“飛び降り自殺“の正体

 私は“飛び降りマンションの噂“の正体を知っている。


 十年前、一人の少女が病気を苦にしてマンションから飛び降り自殺をした。それ以来、そのマンションではその子が死んだ金曜日の午後五時になると、屋上から飛び降りる幽霊が視え、バシッという肉を叩きつけた音がするという。

「本当だって! うちあのマンションだもん! 本当に金曜日になると音がするし、見た人もいるんだから!」

「えーほんとー?」

「マジだって! 実際、死んだ子が飛び降りたあたりの近くの部屋、誰か入ってもすーぐ引っ越しちゃうんだから! 気味が悪いって!」

 そんな見知らぬ女子高生の噂話が聞こえてきた。北町の飛び降りマンションの話だ。うちの近くだから、私も噂は知っている。

 そして、私は霊感があるから知っている。

 金曜五時に飛び降りる幽霊がいることは本当だ。そして、みんなは気付いていないけど、その飛び降りる幽霊は毎回性別や年齢が違っていて、更に縄で縛られ猿ぐつわをされているのだ。

 あれは少女の飛び降りの再現ではなく──捕らえられた人たちが、落とされているのだ。


「こんにちは、半透明の鬼さん」

『……なんだ、肉付きの人間か』

 金曜午後五時。飛び降りマンションの屋上、ではなくその落下地点。バシッという音とともに幽霊さんが叩きつけられた直後の現場。数分後に現れたのは、首に大きな数珠をかけた半透明の鬼さんだ。立派な一本の角があって、痩せていて、肌は黒に近い灰色。上半身は裸で、腰から下に簡素な布を纏っている。そして、半透明。まるで、幽霊さんみたいに。

 肉付き、というのはきっと肉体がない魂だけの種別である半透明の鬼さんの世界における、肉体を持つ生き物の俗称なのだろう。

『俺が視えるってことは普通の肉付きじゃねえんだろうが、なんのつもりだ』

「気になったの。なんで金曜日の午後五時に、人間の魂を落としてるんだろうって」

『ふん、暇なんだな』

 鬼さんは地べたに座って透明の大きな袋を広げた。腰に括り付けていた複数の瓶から液体や粘着性の高い何かを取り出し袋に入れる。そして最後に残っていた瓶から葉っぱを取り出して袋に入れ、手でかき混ぜた。

『料理だよ料理。人の魂の香草漬けだ』

「人の魂って美味しいの?」

『珍味だな。癖があるから苦手なやつも多い。俺は好きだがな。酒のアテにいい。犬猫よりも食い出があるし、熊だの鹿だのより鈍くて捕まえやすい。その辺にいるしな』

「高いところから落とすのも、調理の一環なの?」

『ああ。あの高さから落とすと、いい具合にぐちゃぐちゃになって、舌触りが良くなる』

 鬼さんはひき肉みたいになっている幽霊さんを袋の中に入れ始めた。幽霊さんは半透明で色も薄いから直視できるけど、これが生きてる人間だったら目の端に映すことすら躊躇うほどのグロテスクな光景だったと思う。

「なんで金曜日の午後五時にやってるの?」

『験担ぎみたいなもんだ。ここから落とすと美味いって偶然分かったのが、この時間だった』



『あ?』

 何言ってるんだこいつ、という目をされてしまった。 

「十年前に女の子が飛び降り自殺してから、金曜日の午後五時になると飛び降りの音、もとい、あなたの調理の音がするから関連あるのかなって」 

『十年前……ああ、あの女か』

 魂を入れ終えて袋を揉みながら、答えてくれた。

『俺がやったんじゃねえよ。だってたまたま通りかかった俺の目の前に落ちてきたんだからな。

 肉が弱い女だったんだろうよ。普通なら肉がダメになっても魂が出て行くだけなのに、そいつは魂すらぐちゃぐちゃになってた。ちょうど腹も減ってたし、食ったら混ざり具合が最高だった。

 だから作るんだよ。もっと美味いものを目指してな』

「そうなの。誤解してごめんなさい」

『変なガキだ』

 鬼さんはこちらに目をくれずに袋に更に調味料らしきものを追加する。しかしその手が、ピタリと止まった。

 一瞬。本当に一瞬だった。ワープしたかのように、私の目の前にきた。顔は向こうの鼻と私の鼻が合いそうなくらいに近くに。

『お前、まさか俺のおこぼれを頂戴しようっていうんじゃねえだろうな』

 ギョロギョロした目玉が私を見る。鬼さんの目は黒い。黒いけど、これだけ近づくと、黒目の部分が普通の黒目ではなく、トンボのような複眼であることに気付いた。複眼の鬼もいるのか。また一つ賢くなった。

「私は人間だから魂は食べられないよ」

『……ああ、まあそうか』

「お邪魔してごめんなさい。さようなら、半透明の鬼さん」


 私はその場から離れる。何気なく袋を見ると、そのとき袋に入れられたであろう何者かの瞳が、じっと私を見つめていた。


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