漢字

 いろいろあって妻が亡くなり、父子家庭となった。


「ふぅ」

 日曜日。掃除を終えて一息つく。異動前の部署では考えられないのんびりとした生活だ。

「ん?」

 トタトタトタ、と小さい足音。ドアが開く音とともに、子供が二人リビングにやってきた。

「かんじー」

「漢字?」

 幼稚園児の息子と、その友達。いずれも紙とクーピーを持っている。

「ぼくのなまえの、かんじおしえて」

「おれのもー!」

「いいよ」

 黒いペンで紙に「御山睦音」と「不動日陰」と書いてあげる。どちらも幼稚園児には書くことも難しいだろう。

 子供たちは紙を持って二階の部屋へ戻っていった。字の練習だろうか。ひらがなカタカナが書けるようになったばかりだというのに、子供の成長は早い。

 そうだ、おやつを持っていってあげよう。

「おやつの時間だぞ」

「わーい」

「プリン! プリン! プリン! プリン!」

「プリンではないなあ」

 足元を、息子の友達である日陰くんがぐるぐると回る。

「日陰くんはプリンが好きなのかい?」

「すき! 御山とねー、ともだちになったときにプリンたべてたの! だからすき!」

「そうかそうか」

 いいお友達を持ったなあと思いながらクッキーの箱を開いてミニテーブルに乗せる。

 テーブルの上と床の上には、紙が散乱していた。歪みに歪んだ自分たちの名前の漢字。やはり「御」「睦」「動」「陰」に苦戦しているようだ。

 一枚一枚見ていると、別の漢字も交ざっていることに気付いた。

 「死」「殺」「苦」「酷」

 そういった不穏な字が、ところどころ混じっている。しかも、大人の字で。

「なあ、この漢字は誰が書いたの?」

「おねーさん」

 息子はそう答えた。お姉さん?

「おっぱいでかいねーちゃんがかんじおしえてくれたんだよな!」

「うん。おねーさんがいたの。なんかしゃべんなかったけど」

「そういえばいなくなってるなー」

 なんだ? 不審者なのか?

 不穏な字が書かれた紙はたくさん散らばっている。

「いっぱいかいてくれたよ」

「おとなのひとにわたしてって!」

 言って、紙束を渡してきた。


*****


 遠目にマスコミがいることを確認して、息子の手をひいて別の道で帰ることにした。

 近所で起きていた、監禁事件。攫ってきた女性を一軒家に監禁、暴行していた事件だ。恐怖で一時的に発声障害を起こして、しゃべれなくなっていたという。

 女性は、夢を見ていたという。

「ふらふらと道を歩いてて……誰に話しかけても無反応で、夢だって分かったので、助けをよぼうとか思わなくて……。

 それで、なんとなくキレイなお家に入ったら、中にいた男の子たちに話しかけられて、しばらく、いっしょに遊んでました。漢字を教えてくれって言われて……。しばらくして、なんとなく夢から覚めそうな気がしてきて……嫌だなって……もし、なにか、奇跡が起こったらって思って……」

 大人の人に渡して、と助けを呼ぶ手紙を書いたのだ、と。

 女性は捜索願が出されており、警察に手紙を渡して捜査が始まり、結果犯人は逮捕され女性は解放された。

 女性は最初から最後まで鍵のついた部屋にいて外出などできなかった。だがあの手紙や部屋に散らばっていた紙に書かれた漢字は、たしかに女性の筆跡だという。

 お化けだのなんだの、非科学的な話は信じていなかったが。

(あるのかな……幽体離脱とか……)

 そんなことを思いながら、息子の手を引きつつ、帰り道を歩んでいたのだ。



 

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