空の色
たまに、街でおかしい人を見る。
「だから今の政治はおかしいと思ってるからやっぱ俺が立ち上がらんといけないと思うのよ。そうでしょうやっぱそうでしょう」
公園のベンチに座って、ずっと一人で大声でそんなことを言っている爺さん。まるで会話をしているようだが、電話らしきものも持っていないし耳に何もつけていないからハンズフリーの電話を使っているわけでもない。
つまり、ただの頭のおかしい人。
(なんかの病気になるとああなるのかなー)
近くのコンビニのトイレに寄っている三島を待っている間、それを遠巻きに見つめていた。
「だから今の政治はおかしいと思ってるからやっぱ俺が立ち上がらんといけないと思うのよ。そうでしょうやっぱそうでしょう」
(同じこと言ってる)
ああいうレベルになると日々の食事とか金銭のやりとりとかどうしてるんだろうかとぼんやり考えていると、ぴちゃ、と頬に冷たいものが落ちた。
「うわっ」
びっくりして一歩その場を離れる。雨ではなく、近くの木の葉っぱから落ちた雫がたまたま頬に当たったようだ。
(さっきちょっとだけ雨降ってたもんな。すぐ止んだけど……)
空を見上げる。
空は、雨上がりらしい、紫色の空だ。
空の色は様々だが、雨上がりの空と言ったら紫に決まっている。絵の具のような、はっきりとした濃い紫色に決まっている。
いつもいつもそうだ。雨上がりの空は……どこまでも均一な、紫色の空だ。
「違うよ?」
「うわっ」
いつの間にか戻ってきた三島に背後から声をかけられて、また驚いた。
「空の色は、水色だよ」
「ああうん……うん?」
そうだ。空の色は水色だ。上を見たっていつも通りの水色が広がっている。
「空の色は紫とかぶつぶつ言ってるから」
「え、あ、うん……」
いつの間にか声に出していたらしい。
いや待て、さっきのはなんだ? 間違いなく空は紫色に見えていたし、何よりも自分はそれを違和感なく受け入れていた。
「割り込みさんの仕業」
「割り込みさん」
「人の記憶を書き換えてイタズラしたりするの。例えば彼女がいない人の記憶をいじって、『自分には彼女がいる』って思い込ませたり。
でも……なかには記憶じゃなくて、常識を書き換える割り込みさんもいるの」
「……空の色を紫だと思い込ませたり?」
「うん。まあ、他人がやってきたらすぐに解けちゃう程度のイタズラだけどね。実際私が話しかけたらすぐ戻ったでしょ?」
「……悪質じゃねえ?」
「そうだね。誰か話しかけてくれる人がいたらいいけど、誰も話しかけてくれる人がいない孤独な人は、いつまでも常識や記憶を書き換えられたままになるの。あんな風に」
三島は、さっきから独り言を話している爺さんを指す。
「長い間イタズラにかかったままだと誰かに話しかけられても解けないし、割り込みさんも面白がってもっともっと頭の中を好き勝手いじっちゃうの。そうしたらもうああなるしかないの」
「…………」
いつまでもいつまでも、壊れたかのように意味不明なことを繰り返す老人。
壊れたのではない、壊されたのだ。
「じゃ、行こうか」
「お、おう……」
「ちょっとかわいそうだなって思ってる?」
「そりゃあな」
「割り込みさんはね、そうやってじっと見てくる人のところにやってくるよ。さっきもあの人のことを見てたから割り込みさんにイタズラされたんだよ」
「はい俺もう帰りまーす」
冷たいようだが、見知らぬ爺さんよりも我が身のほうがかわいかった。三島のほうに割り込みさんとやらが来られても困る。
壊れた老人の独り言をかき消すように、びゅうと強い風が吹く。風に巻き上げられ近くに落ちていた鮮やかな緑の木の葉が、水色の空を背景に宙を舞う。
いつも通りの美しき水色の空。それが現実であることを祈りながら、公園をあとにした。
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