笑顔と愛想
「あなたはかわいいからいつもニコニコしてればいいの。そしたらお友達がたくさんできるから」
お母さんから、いやお父さんや親戚からもそう言われて育ってきたが、生来笑顔を作るのは苦手だった。
かわいいものを見たりとか、良いことがあったりとか、自然に出てくる笑顔はいいのだ。でも意識して"ニコニコ"することがどうしても不得手だった。鏡を見て練習しても、どうしてもひきつったような不自然な笑みになるのだ。いっそ無表情のままのほうがいいのではないかというぐらい。
「千花ちゃんって本当にお人形さんみたい」
それは誉め言葉でもあり蔑む言葉でもあった。人形のように整った顔立ちだが、その顔はいつもすましてツンとしている。
昔から、友達というものはいなかった。それは生来持っている"霊感"による世界の視え方の違いが原因の大半を占めているが、笑顔を作れないのも原因の一つではあった。
仮に完全に"視えないフリ"ができても、愛想のない女は人間関係で苦労するのだ。
小学一年生のときだ。私は結局誰のグループにも馴染めず一人で本を読んでいることが多かった。
「三島、今日は何の本を読んでいるんだ?」
「あ、加島先生……」
私は真っ赤になった顔を隠そうとして俯いて、本と顔がくっつきそうになった。
加島先生は若くてかっこよくて優しい男の先生で、女子から人気の高い先生だった。私のそのうちの一人で密かに恋心のようなものを抱いていた。
「きょ、今日は、えっと、怪盗のお話です」
「怪盗! いいなあ、先生よりかっこいいだろう!」
「え……」
一瞬、止まった。言おうか言うまいか悩んだ。
「せ、先生のほうが、かっこいいです……」
「お、ありがとう!」
頭を撫でられて、ますます顔が赤くなる。汗すらかいてきた。朝一番にそんな出来事があって、その日はずっと夢心地だった。
「ねえ、千花ちゃんって加島先生のこと好きでしょ」
「え……」
放課後、クラスの派手な女子のグループに話しかけられた。
「ち、違う……」
「嘘つかなくていいよ! 朝の見てたもん。顔真っ赤だったよ!」
「う……あ……」
恥ずかしくて逃げ出したかったが、既に女子の一人に肩を捕まれて逃げられなかった。
「私たちもね、加島先生のこと好きなの。ね、仲良くしよ?」
「誕生日におめでとうって言ったりバレンタインにチョコあげたりするの、一人じゃ恥ずかしくても、みんなと一緒ならできるでしょ?」
だから、友達になりましょう、と。
「い、いいの……?」
「いいよ! みーんな加島先生なこと好きな仲間だもん!」
純粋に嬉しかった。ちゃんとした友達ができるかもしれないチャンス。
ああ、笑わなきゃ。こういうときは、笑顔で挨拶をしたらいいのだ。口角をあげるのだ。目尻を下げるのだ。
「よ、よろしくね……」
「千花ちゃんの笑顔、変なの」
ぴた、と頭の中が凍った気がした。
「緊張しなくていいよ! 友達なんだしさ」
「う、うん……」
「でも、絶対に守らなきゃいけない約束ごとがあるの」
「約束?」
「抜け駆けは、禁止。それさえ守ってくれれば、ずーっとお友達だから!」
「うん、わかった」
私とその子たち、茅野ちゃんをリーダーとしたグループは友達になった……はずだ。
茅野ちゃんたちの話はよくわからないことがあったけど、みんなが読んでるファッション雑誌や少女漫画の雑誌をおこづかいを使って買ったり、来ている服をみんなが好きそうなものに合わせてみた。トイレにみんないっしょに行くのもよくわからなかったけど、付き合った。
追い付きたかった。普通の子に。みんなと視える世界が違っても、全てが違うわけじゃない。アイスの味や、心に響く音楽や、通学路にある百合の花の香りは共有できる。せめて、それで世界と繋がっていたかった。私はある意味で盲目の人と似たような立場にいたが、それで全てを諦める気にはなかった。目がだめなら他でみんなと"楽しく"なりたかった。
「千花ちゃん、変なの」
ときどきからかわれるように笑われるのは、まだ自分が追い付けていないから。霊感に踊らされて周囲と距離をとっていた数年間分の負債があるから。
だからそれは仕方ないことなのだ。
「ねえ、みんなでバレンタインに加島先生にチョコを贈ろうよ!」
1月の末頃、茅野ちゃんがそう言い出した。元から加島先生を好きという点で集まったグループなので、なんら不自然なことではなかった。
「じゃあ、私の家で作ろ! うちはキッチン大きいから! それまでに、材料それぞれ必要なもの用意してね」
茅野ちゃんがそう言って、茅野ちゃんの家でのチョコ作りが決まった。
(ええと、お菓子作り用のチョコと……入れ物と……)
土曜日。私はチョコ作り会のために必要な材料を買っていた。基本のレシピは茅野ちゃんから回ってきたのでそれとアレンジとして加えて良さそうなもの、そして包装を各々買い、当日持ち寄るのだ。
「雨………」
買い物を終えたときには、折り畳み式の傘では対抗できないほどの激しい雨が降っていた。ショッピングモールの入り口で、ただただ不安げな顔で空を見上げる私に、聞きなれた声が声をかけてきた。
「三島じゃないか。今日は一人で買い物か?」
「か、加島先生……」
うそ、なんでこんなところに。
いつもスーツを来ている加島先生の私服でのラフな姿を初めて見た。スーツの先生はもちろんかっこいいが、スッキリしたシルエットの服の先生ももちろんかっこいい。あわあわして口が回らなくて「かっこいいですね」とようやくそれだけ口にできた。
「雨ひどいな。俺の車に乗っていくか? 家まで送るぞ」
「えっ、い、いいんですか……」
「いいよ。どうせ一人で寂しかったしな」
みるみるうちに顔が赤くなったのが自分でわかる。ハハハ、と笑う先生の顔を見ることができず、ただうつむき、雨で濡れた床を眺めていた。
加島先生の車はよくあるシンプルな軽自動車だった。車内は掃除されていて、フロントガラスの助手席のあたりにはぬいぐるみがいくつか並べられている。
「車にはこだわりがないけど、あんまりなんもないのもさみしいと思ったから」
「か、かわいいです……」
「そうか? よかった。
三島は今日は何を買ったんだ?」
「えっと……チョコです。バレンタインの」
「へえ、誰?」
「ひ、ひみつ……です……」
まさか本人に言うわけにもいかなかった。抜け駆け禁止のルールもあるが、そもそもこんなところで急に告白まがいの行為もできるわけがない。
「はは、そりゃそうか。上手くいくといいな」
「はい……」
先生は大人で、私たちは小学生。うまくいくことは決してないだろう。ただ、バレンタインにチョコを送りたいという気持ちがある。自己満足なのだろうが、それでも私には前に一歩進めたようで、少し嬉しかった。
「……なんで"抜け駆け"したの?」
「え……?」
休み明け、グループの子みんなに呼び出されて、そう問い詰められた。
「先生の車に乗ってたの見たよ」
「あれは……たまたま会って送ってくれるって……」
「一番最後に仲間に入れてあげたのに、一番最初に抜け駆けするとかひどいじゃん」
そうだよ、そうだよ、と他の女子が追従する。
「茅野ちゃんが先生のこと一番好きなんだよ」
女子の一人が言った。
「茅野ちゃんに謝りなよ」
そうだよ、そうだよ、と。
謝りなよ、と。
茅野ちゃんは、こちらを睨み付けている。
「ご………」
私は、私は。
「ごめん……なさい……」
私は、私のどこが、何が悪くて謝っているんだろうか。
「100点は三島だけだ。みんなも見習うようにな」
「…………………」
テストのあとにそうやって誉められるのも、なんだか最近は嬉しいよりも居心地の悪さが強い。
それでも、バレンタインは近づいてくる。謝って、また前のようにグループの端っこに収まった。
「こんどのチョコ作り会、みんなで待ち合わせして集合してから私の家に行くから」
「うん」
集合場所と時間を聞いて、当日は念のため一時間前から待っていた。
「……遅い」
集合時間を過ぎても、誰もこない。周囲を見回したけど、誰一人としていない。集合時間のメモを見たが、場所も時間も間違っていない。
私は、誰の連絡先も知らないし、誰の家も知らない。
しょうがなくその日はとぼとぼと帰った。
「どうして来なかったの?」
休み明けに、こちらから聞く前にそう問い詰められた。
「行ったよ。けど誰もいなかったし、誰の連絡先も知らなかったから……」
「どこに行ったの?」
集合時間を伝えると、クスクスと笑われた。
「なにそれ、全然違うじゃん」
正しい集合場所だと伝えられたのは、全然違う場所。聞き間違いなんて絶対に起こり得ない、本当に全く違う場所。
「勘違いしてみんな心配させたんだから、謝りなよ」
「……そっちが伝え間違えたんじゃないの。勘違いするのもありえないよこんなの」
「なにそれひどいよ! ちゃあんと伝えたもん。
もし違って聞こえたのなら、抜け駆けばっかりする子に罰が当たったんだよ」
「………………………………………」
「抜け駆け禁止なのに、千花ちゃんばっかり先生に誉められてるじゃん!」
「それは……勉強してテストで……」
「千花ちゃんかわいい服着ていっつも目立っててさ」
「ぶりっこは痛いってみんな言ってるよ」
「千花ちゃんあんま笑わないし、無理していっしょにいなくていいんだよ、別に」
「……………………………」
「ぶりっこもしないし、抜け駆けもしないって約束して、ちゃんと謝るならまたグループに入れてあげる」
「…………………………………………」
「……三島、女子とケンカしたのか? 最近また一人でずっといるじゃないか」
「……いえ、一人のほうがやっぱり合っているので」
「一人が落ち着くって気持ちもわからなくないけど……友達がいないのは、先生心配してるんだ」
「……………………………………」
結局、私は前のように一人に戻った。当然それは先生の目にとまる。
「怒ったり叱ったりしないし、勝手に女子たちにどうこうしたりもしない。ただ理由を教えて欲しいんだ」
「………………いえ、合わなかっただけです」
そう、合わない。お互いに、ただそれだけのことだ。ただ向こうのほうが多くて、口も達者だった。
「合わない、か……」
「…………………」
「ともかく、先生も三島がずっと一人なことを心配してるのは分かってほしい。
三島は口下手だからしゃべるのは苦手だろうけど……」
「…………………」
「三島はお人形みたいにかわいいんだ。ニコッと笑顔でいれば、友達もすぐできるさ」
「……………………………………」
私はお人形みたいにかわいい女。
人形の顔は、変わらない。
一人で帰宅して、ご飯を食べて、お風呂に入って、宿題をして、一人部屋でぼんやりとする。
実はこういうことは初めてではない。幼稚園でだって似たようなことはあった。私は馴染みたくてがんばっても、どうしても誰かの輪に入ることはできなかった。原因は仏頂面だったり霊感だったりいろいろだけど、結局私のコミュニケーション能力の低さが原因の一つではある。
私は顔が整っていて、成績が良くて、運動神経だって悪くはない。家はきれいで、毎日美味しいご飯を食べられて、お父さんとお母さんは優しい。
幸せなはずだ。幸せなはずなのだ。世界で私より不幸な人はたくさんいる。
なのに、自分が幸せだと確信が持てない。……なんとなく、ただ存在するだけで、つらい。
鏡を見て、笑顔を作っても、その顔はどこかひきつっていて不自然だ。笑顔の作り方を調べて、こっそり練習しても、どうしても違和感が拭えない。
笑顔でいれば友達ができると家族も先生も言っている。けれど、私は笑顔を作れないし、人と人とのやりとりもうまくできない。会話をしていても「楽しい」より「大丈夫かな」という不安が強い。
人と相対する技術が、何もかも他人より劣っている。
私は……これから、心の底から幸せだと感じるようなことがあるのだろうか。
*****
「俺が見た目で心を奪われる男なら、会った瞬間ひとめぼれしていただろう! お前は美しい女だ!
俺が都合の良い女を求めていたのなら、心を奪われていなかっただろう! お前は風に舞う桜の花びらののごとく捕らえがたい!」
そうして高校生になって……朝から不動くんに口説かれていた。もはやいつものこととなっている。
「しかし俺は一目惚れはせず、だがお前に心を奪われた! 俺はお前の外面ではなく優しさも不器用さも強さも虚しさも全て引っくるめて愛している!」
手品でも使ったのか、パッと手の中に花が現れる。本物ではなく、紙で折った花だ。幼稚園児が作るようなものではなく、複雑な折り方で作られたものだと一目で分かる緻密で美しい作り物の花。
「そういうわけで、俺ら付き合わない?」
「ホームルーム始まってるよ」
淡々と告げる。先生もクラスメイトも唖然としながら見つめている。
「なんだ時間切れか」
不動くんはそれを一切恥じることなく大人しく席に戻った。微妙な顔をしていた先生が、ようやく口を開く。
「不動、お前……」
「?」
「すごいな……」
「そうでしょうそうでしょう」
本人は満足げだが多分そんな表情をする意味での「すごい」ではない。不動くんといつもつるんでいる男の子たちは笑っている。
「ばーか」
「うるせー」
「あー……ホームルーム始めるぞ」
おそらく何を言ってもノーダメージであろう不動くんの行動を担任の先生は不問としてホームルームを始めた。
私はさっきの紙の花を慎重に慎重に開いていく。
……婚姻届だった。そういえば、不動くんは今月で18歳、つまり結婚ができる歳になる。まあ、こういうことする子だよな、ととりあえずそれを畳んで机のなかに閉まった。
それを見られていたのか投げキッスをされたがそれは流した。
高校生になっても相変わらず私は笑顔を作るのが苦手で、いっつも仏頂面だ。それでも一応友達はできた。向こうは友達の範囲を飛び越えたいようだが。
あいかわらず同性の友達はいないし霊感は憂鬱の種だし、幸せかはともかく、あの頃よりはまだ……心が軽い、そんな気がする日々を送っている。
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