祈りで織られた幻想の檻(後編)
「うう…………」
クラスに入ると、笹木さんがいた。自分の席に座って泣いている。机にはバカとか死ねとか、そういう乱暴な言葉がマジックで書き殴られていた。昼間の笹木さんの机には、そんなものなかったのに。
そして、笹木さんの周りを『何か』が囲っていた。
『───────』
『──────────』
『何か』は人間大の灰色の粘土の塊のように見えた。それらが複数、笹木さんの机を囲っている。わずかながらも蠢いていて、何か音を発している。それは声というより本当に「音」としか言いようがないもので、そこからメッセージ性を感じとることができない。けれど笹木さんは粘土が何か音を発するたびに泣いたり、謝ったり、うめいたりしていた。まるで粘土の言葉が分かるかのように。
「笹木さん」
「ひっ!?」
「不本意だけど、迎えにきたよ。本当に不本意だけど」
粘土は体をよじって、こちらを見ていると解釈できる動作をした。だがそれ以上はなにもしてこない。
「みし、ま、さん……?」
「早くこっち来てくれないかな」
こっちだって助けにきたくて来たわけじゃないのだ。本当に事情があってしょうがないから来たのだ。
「た、助けてくれるの? 私もうずっと、ここから出られなくて……」
「だから早くこっち来てよ」
笹木さんはよろよろとこっちに来る。粘土はただ、こちらを見つめるのみ。
「学校から帰ってお風呂入ってご飯食べて……いやに眠かったから早めに寝たの。そして目が覚めたら何故か学校にいたの」
廊下を歩きながらぽつりぽつりと語る。目を覚ましたあと、笹木さんはいじめられっ子になっていたという。
不動くんが率いるグループにいじめられて、誰も助けてくれない世界。そして学校から逃げようにも何をしても出ることができなくて、ずっとずっといじめられていたという。
「さ、さっきも不動くんたちに囲まれていじめられて……見たでしょ!?」
「私には人間大の粘土にしか見えなかったけど、笹木さんにはそう見えてたんだ」
「粘土……?」
「それで、いじめね。机に落書きされたとか?」
「うん……」
「悪口言われたとか?」
「うん……」
「物を捨てられたり汚されたりしたとか?」
「うん……」
「それは全部あなたが昔誰かをいじめるときにやったことだったりする?」
「…………っ」
笹木さんの足が止まる。図星か。
「さすがに信じると思うけど、私には霊感がある。だからなんでこんなことになったのかもわかる」
「な、なんで……」
「窓の外見なよ」
窓の外は暗い。暗い暗い窓の外に、白い何かがべっとりと貼り付いている。
それは、とてもとても白い手だった。手のひらには、ぎょろりとした目玉が埋め込まれている。
「ひぃ!」
「怯えなくてもいいよ。多分貼り付いて眺めるくらいしかできないから」
白い手は一本じゃない。何本も何本も、木の枝のように絡み合って、外から窓を囲っている。
「な、に……あれ……」
「多分ね、あなたが今までいじめてきた子たち」
「え……?」
「あなたは多分今まで多くの子をいじめてきて、相当恨みを買ったんだろうね。そして何人も何人も、たくさんの人があなたが不幸になりますようにって。
そして『ここ』は作られたの」
ここは学校じゃない。学校と同じ場所にあって、学校によく似た、学校じゃない『何か』だ。
「ここはあなたを閉じ込めるためだけに作られた虚構の学校。あなたを不幸にしてほしいという祈りで織られた幻想の檻。あなただけには絶大な力を発揮して、あなただけでは絶対に出られない。その代わり他者には無力で、だから私が……派遣されたんだけど」
私だって別に助けたくはなかった。けれど私は霊感のせいで教室にいる間は四六時中、笹木さんの泣き声が聞こえてくるのだ。鬱陶しすぎる。
「それに『学校の管理者』さんが、偽物の学校があることをすごく嫌がってたから」
「かん……りしゃ……?」
地球儀の異形頭。学校を管理する者。それ以上のことは知らない。ただ怒らせたらとても怖いことは、なんとなくわかる。
『管理者』さんはいつも手にボードを持って、生徒たちを採点して、『適格』か『不適格』か見極めている。明確な基準はわからないが滅多なことでは『不適格』にはならない。それでも何か大きなことをやらかして反省もなかったら、『不適格』になってしまう。そして『不適格』になった子は消えてしまうのだ。姿が消えるだけではなく、学校にその子が在籍していたという記録も、そんな子がいたという記憶すら消える。友達も、先生も、クラスメイトも、先輩も、後輩も、親も、みんな忘れ去ってしまう。その子の持ち物も、いつのまにか消えて『いなかった』ことになる。私のような霊感持ちだけが、微かな残滓をとらえてしまって、みんなが忘れてしまったようなことを記憶するはめになる。
『管理者』さんは、常に見ている。常に判定している。
(だからこんな面倒なことを引き受けたんだけど……)
明確な判定基準がわからない以上、『管理者』さんの利になることをするのが妥当だろう。『管理者』さんは、その性質ゆえに簡単には学校から出られないようだ。
(困ったときに助けてくれたりするし、悪いお化けではないんだけどな……)
仲良くはしている。それでも、あの辣腕は恐ろしい。
「ともかくさっさとここから出よう」
「あ、あの手は、大丈夫? 外にいるけど……」
「ああ」
チラリと窓の外を見る。白い手は、張り付くだけ。
「そういうことができる子たちならとっくに襲われてるし、そもそもこんな大がかりなことにならないから」
もし仮に被害者の子たちに襲いかかれるような力があったとしたら、こんなことになる前に法律か、それとも別の方法か、ともかく現実的な手段で事は済んでいたのだ。
校門を出ると、薄い膜を通り抜けたような感覚があった。振り返ると、後ろにあるのは無人の暗い学校。通りにいるのは、散歩する人と、仕事帰りの人と、酔っぱらいだけ。
白い腕は、どこにもいない。
「戻っ……た……?」
「そうだね」
「た、助かった……………」
笹木さんが座り込んだ。
……まだ何も解決してないし、これからなのに。
「……ねえ笹木さん。確認だけどさ、これから私のこと、いじめたりしない?」
「しないよ! 助けてもらったし……どうしたの?」
「だってまだ何も終わってないもの」
がさり、と校庭の木々が揺れた。その隙間から、白い腕が一本、二本、三本。ただしこちらには腕は伸びてこず、葉を揺らすだけ。
「なっ……」
「今は襲ってこないよ。
これから大事な話をするね。笹木さんはさ、なんで今さらこんなことになったと思う? いじめやってたの、中学生か小学生のときなのにさ。さすがに高校生になってからはまだ私以外には手をつけてなかったでしょ?」
「え、わ、わかんない……」
「それはね、笹木さんが弱ったから」
「弱った……?」
「不動くんに遊ばれて、怯えて、心が弱くなった。かつてのいじめられっ子たちよりもね」
結局いじめられっ子はいじめられっ子なのだ。各々事情はあるだろうが、この程度の人を現実的な手段で解決できなかった子たちなのだ。そういう弱い子たちが集まっても、今まで何もできなかった。ただ恨みながら見てることしかできなかった。それでも数は多いから少しずつ強くなっていって、そして笹木さんが不動くんたちからのいじめを恐れて心が弱くなったことで、ようやく笹木さんよりも強くなった。
「今は、助けられたことで少し回復したのかな。拮抗してるかんじだと思う。姿は見せれても、襲いかかってこないもん」
「ど、どうにかならないの!?」
「ならないよ。私にお化けを追い払う力はないもん。さっきのも、『管理者』さんが偽物の学校へ入り口を繋げてくれたから、そこから入ってただ連れ出しただけだよ」
「これからどうしたらいいの……」
「簡単だよ。良い子でいればいいんだよ」
「え………」
「言ったでしょ。今は拮抗してるって。これ以上向こうが強くなったら笹木さんの負け。次は誰もこれないようなところに連れていかれるんじゃないかな。つまりもう笹木さんは、誰からも恨まれるような真似はしちゃいけない。
そして同時に、笹木さんが今より弱くなるようなこともダメ。だから今回みたいに、誰かに目をつけられていじめられたりしてはいけないってこと」
「なっ……」
「良い子でいればいいんだよ。いじめはしない。余計なことをして不興を買わない。簡単でしょ」
「…………………………」
もっとも、今までやったことない生き方にいきなり切り替えることが簡単なことかどうかは別問題だが、私には知ったこっちゃないだ。
翌日、学校。
「三島ぁ、お・は・よ~」
朝から男のとろけたような声を聞いた。自分よりはるかに大きくて性格が良くなさそうな男が全力で媚を売ってくるのは少し怖い。
「おはよう。……怖いんだけど」
「えー、怖いわけないじゃんこんな色男がさあ」
ケラケラと笑っているこの男、笹木さんよりもずっとどうしたらいいのか分からない男だ。
「………………………」
当の笹木さんといえば、黙って机に座っている。本を読んでいるようだが、怯えるようにチラチラ周りを見て、全然ページが進んでいない。
(悪目立ちしてる気がする……)
それを教えるような義理はない。
(あ、『管理者』さん……)
廊下を外を通っていった。『管理者』さんはこちらを見て一礼すると、またいつも通りにボードに何かを書きながらゆっくりと学校を歩き回っている。
「不動~、ちょっとこっち来い」
「なんだよ」
友達に呼ばれて不動くんがようやく離れていった。やがて先生もきてホームルームも始まり、いつもの朝が始まる。不動くんはいつも通りで、笹木さんは怯えながらも大人しくしていて、『管理者』さんは学校の見回り。特に大騒ぎはしていない、穏やかな日々。それを見守るのは、窓の外を覆う満開の桜たち。
ではなく。
「…………………………………………」
笹木さんが弱らないかどうか、窓に張り付いてじっと待っている、私と笹木さんにだけ見える無数の白い腕。桜なんか、ちっとも見えやしない。
「……………………やだな」
ぼそりと小さく呟く。霊感は早々に高校生活に禍をもたらした。きっとまた何かが起こって、中学のときのように不登校になってしまうのだ。
大学生になっても、社会人になっても、きっと同じように。
「死んじゃおうかな……………」
誰にも聞こえないように、本当に本当に小さく呟く。憂鬱な高校生活が、本格的に始まってしまった。
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