生命の海
とある古いマンションのエレベーターのボタンを特定の手順で押すと、異世界に行ける。
そこは人間がいなくなったような世界。都市は緑に侵食され、ちらほらと動物の姿が見える場所。
そしてそこから、さらにまた別の世界に行くこともできるのだ。朽ちた水族館の入り口に引かれてるチョークの線を境目に、一歩踏み出して、三歩下がって、二歩進んで、三歩下がるのだ。そうしたら、そこは水族館ではなく砂浜へと通じる。
ざああ……
波音。ゆっくりと浜に押し寄せては引いて、押し寄せては引いて……。
海の中にはよくわからない生き物がいる。魚なのかどうかも疑問にしたいようなフォルムをしている。
「ん……」
少し離れたところでばちゃばちゃと波が弾ける音がした。そちらに向かうと、誰かが波打ち際にいて波を蹴っている。
「おや」
「……どうも」
人間だ。
「僕の他に人がいるとは……まあ僕がこれるくらいだから他にいてもおかしくないか」
話しかけているのか、ひとりごとなのか微妙に判断がつかないようなことを呟いたあと、また海に視線を向けていった。
「何をしてるんですか?」
「ここの生き物を殺そうと思っている」
「……なぜ?」
「ここは穏やかだ。生き物はほぼ同一の姿をしていて海の生き物も陸の生き物も植物や木の実を食べ、大人しく警戒心なく暮らしている」
「……はあ」
「もしそこに、食欲のために殺戮する者が現れたらどうなるだろうか?」
その人は、銛を持っている。
「慌てるだろう。そして生き残るために生き方を変えるだろう。姿形を変え、毒を持ち、擬態をし……数えきれないくらいの"変化"がある。
僕は、進化の瞬間を見ることができるかもしれない。いや、見たい。カンブリア爆発のよつなものを、この目で見れるかもしれない。
ならば、やるしかない」
「……はあ」
あんまり興味のない話題だった。彼は食い付きの悪い私に不思議そうな顔をしている。
「……君は文系か?」
「理系だったらみんなあなたみたいなことをするみたいな言い方はどうかと思います」
「そうだな。理系でも僕みたいな生物系だけじゃなくて工学、情報といろいろいるし……興味の方向も様々だ。
たしかに浅慮な発言だった。失礼したよ。指摘をありがとう」
そうじゃないと言いたかったが黙っておいた。
「目の前のことに夢中になってつい配慮を忘れがちなのが僕の悪い癖だ。直さないとな……」
それは本当にそうだ。
「さて、採った以上は食べないとな。建前上は食欲のために採っているのだから」
その人は器用に焚き火に火をつけて、とった魚(?)を串に刺してキャンプ用と思われる調理器具で焼いている。
「……食べるか? 他者の意見も聞きたい」
「遠慮しておきます……」
砂浜に、ばちばちと火花の音がして、煙があがる。それはこの穏やかな世界の変化の始まりを告げる、小さな小さな狼煙だった。
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