メンヘラ女

 メンヘラ女は彼女にすべきではない。


「元カノに刺されたことあるんだけどさぁ」

 クラスメイトの不動くんがいきなりそう言い出した。放課後にファミレスでだらだらしてるときに出す話題ではないと思うし、なんなら片思いの相手である私に言うべき話でもないと思う。

「……何やらかしたの」

「いやなんか嫉妬深くて、スマホの電話帳から女の連絡先全部消せとか言われて、女友達のどころか家族のまで消せとかいうから、ファミレスで揉めてたら、なんか持ってたカッターでぐさっと」

「へえ。なんで生きてるの」

「いや、女に刺されたぐらいじゃ死なねえし」

 当たり前のように言うけど、死んでもおかしくないと思う。趣味で鍛えてるのは知ってるけど、どれほど筋肉をつければそんな自信がつくのだろうか。

「……で、急にどうしたの。そんな話」

 さっきまでは、今度の定期テストについて話してたのだ。それがまるで本当に雑談の一種であるかのようにこんな飛び道具を放ってきた。あまりにも脈絡がなさすぎる。きっと意味があるんだろう。

「さっきさ、なんとなくチラッと窓の外見たんだ」

 私たちの席は窓側だ。店名がペイントされた大きな窓が外の道路を透かしている。

「道路の向こうにその元カノがいた気がしてさ、嫌な予感がビンビンするんだよね俺」

 言った瞬間、入り口のドアが開いてつかたつかと女の人が一直線にこちらに来た。

「……メンヘラ女のこういう行動力の高さ、苦手なんだよなー」

「不動くんも人のこと言えないと思うけど」

「待って三島お前俺のことどう思ってるの!?」

「ねえ!」

 遮るように、女の人が私たちのテーブルを叩く。乱れた息を整えて何か言おうとしたが、中年の男女と若い女性の三人の人間がやってきて、女の人を取り押さえた。

「こらっ、何してるの!」

「だ、だって……」

「いいから! いいから!」

 揉み合いながら、女の人はその中年たちに連れて行かれた。女の人はこちらを見つめていたが、不動くんはさっと視線を外す。そして四人とも店を出ていったことを確認したあと不動くんが「くわばらくわばら」と呟いていた。

「あれ、元カノの親と妹だぜ……やっばりあいつじゃん」

「ふうん。あの人に刺されたんだ」

「そうそう。しっかし服の趣味変わったなー。前はゴスロリ着てたのに」

 さっきの女の人は、低価格でそこそこの品質が人気の、学生でも気軽に買えるような安ブランドの普通の服を着ていた。

「いやしかし、また会って変なことになってもあれだな。さっさと出てって安心安全な場所に行こうぜ」

「どこなの、そこ」

 不動くんは少しばかり考えたが、いかにも良いことを思い付いたという顔になった。

「お前の部屋とか!」

「却下」

 どういうメンタルしてるんだろう、この人。


*****


 失敗してしまった。

「声をかけるなって言ったでしょ」

 お母さんが私を嗜める。まだ視界の端に写るファミレスが気になってチラチラと視線を送るが、お父さんが体で塞いで見えなくなってしまった。

「そういうことはしなくていいんだ。のんびりしてれば良い」 

「でも、だって、私、あの男の子のこと見たことある気がする。

 あの子と話したら────もしかしたら、私の記憶も戻るかもしれない!」

 記憶喪失になったのは一ヶ月前のこと。階段で足を滑らせて頭を打ったことが原因だった。私は生活に関わること、言語や食事のマナー、お金の使い方などは覚えていたが、自分がどういう人間でどんな経歴を持つのか一切合切忘れてしまった。

 幸い両親や妹は急いで記憶を取り戻そうとしなくていいと言ってくれた。いや、むしろそれを妨害するようなことすらある。

「お姉ちゃん、さっきの人、元彼だよ」

「こら!」

 見かねて妹が教えてくれた。やっぱり私に縁がある人だった。

「けどね、“元彼“なの。別れた人なの。しかもいっしょにかわいい女の子いたよね。今の彼女じゃない?

 そんな人に記憶がうんぬん言っても迷惑なだけじゃないかな」

 ……たしかに、そうかもしれない。どんな別れ方をしたのかしらないが、別れたからというにはそれなりに事情はあるだろう。

「お姉ちゃんはね、今のお姉ちゃんのままでいいから」

「そうそう」

「無理しなくていいんだぞ」

 優しいように見えて、三人から「記憶なんて絶対に取り戻させない」という意志を感じる。

「はぁー…………」

 いったい私は、どんな人間だったんだろう?

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