その楔に形はなく(後編2・完)

「傷……痕……?」


「ええ、そう。傷痕」

「え、いや、女の子に傷をつけるとか、だめだよ!」

 例え頼まれてやったとしても、絶対に後悔する。あの柔肌にずぷりを刃を入れるようなことなんて、できるわけがない。

「物理的な傷じゃないわ。思い出をちょうだい、と言っているの」

「最初からそう言ってくれると嬉しいかな……」

「あら、ごめんなさい」

 くすくすと、悪気なさそうな顔で笑う。

「じゃあちゃんと言うわ。思い出をちょうだい? 食べ物でも、アクセサリーでも、私があなたのことを思い出せるようなものをちょうだい。もう会えるかわからないんですもの。いいでしょう?」

 ……なかなか難易度の高い要求だ。白雪はオシャレだから彼女が喜ぶようなプレゼントを贈ることができるだろうか。でも、彼女が望むならやるしかないだろう。

「高いやつは無理だから安いものになるけど……いい?」

「ええ。高い安いは関係ないわ。だって思い出だもの」


 帰ってから兄に相談した。

「カッターでも贈ってやれば?」

「え?」

「そしたらお前の顔を思い出して手首切らないだろ?」

「日陰兄……真面目に相談してるんだよ……」

「名案なのに」

 肩を落としている友也とは対照的に、兄の日陰はケラケラとしている。

「まあ……お前のおこづかいの範囲内ならお菓子の瓶詰めとか? あとかわいい箱に入ってるのとか……。空いた瓶だの箱だのにアクセとか入れられるし、小学生ならそういうことするだろ?」

「あ、いいかも」

「かわいいやつ選べよ」

 兄は俺は手伝ってやらん、とニヤニヤとしていた。そんな兄は置いておいてデパートで宝箱の形をした箱に入っているお菓子のセットを選んだ。そこそこ高かったが間違いなく中身よりも外装に金がかかっている代物だ。

「あら、素敵」

「ちゃんとかわいいやつ、選べてる……?」

「ええ、とっても素敵だと思うわ」

 ほっとした。真剣になって家族でもない女の子のプレゼントを選んだのは初めてだったので、考えすぎて良いのか悪いのかわからなくなっているのだ。

「この箱に、宝物を入れておきましょう」

「アクセサリーとか?」

「ふふ、秘密よ。女の秘密……」

「ごめん」

「すぐにごめんっていうのはあなたの悪い癖ね」

 また反射的に謝ろうとしてしまい、唇に指を突きつけられて止められてしまった。

「転校する前にこれを貰えて良かったわ」

「喜んで貰えたなら嬉しいよ」

「ええ、これなら大丈夫よ。"死"に向かったら、あなたとも会えないし、この宝物を愛でることもできないの。ええ、ええ、そんなの耐えられないわ。だから私は……この宝箱がある限り、大丈夫なの」

 白雪の手首には、まだうっすらと傷痕が残っている。


 白雪は東京の学校へと転校していった。と言っても今の時代はアプリでいつでもやり取りできるので、過剰なさみしさはない。東京に行ったことで仕事がしやすくなったのか、メディアで彼女を見かけることがぐっと増えた。映画、バラエティ、雑誌、さまざまな場所で着飾って笑顔を作った彼女を見る。

 本当に忙しそうで、SNSの返信もまばらだ。忙しいならしょうがないと、気にしていなかった。

「…………あれ、白雪さん?」

「お久しぶりね。友也とくん」

 転校してから一年くらい経ったころ、家の前に白雪が立っていた。夕日の光でオレンジに染まった彼女は美しく、どこか非現実的だった。

「わがままを言いにきたの」

「わがまま」

「ええ、欲しいものがあるの。くれるかしら?」

「あげれるものならいいけど……」

「そう、じゃあ貰うわ」

 ぐい、と服を引っ張られて体が前に傾く。気づけば、唇が白雪のそれと重なっていた。

「!?」

「ごちそうさま。じゃあね」

 呆然とする友也に微笑み、風のように去っていった。頭が真っ白になっていた友也を元に戻したのは、「ふぅん」という低い声だった。

「ふぅ~ん」

「ひ、日陰兄……」

 長身の兄がいつの間にか犬を連れて立っている。ああ、確実にからかわれると覚悟したが、予想に反して兄は黙って家にはいっていった。

「つまんね」

 一言、それだけ呟いて。


 白雪がカッターで親を刺したあとに自ら命を断ったというニュースが流れたのは翌日の朝だった。遺書には以前から完璧を求め全てをコントロールしてこようとする親への殺意があるものの我慢していたが、宝物を勝手に処分されたことで全てがどうでもよくなったとの記載があったという。ニュースはしばらく子役タレントに関する問題や親と子のありかたなどで騒がしかった。

「日陰兄」

「ん?」

「宝物ってさあ」

「そりゃあ宝箱に入ってるもんだろ……箱そのものかもしれんが」

「僕が贈った宝箱を捨てられたから刺したし死んじゃったの?」

「そうだよ」

 ポリ、とポテチを一枚かじる。

「死にたかったんじゃなくて、親への殺意を押さえる楔として手首を切ってたと思うけど、どう?」

「……わかんない」

「まあ、本人死んだしな」

「でもさ……」

 死んだら、なんにもならないじゃないか。

「なるぞ」

「え?」

「バカだなあ、人は死んだらお化けになるんだぞ」

 にんまりと、兄は笑う。

「嫌いな親のところで生きるより、死んで好きなやつのところで暮らしたいよなあ……なあ?」

 二人と飼い犬しかいないリビング。声も姿もなんにもない。

「ワン!」

 ただ、飼い犬が何もない空間に向かって軽く鳴いた。


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