アイドル生活
ある日いきなり、女になった。
「んあ~……」
俺は競馬新聞を真剣に眺めながら呻く。あの馬に賭けるか、この馬に賭けるか。あれこれ賭けるのは趣味じゃない。買うのは三連単一枚のみ。
「頭冷やすか……」
ペットボトルから水を飲んで一息つく。
「あ~、ケツかゆ」
服の上からではもどかしく、下着に手を突っ込んで痒いところを掻いていたところ「はあ~……」と深いため息が飛び込んできた。
「ユカリちゃんさ……君、女の子でしょ。アイドルでしょ……」
「ああン?」
俺は今しがたため息をついた男、つまり俺のマネージャーの須藤にガンをつける。たしかに俺は今話題沸騰中のアイドル、鏡ユカリだ。顔はかわいいし、ツインテールだし、胸はあるし、服もかわいらしいアイドル衣装だ。今いる場所も楽屋だ。
それがどうした、こんな体になる前はホスト崩れの無職の「男」だったのだ。ある日いきなり不思議な目に遭って、女の体になってしまった。それを知っているのは俺自身とクソ眼鏡マネージャーの須藤だけだ。
「なりゆきでアイドルやっちまってるし人気もでたし、外ではきちんとアイドルやってやるけどよぉ……こんなテメー以外誰も見てねえ部屋の中ぐらい好きにさせろ」
「この間思いっきりヤンキー座りでタバコ吸ってたの週刊誌に撮られて炎上してたの誰だっけ」
「あれは収まったからいいじゃねえか」
オタクってのはくだらねえことに興味津々らしくて、タバコごときでぎゃあぎゃあ言いやがる。だから開き直って仕事終わりのタバコタイムがいかに心安らぐかをブログで長文で説き、長年趣味で書き溜めてたタバコレビューも解放し、ついでに競馬のことも書いたら炎上は収まった。むしろなぜかファンが増えた。
「俺のオタクだってんならくだらねえことでぎゃあぎゃあ喚くんじゃねえっつーの。愛せ、全てを」
「まあ、結果的に一般層にも人気が出たのはいいけどね……。
でもさ、気をつけてよ。人気が出たからこそ、危険なこともある」
「キモオタとかか? 殴りゃいいだろそんなの」
「そうじゃなくて、ほらユカリちゃんは見た目だけは小柄でかわいい女の人でしょ。平たく言えば、そんなユカリちゃんと一発ヤりたいって素行の悪いやつがいるんだよ。芸能界に」
「はあ~~~~~~~~~? 金玉潰すぞそいつ」
「いるんだよね……人気出たてのアイドルに手出すのが好きな奴……んで、時にはその子のアイドル生命潰しちゃうの。でも知らん顔」
「事務所仕事しろや」
「事務所だって24時間は見張れないし、どんなに注意してもいつの間にか心奪われて、過去そいつと繋がった女の子がどんな目に遭ったかってどこまで説明してもね、全然聞いてくれない」
「おー怖い怖い。どんなスゲェちんぽ持ってるんだよ」
ゲラゲラ笑うと、須藤は呆れたような顔をしている。
「ともかくこいつに気をつけてよ……ユカリちゃんに目つけてるっぽいし」
須藤が差し出したスマホには、人気俳優の氷川セイジの画像が表示されていた。
******
人の人生を壊すのは楽しい。
枕営業をせずに、地道に仕事を続けて人気が出てきたアイドルや女優をAVに堕とすときの快感は、言葉に表すことはできない。
「また一人AVに堕としたって?」
友人がワインを飲みながら俺に問う。俺はニヤリと笑って肯定した。
「ああ、正真正銘処女喪失シーンをAVで全国にお披露目だ。見物だったよ。あいつの面も、ファンの阿鼻叫喚も」
まあ“後ろ“は俺が先にさんざん弄んでるんだけどね、と付け加える。
「しかし淫魔の力、ね。よく手に入れたなそんなの」
「オカルト趣味がこんなことに役に立つとは思わなかったよ」
小さな頃からオカルトが大好きだった。子供向けのオカルト本に載っていた悪魔を呼ぶ呪文を隠れてこっそり唱えたりしていた。
大人になっても変わらず、むしろどんどんディープになっていったオカルト趣味だが、ある日古本市で一冊の“本物“の本を手に入れて俺の人生は変わった。“ドキドキさんのオカルト教室 思春期編“という子供向けのようなふざけたタイトルだったが、なぜか妙に惹かれて購入した。
結果として、俺は本の通りに行動し、淫魔を召喚することに成功した。そして、望みを一つ叶えてくれると言われ、願ったのだ。人を淫らにする力を、と。
「またなんでそんな」
「仕事は成功して金はある。だったら望むのは、暇つぶしの遊びだ」
あくまで貰ったのは淫魔の力、人を淫らにすること以外には使えない。逆に、淫乱にすることに関しては恐ろしいほどに強力だ。
「真面目な女を淫乱に堕とすのは楽しいよ。だって体は淫らでも頭は真面目のままなんだ。こんなことおかしい、ありえない、そう思いながらも自分の性欲にあらがえない。
仕事がいっしょになって俺が連絡先を聞いたとき「女性を弄ぶのが趣味の方には教えません」ってつっぱねた女がさあ、「なんで、なんで!?」って困惑しながら、金で雇った小汚い男との初体験で絶頂を迎えたときの絶望した顔といったら……ふふっ」
「やれやれ。で、次は鏡ユカリか」
「ああ。ああいう色恋とは無縁そうなのは堕としがいがある」
「あんな見た目はかわいいけど、中身はボーイッシュ通り越して男、いやオッサンみたいなのがねえ……」
「だからこそ面白いんじゃないか。“女“になったら、どうなるのかなって」
俺は、残ったワインを一飲みする。
「どんなに中身が男でもね、この力を持ってすれば性欲に逆らえなくなるんだよ」
「あのー、何の用っすか」
収録を終えて、ホテル。俺は共演してた鏡ユカリを自分の部屋に呼び出した。
「言っときますけどォ、あんたにゃー気をつけろって事務所がうるせーんで。俺……じゃねえ、私があんたのちんぽに負けると思うなよ。このAV女優製造機」
「すごい自信だね」
「正直テメェに抱かれた女の気持ちがわからねえよ。良いところは見てくれと演技力だけじゃねえか」
「おやおや、過去の女の子を悪く言っちゃいけないよ。君も今からそうなるのに」
「はあ?」
呆れたような声を出す。もう遅い。淫魔の力で、ユカリは淫乱となった。
「……っ!」
ユカリは膝をつく。
「おやおやどうしたのかなぁ?」
屈んでユカリの顔を覗き込む。こうやって、じわじわと困惑が広がっていく顔を見るのも一興だ。
「……テメェ、俺に、何を……」
「さあ、何だと思う? クスリじゃないよ」
「俺に、手ぇ出すとはな……エラくなったじゃねえか、藤嶋ぁ……!」
え、と口から声が出る。なぜ急に、俺の本名を。
ユカリの小さな手が、女のものとは思えない力で俺の顔を易々と掴む。まるで予定調和のように。まるで俺が近づくのを待っていたかのように。
その瞳に困惑の色などなく、ギラギラとしている。
(まさか、効いてたフリ!?)
「久々にやってやるよ……先輩の手ぇ噛む頭悪ぃ後輩への……お仕置きってやつをよおおおお!!!!!!!」
一瞬の間もなく、膝が俺の鼻に叩き込まれた。猛烈な痛みの中、ふと、中学の厳島先輩のことを、思い出した。
「へー、ユカリちゃんってヤンキーだったんだ」
「そういやホストより前の話はしてなかったな」
一服。美味い。
床にはさんざんプロレス技をかけられてズタボロになった氷川セイジ、本名藤嶋祐一が転がっている。それを眺めているのはマネージャーの須藤だ。
「い、厳島先輩……なんで……アイドルなんかに……しかも……女に……」
「それは俺も言いてえ。テメーも淫魔?とかいうのと会ったことあんだからわかるだろ。不思議な事が起こったんだよ不思議なことがよォ」
「ぎゃっ」
「こらこら根性焼きはやめなさい」
ふん、と藤嶋に蹴りを一発入れる。
「中学ンときはまあ、ヤンキーで、似たような連中とつるんでたんだよ。んで、こいつは後輩」
「す、須藤、あんたのことは信用してたのに……」
「あっはは、オカルト趣味の人間が全員悪趣味だと思わないでよ」
「?」
「ああ、この人がユカリちゃんを狙ってるのは噂で聞いてたからね、オカルト趣味を通じて、友達になったフリして情報集めてたのさ」
「須藤……」
お前、そんな、もしかしたら危険な目に遭うかもしれないのに、俺のために。
「ユカリちゃんにはもっと馬車馬のように働いてもらって、僕のお給料になってもらわないとね。こんなところでちんぽ奴隷になられちゃ困る」
「須藤ォ!」
やっぱクソだわこいつ。
「さてと、君の持ってる危険な本、“ドキドキさんのオカルト教室 思春期編“は回収させてもらうよ。やー、こんなのバラまれたら困るなぁ。僕の本業的に」
「あと俺にかけた淫魔の呪いとやらも解けや。さっきから女とヤりたくてしかたねーわ」
「は、はいっ」
夜は深い。もう日付が変わる頃だ。夜風を浴びながら、月明かりの下での一服というのも趣がある。
「ユカリちゃん、こんなとこにいたの」
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、各色の蝶が一羽ずつ、合計七羽の蝶が象られたブローチが電灯の光を浴びて輝く。須藤がいつも胸につけているものだ。
「ふわ、そろそろ寝ようかなとは思ってた」
「そうだね。氷川セイジ……藤嶋のほうがいいかな。彼はもう淫魔の力は使えないようにした。自動的に過去の女性にかけられた淫魔の呪いも解けるでしょ。
あとは彼には追加で僕からちょっとしたお仕置きもしといたから、もうふざけたことはできないはずだよ」
「ふーん、お疲れさん」
何やったかは知らんが、この陰険のすることだからそれなりに酷い目には遭ってるだろう。
「はー、結局男に戻る方法は分からねえか」
藤嶋には妙な魔法のような力があるという噂を聞いて、期待して近づいたんだが。
「淫魔はねえ、ちょっとカテゴリが違うね。例の本も読んだけどその点においては収穫ゼロだ」
「ったく、骨折り損だ」
煙を吐く。吐いた煙が月を隠した。
「男に戻りたいの? アイドルの仕事、好調なのに」
「ったりめーだ。こちとら三十年近く男だったんだぞ。だいたいアイドルだって食うためにやってるだけで────」
タバコを携帯灰皿に押しつけたところで「きゃー!」と女の声が聞こえた。バタバタと集団がこっちに走って向かってくる。
「も、もしかして鏡ユカリちゃんですか!? あの、私たちファンで! ラジオ、毎週聞いてます!」
「はぁい! ユカリだよっ! ラジオ聞いてくれてたの? ありがとぉ!」
飲み会帰りの大学生っぽい女の集団に囲まれて、笑顔で対応してメモ帳にサインをする。
「女の子が遅くなっちゃダメだぞ☆」
「ありがとうございます!」
女たちの背が見えなくなったころに、須藤が口を開いた。
「……諦めたら」
「やだ」
「君はもう立派なアイドルだよ」
「うるせえ」
「今のファンサービス、良かったよ」
「黙れ」
「ちんちんがない生活にも慣れたでしょ?」
「うるっっっせーな! 戻るったら戻るんだよォー!!!!!!
だいたいテメーはいつもユカリちゃんユカリちゃんって、俺には玄吾って名前がだなァ!!!」
日付もとっくに変わった真夜中のホテルの中庭に、俺の怒号が虚しく響いた。
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