつつ通い婿しとけばいっか~~って思ってたけど、隣のアパートなんてラッキー」

 ……仙台市にいくら空き物件があるのかわからないが、私のほうがその中からたまたま不動くんの隣に引っ越したようだ。

「へえ……すごい偶然」

「偶然とか冷たいこと言うなよ~~」

 長い腕が私の肩に回る。

「運命って言って♡」

「………………」

 何も言わず、褐色のほっぺをつねっておいた。

 勝ちか負けかで言えば、多分負けだと思う。

 

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