憎しみが浮いている

 春頃になるとよく憎しみが空に浮いている。


 空にときおり、憎しみが刻印された風船が浮いているときがある。それは人間でも、お化けでも、妖精でも、どこかの誰かが感じた憎しみの一部が、何かの拍子に形になったものだ。春は環境の変化があるからか、だいたい職場や学校や家庭環境や生活そのものへの憎しみが書かれたものが浮いている場合が多い。

 憎しみの風船は放っておいてもいずれ消えてしまうだけなので、弓を使う妖精なんかはそれを的にして弓の練習をしている。

『よーく見るんだ。動いているものに当てるのは難しいぞ』

 教官の妖精が、生徒たちにアドバイスを送っている。生徒たちは次々矢を放つが、なかなか当たらない。

 パァン、と音を立てて一つが破裂した。

『当たった!』

『よしよし、今の姿勢と感覚を忘れるな』

 他の生徒も発奮して、練習を重ねるうちに当たる率は高くなっていく。

 ぼごん

 パァン、パァンと小気味いい音が響くなか、間抜けな音が空から届いた。

『今、当たったよな?』

『当たってたように見えたけどなあ』

 生徒の一人が首をかしげながら矢を放つ。狙いは先ほど見事命中させたはずだが、割れなかった憎しみの風船へ。

 ぼごん

 やはり、当たったのに割れない。

『せんせー』

『二回も当てたのか。すごいぞ。だがな、あれは割れないやつだ』

『割れないやつ?』

『強い強い憎しみを抱いた風船は、強くて強くて割れないのさ。見てみろ』

 教官は弓を構える。生徒たちの弓と違って、もっと高価な狩りに使う弓と矢だ。それだというのに、風船はまた間抜けな音を立てて矢を弾く。

『ほーら。よほど強い憎しみなんだ』

『せんせー。あれにはなんて書いてあるの?』

『ニンゲンの文字だと思うなぁ。先生には読めんよ』

 やがて昼になって、みんなで弁当の用意を始める。そんな中、妖精の一人がじっと先ほどの割れない風船を眺めていた。

『どうしたんだ?』

『あの文字、おいらの家の近くのニンゲンの家の表札に書いてあったなって』

『へえ、ずいぶん恨まれてるな。なんて読むんだ』

『それはわかんない』

『そうか』

 お前も早く弁当の準備をしろと、みんなの輪に加える。

 風に吹かれて遠くに行く風船に書かれた憎しみの文章の一部。かつて表札で見たことがある漢字。その不動という文字の読み方なんて、妖精には全くどうでもいい話だった。



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