完全自殺読本

 「完全自殺読本」という本があった。


 90年代に一大ブームを巻き起こし、今も版を重ねている「完全自殺マニュアル」とは別のものだ。むしろそのブームに乗っかって作られたパクり本だろうと推測できる。

 それゆえにマイナーであり、一部のマニアが所有するくらいだ。ブームにうまく乗っかれたのか、何回か重版をしている。

 かつて、そのブームの渦中で語られた噂があった。

 「完全自殺読本」は初版とそれよりあとの版では「おすすめの自殺スポット」の内容が変わっており、初版の内容こそ、本当に"死ねる"場所だと。

 現実の富士の樹海には「完全自殺マニュアル」がよく落ちているらしい。当然自殺者が携帯してきたものだ。

 逆に言えばそれだけ有名であるともいえる。事実、樹海を歩き、そういう遺体を見つけることを趣味にしたマニアもいるので、自殺できたとしてもマニアに観賞されるはめになる可能性がでてくる。

 だから、死にたくて、そしてマニアの楽しみにもなりたくない自殺者は、もっと他人が知らないような場所にすがる。


*****


 「完全自殺読本」を手に入れた。古本屋で初版と二版を両方見つけてしまったのだ。しかも場所が自分の家と近い。

 死ぬ気なんてないとも。いやたしかに未遂はやらかした経験は多数だし、情緒不安定だし、でもようやく好きな娘とお隣さんになれた幸せを手放す気はない。

 ……いや、三島には霊感があるから俺が死んでもコミュニケーションはとれるかもしれないが、家族とは話せなくなるしな、うん。

 何より、気になるのだ。なんせ初版だけに記された場所は、山の中などではなく仙台市の町中なのだ。

「いや見つかるだろ……」

 たしかに家がまばらで人も通らないエリアだが、ここで首でも吊ろうものならすぐに臭いで発見されそうだ。けれど、本には「絶対に見つからない禁断の場所」と書かれている。

「えー、なになに」

 記されているのはとある廃屋の裏手。たしかに木々に囲まれて周りからは見つかりにくいだろうが……。

 携帯が鳴った。

『あのさ、今どこにいるの』

 不機嫌そうな三島の声だった。

「えっと、ちょっと野暮用」

『死にたくないならとっとと戻って』

「………え、あ、はい」

 バレてる。言ってないし、本は隠してたのに。

『声がうるさいの……ああ、もう……』

「は? 声?」

『久しぶりの大きいごはんだってうるさいの。食べていいかって聞かれたから一応止めたけど、ずっといると多分危ないからとっとと帰って』

「?」

 戻ろうとする俺の横を、ドブネズミが横切った。ネズミはカサカサと枯れた葉を突っ切りながら、どこかへ向かおうとして、止まった。

 まるで底無し沼にハマったかのように、ずぶずぶと地面に沈んでいく。キーキーと鳴きながら抵抗していたが、やがて全身がずっぷりと沈んで鳴き声すら聞こえてこなくなった。

「わーあ……」

『なに?』

「いや、ネズミがさあ」

『わかったでしょ。そこにいると死ぬし誰にも見つけられないけど、それでいいの?』

「帰りまーす」

 一目散に逃げ帰る。こんなもの出版するんじゃねえと三島には愚痴ったら、文句言える立場じゃないでしょ、と冷たい目で返されてしまった。


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