(後編)俺の性嗜好はいつも好きな女の子にぐちゃぐちゃにされる

「日陰くんだよね? 久しぶり~!」


 待ち合わせ場所のカフェに現れたのは記憶の頃よりも随分と大きくなった美月だった。とはいえ背は一般的な女子の平均よりもはるかに低く、童顔なせいか俺と同い年には見えない。

 美月は4人用のテーブル席の1つに既に座っていた俺の向かい側ではなく、俺のすぐ隣に座った。

 明るい茶色のボブヘアーにフェミニンな服、それに太めのピンクのチョーカーと細目のネックレスを合わせた美月は、なかなか外見のレベルが高かった。あと胸がでかい。椅子に座ったら胸がテーブルの上に乗るくらいにはでかい。

 お互いアイスティーを注文して、美月は更にケーキもつけた。幸いすぐにきて、食べながら雑談をする。

「ごめんね~突然家に電話しちゃって! 家の番号変わってなくって良かったあ!」

「おお」

「美月、お部屋のお掃除してたらね、昔の日記と、連絡先書いた手帳見つけちゃって。久しぶりにお話ししたいな~って」

 高校生で一人称が自分の名前の女ってどうなの、と頭の隅で考えるが、偏見は良くないと理性で打ち払う。

「日陰くんは彼女いるの?」

「いねえよ。電話で言ったじゃん」

「アハハ。そうだったね。美月もね、彼氏いないの~。おそろいだね」

 するりと自然に腕が組まれた。小さな体躯に合わないサイズの胸が体に触れて、上目使いでこちらを見ながらとりとめもないことを話している。

(手慣れてんな)

 多分女に免疫がないやつなら、これで落ちちゃうんじゃないだろうか。あいにくとこちらも女慣れしているし、胸はともかく、小柄な子は好みの範疇じゃない。

「もったいねえな。こんなにかわいいのに」

「えー、ほんと?」

「本当だって。俺は嘘つかねえよ」

 女を誉めるのは礼儀だって母さんが言ってた。俺にとっての一番は(例えアレを茹でる前のパスタの束みたいに折られそうになったとしても)三島なんだが、だからと言って美月が美少女なことには変わりない。

「ふふ、日陰くんはやっぱり優しいねっ」

「そうだよ俺は優しい男だ。わかってるじゃん」

「いいなぁ。美月ね、彼氏作ったことあるけど、みんななんだか合わなくて別れちゃった」

「そりゃ運が悪かったな」

「日陰くんみたいな人なら良かったのに」

 きゅ、と絡む腕の力が強くなり、胸が押し付けられる。

「ありがとうな、でも俺、彼女はいないけど好きな子はいるぞ……ってか電話でも言っただろ」

「そうだね。でも美月、そういうの気にしないから」

「……こらー。そういうのよくねえぞ」

「だって、美月は別に彼氏が欲しいんじゃないもん。

 ただ首を絞めてほしいだけなの」

「…………………………………………………………………」

 しゅる、と首を覆っていたチョーカーを外す。そこには、首を絞めたような痕がある。

 わかっていた。美月がそれを続けていたことは。だって、その痕はチョーカーでは隠しきれていなかったから。

「彼氏を作ってお願いするとね、みんな最初は困った顔するけど、美月のお願いを聞いてくれて、首を絞めてくれるんだ。美月嬉しいっ。

 でもね、そのうち、美月に暴力を振るってくるようになるの………」

 悲しそうな顔で、服の裾をまくりあげる。華奢な体には、殴られたような痣があった。

「…………………」

「美月の首を絞めるようになると、そのうち美月に暴力を振るうのが楽しくなるんだって。

 んん~。でもね、美月は首を絞められるのが気持ち良くて好きだけど、蹴ったり殴られたりするのは痛いから嫌なの。悲しいの。

 でもそれを言って別れようとすると、みんな『お前のせいでおかしくなった』って責めてくるの。美月はただ首を絞めてほしかっただけなのに」

 じぃ、と見つめられながら、胸をぐいぐいと押し付けられる。俺を見つめてくる大きな瞳は、"俺"個人を見ているのか、それとも俺を使って得る快楽への期待のまなざしなのか判別はつかなかった。

「日陰くんなら、そんないじわる言わないよね」

「………………………」

「昔みたいに、私の首をちゃんと絞めてくれるよね。殴ったりしないで、絞めるだけにしてくれるよね」

「あー……力加減間違えたら事件になりそうだしやらねえよ」

「我慢しなくていいんだよ?」

「してねえよ」

「嘘つかなくていいよ。

 だって美月知ってるもん。日陰くんの裏アカウント」

 スマホの画面を突き出される。それは、俺が自分の暴力衝動への愚痴を吐くためだけに作ったSNSのアカウントが表示されている。鍵こそかけていないが、当然誰にも知らせてないし、個人情報なんて載せた覚えはない。

「お前……なんで……」

「ほんっとうに偶然だよ。検索してたらね、たまたまこのアカウントがひっかかったの。初めて女の子の首を絞めたときの話っていうやつ。それを読んだらもしかしてもしかしてもしかして? って思ったの。遡って他の内容も見て、昔の思い出の話を見るとやっぱり日陰くんのだなって思って、昔の連絡先探し出して、電話してみたんだぁ」

「…………………………………………」

「苦しいんだよね。好きな子の首を絞めたくなって。でもそういうことはしたくなくて」

「…………………………………………」

「大丈夫だよ。美月なら、受け止めてあげるから」

 ふふ、と小さく笑う。それは慈愛に満ちた聖女のようにも、悪魔のようにも見えた。

「彼女にしなくていいよ。お友達のままでいいの。

 ただその好きな子に内緒でこっそり美月と会って、美月の首を絞めてくれればいいの」

 抱き締められ、耳元で、囁くように。

「また昔みたいに、二人だけの秘密の遊び、しよ?」

 じわ、と体の奥から何かが湧いて出てきたような気がした。それは、時折湧いてでてくる衝動によく似ている。

(なんでまた……!)

 ついこの前湧いて出て、三島に縛られたばっかりだ。いつも一度出ると、次に出てくるまでしばらく間が空くのに。

(美月がいるからか?)

 首を絞めてもよいという、都合が良い存在がいるからか?

(落ち着け……いつもほど衝動は強くない……)

 深呼吸。そんなときに、ねえ、と美月は耳に口づけしてきた。

「我慢しなくていいんだよ?」

「………………………………」

「美月なら、大丈夫だよ。大歓迎!」

「………………………………」

「だから……ちょっと二人きりになろうよ。いい場所知ってるんだあ」

 ちゃら、と。

 なぜか、鎖がぶつかるような微かな金属音がした。


「……何してるの?」


 すごくすごく聞き覚えがある、無感動な声がした。テーブルの脇に立っているのは。

「三島……なんで……」

「私との約束すっぽかして女の子と遊んでる不埒者の顔を見にきたの」

「は!? うっそ、マジで!? もうそんな時間!?」

 衝動も何もかもが頭からぶっ飛んで、腕時計を見る。

「嘘だよ。約束まで時間あるし。早く来すぎたから喫茶店で時間潰そうと思ったら見つけたの。

 ……で、何やってるの」

「……この子が好きな子ぉ?」

 美月は挑発的な顔で胸を押し付けてくる。

「彼女じゃないんだよねっ。じゃあ教えなーい。日陰くんと美月の秘密っ」

「それはどうでもいいけど、先約があるのはこっちだから時間になったらこっちに来てね、不動くん」

 圧を感じる。ものすごい圧を感じる。どっちも俺よりはるかに小さい子なのに圧を感じる。

「……美月、離れろ。そろそろマジで時間なんだよ」

「えー」

「えー、じゃねえよ。あとお前の首も絞めねえ」

「…………ふーん…………」

 ぴょん、とわざとらしく体を振って席から立ち上がった。

「日陰くん、スレンダーな子のほうが好きなの?」

「………………………」

「何言ってんのお前……」

 顔がひきつる。顔は変わらないが三島が死ぬほどイラっとしたのが伝わってきたからだ。スレンダーなんて婉曲な言い方してるけど、乳がねえ女って煽ってんだよ俺には分かる。

「お邪魔みたいだし、じゃ~ね~。あ、会いたいときは連絡してね。めんどくさそうだしその子に内緒でねっ」

「ちょっと待って」

「なあに? 美月、帰ってあげようとしてるのにぃ」

「伝票。会計押し付ける気?」

「……アハ、忘れちゃってた。ごめんねぇ」

 そして美月は自分の分の注文の支払いをすると帰っていった。そして三島が、向かいの席に座る。

「ああいう子、好きなんだ。私にはよくわかんないけど」

「違います違います違います。いやほんと久々に連絡あったから会っただけだから! ちょっとだけ話そうって!」

「はいはい」

「ほんとだって!」

 なんか浮気したみたいな雰囲気になってるけどよく考えたら俺どっちにも手ぇ出してねえ! なんだこれ!

「そういうの、詐欺とか宗教の可能性もあるからほいほい会わないほうがいいよ」

「あ、はい」

「で、また元カノシリーズ? それとももっと不埒な関係のほう?」

 目がさあ。怖いんだけど。いつもの無表情なのになんか怖いんだけど。

「いえ、幼稚園の頃の友達です、ハイ。十数年ぶりの再会でした」

「なんでまたそんな昔の子と……」

「あ~、なんか俺の裏アカ見つけられたらしくてさあ」

 俺は全てを正直にゲロる。だってやましいことはしてないし! 胸押し付けてきたのはあっちだし! さすがに幼稚園生の頃の思い出はノーカンだろ? そうだろ?

「ふーん、すごい偶然だね」

「……まあ意味わかんねえくらいの偶然だな」

 たまたま検索かけたらそんなに頻繁に稼働はしてない俺のアカウントを見つけてしかもそのうちほんの数回呟いただけの昔の思い出話を見つけるとか、どんな確率だ。

「鍵でもかけたら」

「そうすっかなー……いやもうこのアカウント消すか。フォロワーになられてるかもしんねえし」

 どうせただ愚痴を吐くためのアカウントなのだ。リアルの友人とは誰一人繋がってないし消したって問題ない。

「で、大丈夫?」

「で?」

「気づいてないかもしれないけど、汗かいてるよ。今日全然暑くないし、冷や汗でしょそれ」

 言われてようやく汗をかいていることに気づいた。多分、我慢してたときに流れてたのだろう。

「ああ……その、我慢してたから……」

「えらいね」

 三島が俺の手の平に、右手の人差し指で何かを書いている。

「なにそれ」

「花丸」

「えっ、かわいいことを……」

「嫌ならやめる」

「嫌なわけねえじゃ~ん!!! そうだよなぁ俺えらいよなぁもっとやって? ねえ?」

「花丸は一個だけだよ。そういうものでしょ」

 ねだったが追加はくれなかった。そのうち本来の待ち合わせ時間になって喫茶店を出て、元々予定した映画館へと足を運んだのだった。


 ちゃり、と微かな金属音がしたが、そんなは気にせずに、すぐに忘れてしまった。


*****


 不動くんには真っ黒いお化けがとり憑いている。


 初めて不動くんと会ったときには既にいた。だからなんでとり憑いているのかはわからない。前に恨み言のようなことを言っていたが真実かは分からないし、最近は黙っていることが多い。

 そのお化けは真っ赤な鎖を何本も持っている。その鎖の先の片方は不動くんに結ばれ遠くへと伸びていって、先っぽを目で追うことはできない。

 今日、そのうちの一本の先っぽを見た。あの美月とかいう子の腕に、巻き付いていたのだ。

 お化けの意図も、鎖の意味も分からない。私の霊感は嫌なものを視るだけで、漫画みたいにお化けの心や過去を視せてくれたりしない。

 分かるのは、ただそれが良いことではないだろうな、ということだけ。

 お化けの鎖はたいがい良くないものなのだ。それは無理矢理に縁を繋ぐものだ。出会うはずのない者を出会わせ、縛り、歪んだ縁は歪んだ運命を導くのだ。ましてやそれを持っているのが人にとり憑くお化けなら、良い結末は待っていないだろう。

 実際、あの美月とかいう子はわかりやすい「関わってはいけない子」だ。地雷女というやつだ。

 欲望に負けてあの子の首を絞めたのなら、そこから終わりが始まるのだろう。

 それがあの子の終わりか、不動くんの終わりか、両方の終わりかはわからないけど。

(やだなぁ……)

 だってこの鎖、私にも繋がってる。

 あの子と同じように、私と不動くんを繋ぐ赤い鎖。無理矢理に繋がれた歪んだ縁の証。お化けがなんらかの意図を持って繋げた、血の色の鎖。

 この鎖に繋がれてる限り、私たちは何かしらの終末へと向かっている。目的も不明、結末も不明。それが幸せではないだろうという予感だけが、ぼんやりと胸に漂う。

(はぁ…………)

 もしかしたら、神社の神様とか、仲の良い妖精さんに頼んだりしたら、"私のために"、私の鎖は外すことができるかもしれない。

 でも、他の鎖はそのままだ。結局不動くんの運命は少し道のりが変わるだけで同じなのだろう。

(………………………)

 それを良しとしないくらいの情はある。……友達なのだから。

(…………はぁ)

 手の中にいつの間にかコロコロとした黒いキューブが転がっているが、それを今はポケットにしまう。

 不幸な結末も本当にただの推測で、この「なんでも願い事を一つ叶える黒いキューブ」で鎖を全て外したとしても、どうなるのかわからないといえのが現実だ。

 鎖なんて外さなきゃ良かったという事態になることだって、あり得なくはないのだ。何もわからないうちに、動くことはできない。

 ……善意が人を滅ぼすことだって、あるのだ。

「何難しい顔してんの」

「……なんでもないよ。並んでくれてありがとう」

 二人分のポップコーンを買いに並んでた不動くんが戻ってきた。考えてもしょうがない。推測をするにも情報が少なすぎる。今は忘れて、予定通り映画を見よう。


 立ち上がり、赤い鎖がちゃり、と小さな音をたてた。



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