好きだった娘の思い出(中編)
歌が、聞こえた。
聞こえる先は、比較的きれいで古風な日本家屋。とはいえ門は錆び、雑草は伸び、障子に穴が空いている。軒先の花壇は枯れた植物が放置されていて、バケツにはいっぱいになった雨水とゴミのようなものが浮いていた。とはいえ雑草こそ茂っているが、空いている門の先にはたしかに、敷石の間に生えた草が踏み潰された、人が訪れている気配があった。
「春山ァ」
「え?」
無遠慮に庭に入り込み、その先にはやはり春山がいた。荒れていた家の入り口付近とは違って、塀に囲まれて隠れていたそこは、それなりに手入れがされていた。雑草は不揃いながらも刈られていて、小さな鉢植えとはいけ花も咲いている。
「なんで……」
「散歩だっつーの。こんな空き家しかねえ場所で歌なんか聞こえたらちょっと見に行くくらいするだろ」
「……そうかな」
「そうだぞ」
春山の隣、縁側に座る。
「……歌」
「うた」
「好きなの」
ぽつ、と呟く。
「本当は、合唱部とかに入りたいんだけどね」
「入りゃいいじゃん」
「お姉ちゃんがいるから」
沈黙が降りる。
「原さんあたりから聞いたでしょ? 私のお姉ちゃんの話。昔から、幼稚園のときからなんか変だなって思うくらい私のことをかわいがってたの。かわいがってくれたけど、私の都合とか全然考えてくれないの、ほんと変わらないんだから……」
はぁ、とため息。その憂いの顔はずいぶんと美しくて、印象に残った。
「御山くんのこと、お姉ちゃんのせいだよね。ごめんね。不動くんも私にもう話しかけない方が良いよ。
私に関わると、一生お姉ちゃんのご機嫌取りしなきゃいけなくなるから。
私も不動くんのこと考えないようにする。お互いに、関わらないようにしよう。お互いに興味がなくなれば、きっと」
「それじゃお前がいつまでも不幸なままだろ」
言葉をかぶせて遮る。俺の不機嫌は、きっと顔にありありとでてきたはずだ。
「妹を孤独に追い詰めてなにが姉だ。ぶん殴りてえ。自分勝手な馬鹿野郎が」
「! そんなこと言ったら……」
生温い風が吹いた。
先ほどから草花を撫でていた爽やかな風ではない、人肌のような温い風。それには微かに血の臭いが混じっている。
くしゃっ
草が踏み潰された音。
さっきまで自分たち二人以外誰もいなかった庭に、幼い少女が一人。春山に顔つきが似ていて、頭が陥没して半身が血に濡れた子供が、こちらを睨み付けていた。
『……………………………誰が馬鹿だって?』
「テメエだよ馬鹿」
中指を立てる。「不動くん!」と諫められたが、構わず舌も出す。
『ああそう。悪い子。あんたなんか、この子にふさわしくない』
地面を蹴り、ふわ、と春山の姉が浮く。そこだけ重力が違うかのように、弧を描くやわらかな動きで俺の眼前へと移動してきた。肉が抉れ、血が滴り、骨が露出した顔が、こっちを見ている。汚れた手が、俺の首を容赦なく絞めてきた。少女のものとは思えない力で、指が喉にめり込んでくる。
まるで生きているかのような肉の感触。力。触れた感覚。
だから、力一杯刺した。
「えっ」
春山の、小さな声。春山の姉は地面に倒れつつ、呆然とした顔でこちらを見ていた。片目からとめどなく血があふれ出てきて、洋服をじわじわと汚していく。
『イヤアっ!!!』
「テメエが俺に触れられるんなら、俺だってお前に触れられるよな?」
握りしめているのはカッターナイフ。朝、雑誌からハガキを切り取るときに使って、使い終わったあとなんとなくポケットに入れてそのままだったもの。
『ふざけるなふざけるなふざけるなっ!!!!! なんでお前ごときが私に、私の顔に傷をつけるの!!! 殺してやる殺してやる殺してやる!!!!!』
「おーそうかいそうかい」
俺も、お前なんて今ここで切り刻んだほうがいいと思っている。
春山のためにも、この『姉』は全力で排除せねばならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます