(前編)俺の性嗜好はいつも好きな女の子にぐちゃぐちゃにされる

 俺の性嗜好はいつも好きな女の子にぐちゃぐちゃにされる。


*****


「あ」

 それはいつも、まるで発作のように突然にぞくぞくと体を駆け巡ったあとに、頭を支配しようとしてくる。

 雨の日に、俺の部屋で三島と二人きり。三島は本棚の前でしゃがんで、さっきまで読んでいた漫画の次の巻を探している。髪と髪はうなじで分かれて、そうして白いそれが露になる。

 白い首。

 自分で容易く手折れそうな細くて白い首。

(落ち着け)

 頭の中で唱えるがそれで落ち着けたことなんて一度たりともなかった。いつもいつも自分で自分の肉を切り裂いて、痛みで踞らないと止められないのだ。

 だから。

 いつもポケットに入れている、カッターを。

「何してるの」

 三島が目の前に立っていた。ベッドに腰かけてポケットに手を入れている俺を見下ろしている。

「すごい汗」

「あ、いや……」

 するりと細い手が俺の手に触れた。右手は左手と、左手は右手と。白くて細い指が俺の日に焼けたような色のごつい指と絡んでいる。

 ポケットから取り出すはずだったカッターは、床へ落ちて転がった。

「あ……」

「カッターと私、どっちのほうが大事?」

「三島……」

「そう」

 無感動な声。部屋は静寂。だが発作のような加虐心と、抑えようとする理性のせいで、俺の心臓の音はいやにうるさい。

「いい子」

「…………」

「紐とかないの」

「ビニール紐ならあるけど……」

 そして三島はビニール紐の在処を聞き出すと、俺をベッドにうつぶせに転がしてから、紐で俺の両手の親指をまとめて結ぶ。ついでに腕と足もそれぞれ縛られた。

「こうすると動けないんでしょ」

「あー……」

 ほんとに動けねえなこれ。さすが古くから伝わる拘束方法だ。

「仰向けになっていい? 三島の顔が見えねえ」

「いいけど」

 仰向けになると整った無表情とようやく再会できた。そう思った瞬間、腹部に衝撃が来る。

「……なんで俺の腹に座ってんの」

「重石。……別にそんな重くないけど」

 重くないけど、と二回言われた。それなりに気にしてるようだ。別に太ってはいないしむしろ細いほうだと思うけどな。……胸もないけど。

「落ち着くまで座ってるね」

「わあ……なんのプレイだこれ……」

 軽口叩くくらいには落ち着いたが、まだ無意識に手は紐をほどこうともがいている。まだだ。まだだめだ。

「……前から思ってたけど」

「ん?」

「体格いいよね」

「ああ、鍛えてるし……」

「……………」

 ……急に脱がされた。羽織っていた上着の前を開かれ、タンクトップを胸の上までまくりあげられる。

 えっ、何これ。やらしいやつ?

「……詰め物とかしてると思ったんだけど」

「いや、そんなことするねえだろ……」

 三島はまじまじと俺の大胸筋を見て眉間に皺を寄せる。まあでかいのは認める。タッパもあるし、鍛えてるから当然でかい。

「……私より大きかったら許せないんだけど」

「何比べてんの……」

 コメントはそれだけに留めておいた。多分、俺の胸囲は三島の胸囲よりは大きい。三島の胸はなだらかだから、なんかもう見た目で分かるのだ。霊感少女だろうがなんだろうがその辺三島は普通の女の子と同じ感性を持っている。すなわち、そこに触れたら良くないことになるのだ。

 そしてこういうときの女の子というのは黙っているとなぜか向こうから言及してきて、コメントしにくい問題ゆえにこちらが言い淀んでいるとキレるという理不尽な存在なので、静かにしているのは悪手だ。こういうときは話題をそらすに限る。

「何俺の体ずっと触ってんのさ、三島のえっち」

「何言ってるの」

 だって経験上、胸のサイズのことで怒らすくらいなら別のことで怒られたほうがマシなんだもん。なんで乳のことになると女の子って死ぬほど理不尽になるの? マジで。

「急に脱がされるからえっちなことされちゃうのかなーって、俺ドキドキしちゃったあ。ついに2年ぶりに童貞失うのかなーって」

「童貞の意味を辞書で引きなよ」

「はぁい」

 よっしゃ胸から意識が逸れた。今なら過去の女関係掘り下げられても良い。

 あっでも元カノの胸のサイズには触れてほしくない。だってだいたい巨乳だし。俺巨乳好きだし。

「……縛られて座られてドキドキするんだ。マゾ?」

「えー、何、俺目覚めちゃった?」

 乳の話になんなきゃマゾ疑惑でもなんでもいい。そんな風に思っていたら、胸にぴりっとした痛みが走った。

 三島が爪で俺の体を引っ掻いている

「え、三島……」

「いじめられるの好きなんだ。私にはよく分かんないけど」

 三島が俺に覆い被さる。どんどんどんどん顔が近づいてきて、キスされるのかと思った。けど額と額がごちんとぶつかって、そこで顔が止まる。

 三島の長い髪がぞろりと垂れて俺の頭の周りをカーテンのように覆う。元々二人きりの部屋なのに、もっと狭くて、世界に他に何もないような錯覚に陥る。

「いじめてあげようか」

 小さく、呟かれた。

「……冗談」

 言って、三島は顔を上げて俺から降り、ベッドの空いたスペースに腰かける。

「三島」

「何」

「ごめん」

「?」

「勃った……」

「…………………………………………」

 そういや俺、三島に思いっきり噛まれたときに好きになったんだよな。もしかしてほんとにマゾなのか俺。

「痛い痛い痛い痛い痛い!!!!!」

「海綿体骨折だっけ」

「分かってんなら止めようぜ三島!!!」

 やっぱ痛いのとか最悪だマゾじゃねえわ。服の上からとはいえ、固くなったあれをあり得ない方向に曲げようとするの止めてほしい。

「痛え……」

「ふぅん」

「離婚ものだわこれ……」

「結婚した覚えないんだけど」

 すぐ離してくれたから幸い愚息は無事……だと思う。多分。ちゃんと確認したいけど縛られてるからそんなことはできなかった。

「縮んじゃった」

「そりゃ縮むわこんなん」

「マゾじゃないんだね。残念」

「残念!?」

 俺に何を求めてるんだよ。

「だって私を殺そうとするより、私にいじめられて元気なほうがまだマシでしょ?」

「そりゃあ……………まあ………………………………」

 嵐のような加虐心はいつの間にか消え去っている。三島の首を見ても今は特に何も湧き上がってこない。

「何? いじめてくれんの?」

「面白かったらね」

 クス、と三島が小さく笑った。あのときみたいに。それはあまりにも美しくて、俺の視線も、心も、あのとき同様に釘付けにした。

 ちょ、待て、笑うな。なんでこんなタイミングで。そんな花のようにかわいく微笑むな。

 まただ。また変な扉を開いてしまう。開けてはいけない扉を開いてしまう。新しい嗜好に目覚める。あのときみたいに。

 「また」あのときみたいに、好きな女の子の気まぐれで、性嗜好がぐちゃぐちゃにされてしまう。

「そういえば、そもそもなんで女の子の首絞めようとするの」

「え……」

「不動くん、男の子とケンカするときは蹴ったり殴ったりするけど、こういうときは"首絞めること"を我慢するよね」

「……………………」

「なんで?」

「……言ったら何かくれんの?」

「んー……」

 少し、考えて。

「少しだけ、いじわるしてあげる。特別だよ」

 それで口を開く俺は多分とっくに変な嗜好に目覚めているのだ。

 また好きな女の子の気まぐれで、俺の人生がぐちゃぐちゃになる。


*****


 恋に目覚めていなかった幼稚園生のとき、それでも一等お気に入りの女の子がいた。元気でかわいい、美月というその子とよくいっしょに遊んでいたのだ。

 ある日二人で遊んでいるとき、美月は俺にこう言ってきた。

「首をしめて」

 なんで? と思った。そんなの苦しいだけだろうと返した。

「ちがうよ。首をしめるとね、気持ちいいの」

 あのときはよく理解できなかったが今なら知識としては理解でる。首を絞めて、脳への酸素の供給を一時停止すると低酸素症という状態になり、それが快感へと繋がるらしく、それを性行為や自慰行為に繋げる愛好家も存在し……当然、やりすぎてしまった結果、死者となった者も多い。

 いったいなぜかは知らないが美月は幼いながらもそれを知ってしまったようだ。

「首なら自分でしめろよ」

「だめ」

「なんで」

「日陰くん、かっこいいもん。かっこいい男の子にやってもらったら、きっともっと気持ちいいの」

「……?」

 わけが分からないがお気に入りの女の子のリクエストに応えて、俺は美月の首を絞めた。美月はたいそう気に入ったようだし、俺は俺で、絞め続けるとどんどん体に力がなくなっていく美月に、普段は親に言いつけられて抑え気味だった加虐心が満たされた。

 親にバレたら怒られるに決まっているから、二人で隠れてこっそりと続けていたのだ。

 だが、それをある日たまたま、両家の両親に見られてしまったのだ。最初は俺が単に美月に暴力を振るっていると勘違いされた。美月は自分が言い出したことだと言ったが当然突飛すぎて親たちは俺をかばうための嘘だと思い、信じなかった。

 だが美月は窒息への快感を子供のつたない言葉ながら熱弁していった。それはもはや途中から俺をかばう目的は忘れたように、ひたすら熱く激しく、窒息からくる苦しみ、そしてそこから変化する快感がどんなに素晴らしいものかを力一杯語っていた。

 両親たちはドン引きしてたし、俺もなんだか怖くなって母さんの後ろに隠れた。

 そのあとはとりあえずお互いの親が謝りあったあと、現場が俺の家だったため美月の一家は帰っていった。そして俺は親父からいろいろ質問されて、しばらく美月へ接触することの禁止と、首締めの絶対禁止令が出た。

 親同士は長いこと電話で話し合っていた。それ以来美月は登園せず、しばらくしたら引っ越していっていた。


*****


 時はたち、高三となった今……そんなある日のことである。

 美月から、連絡があった。

『久しぶり! 私のこと覚えてる? ……そう! 覚えてくれてたんだ、嬉しいな!

 ……ねえ、ちょっと会わない?』


 時間は日曜の11時。2時間後には三島との待ち合わせがあるが、まあそれまでちょっと会うくらいなら……大丈夫だろう。

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