ドキドキさんのなんでも裁縫箱

 三ヶ月ほど前のことだ。自室の机の中に、裁縫箱があった。


「…………?」

 見覚えのない裁縫箱。dokidoki-san.comという刻印がある以外は、ごくごく普通の無地の裁縫箱。

「なにこれ……」

 全く身に覚えがない。自分の裁縫箱は小学生のときに家庭科で手に入れたキャラクターものの物だ。親兄弟も裁縫をするタイプの人間ではないので、他の家族のものとは思えない。

「……まあいいか」

 どうでもいいことだ。そんなことよりも今は、友人の早奈子のことのほうが重要なのだから。


「…………」

 翌朝、一人で学校に登校する。周りは多数の生徒が同様に登校しているが、自分みたいに一人でいるのは少数だ。

「でさ、姉貴には悪趣味って言われたけどやっぱ傑作だと思うんだよ」

「面白いけど、あれは人選ぶからね。薦めるなら、前の作品のほうがいいと思うよ」

 褐色肌で体格のいい男の子と、お人形さんみたいな女の子が並んで近くを通りすぎた。私は少しだけ歩くのを遅くして、二人が通りすぎるのを待つ。

 別に彼らのことはよく知らない。同級生だったような……そうでなかったような。そのくらい縁遠い人たち。ただ、ああいう美形の人たちはきっとクラスの上位の存在だろうし、そういう人間のことは例えどんな善人でも引け目を感じてしまって、すぐに距離をとってしまうのだ。

 そんなのだから、友達はいない。

 いや、いた。少し前には、いた。

「で、新しいコスメ買ってどうだった? 帰ったら試してみたでしょ?」

「発色最高! 全部あのシリーズに買い換えちゃおうかな」

「いやでもあのシリーズはリップはいいけど……」

 少し離れた位置にいる女子たち。その中に、元々は友達だった、早奈子がいた。

 早奈子は昔からの幼馴染みで、オタク友達でもあった。コミュニケーションに不安があるもの同士、ずっとずっと仲良くしてた。

 ……そんな早奈子が、そんな状況をよく思わず、「脱オタ」を決心した。話し方の研究をして、おしゃれをして、部活に入って友達を作って、明るくなって。

 そして、私と学校で話さなくなって。

 SNSでいまだに漫画やライブの話をしたりはする。けど、学校ではまるでもう絶交したみたいだった。だから私は、いつもひとりぼっち。

(やだ……)

 前みたいに、もっと二人で。


「わ、私も悪いとは思ってるよ……」

「…………」

 放課後、早奈子を空き教室へ呼び出した。

「でもやっぱりあのままじゃ良くないと思うしさ……愛奈も学校でだけでも脱オタしたら? 楽しいよ!」

「私はそういうの興味ない。……学校で話しかけるくらいいいよね?」

「いや……レナたちは愛奈のことよく知らないし……」

 目が泳いでいる。焦っている。

 努力して入り込んだクラスの上位グループの不興は買いたくない。けどすがりついてくる幼馴染みを足蹴にするほどのことはできない。そんな半端な顔。

「……ふーん」

「あ、いやその……」

「……八方美人って、どうかと思うけど」

「ご、ごめん! ね、ねえ、お母さんとかには言わないで! うちのお母さんが聞いたら絶対怒るから……」

「そんなのこっちの勝手でしょ!」

 すがりついてくる早奈子の手を振り払った。それだけのつもりだった。

「…………え?」

 乱れた机。乱れた椅子。そして早奈子が、頭から血を流して倒れている。

「ちょっと……嘘でしょ」

 早奈子はピクリとも動かない。揺さぶってもなんの反応もない。

「ねえ……ねえ……」

 なんの、なんの反応もない。遠くから響く部活の音が余計焦燥感をあおる。この日常の音から、置いてきぼりにされそうな気がして。


 がたっ


 背後からの音。誰か来たのかと怯えながら振り向くと、机の上に無地の裁縫箱が乗っていた。

「え……」

 本来自室にあるはずのそれは、触れてもいないのに蓋が開き、中かから黒スーツの男が出てきた。

『じゃ~ん! ドキドキさんで~~~す!!!』

「ひっ」

 黒スーツを纏った男。なぜか首から上には通常の頭部ではなく、デフォルメされた心臓のぬいぐるみが乗っていた。体積とか大きさとか軽々と無視して全身を裁縫箱から抜き出すと、私に話しかけてきた。

『いや~製作途中のものを人様の家に間違って送りつけちゃうなんて失敗失敗! ごめんね!! 説明書もな~んもつけてないからドキドキさん自ら説明しにきたよ!!! 回数制限つけてないけど……まあいいや!!!! サービス!!!!!』 

「な、なに、なに、なに……」

『はいこちらはね! なんでも裁縫箱! この中のはさみで壊れたものをチョキチョキ切ろう! 中に綿を詰めて、この針でスイスイ縫っちゃおう! するとなんでも元通り! ぬいぐるみも! 鉄も! 愛も! 夢も! なんでも!!!』

「…………」

 ……ああきっとこれは夢だ。夢なんだ。あまりにも、非現実すぎる。

『ちょうどここに壊れたものがあるねぇ~』

 怪人は、早奈子の頭を掴んだ。

『君が壊しちゃったんだね~。サービスとしてお直しするよ~!』

「…………っ!」

 怪人は早奈子の頭にはさみを入れる。まるで紙を切るかのようにすいすいと切っていき、ぱっくりと早奈子の頭が割れた。それだというのに血も流れず肉も見えない。ただ暗闇が見えるだけ。

『ここに綿をつめまして、ちょいちょいっと、そしてあとは縫いまして完成!』

 早奈子の頭をあっという間に縫い閉じた。不思議と縫い目は空気に溶けたかのように見えなくなる。

「う……」

「早奈子!?」

 そして早奈子は呼吸を開始した。眠っている。

『ふふふこれがこの裁縫箱の力。とくと見たね? ね? 便利ね?』

「は……はい……」

『で、君はどうする?』

「え?」

 手に、はさみを乗せられた。

『これは持ち主の思い通りに「直す」裁縫箱だから、なんでも好きに直すことができるよ。例えばこの子がよく遅刻する子だったら、絶対遅刻しない子に「直す」こともできるよ』

「…………っ!」

『ねえ、君はどうする?』


*****


「でさー」

「えー、それキツいっしょ」

「早奈子」

 体育の時間の直前。早奈子が他の子といっしょに話してたところに割り込んだ。

「これ早奈子のでしょ。落ちてたよ」

「ありがとー」

 アクセサリーを返すと、礼を言われた。

「仲いいよね」

「幼馴染みだからね」

「いいなーあたしそういうのいないなー」

 そんな話をしていたときに、体育の先生がやってきた。

「はい、じゃあ二人組作ってー」

 迷いなく、早奈子は私の手をとった。

「じゃ、やろっか」

「うん」

 それはいつかのときのような、いやいつかのとき以上に穏やかな日々。


 私は間違っていない。きっと、間違っていないのだ。

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