引き篭もりの願望

 ずっとずっと引き篭もっていたかった。


 昔から怠惰で、人付き合いが苦手で、運動も勉強も好きじゃなくて、かといって特に好きなものはない人生だった。

 別にいじめられたわけではないけど、怠惰故に中学から自然と不登校の引き篭もりになった。毎日毎日ゲームとネットとアニメ漬け。父はそんな自分にカンカンで「悩みがあるならともかく、そんな理由でだらけてるのは許さん!」と俺をよく叱り飛ばした。

 でもそんな父がもっと怒っていたのは母に対してだった。母は俺がどんなに怠けてても「いいのよいいのよ」「お母さんがやっておくから」と甘やかしたからだ。俺もそれに簡単に乗った。

 そして俺が引き篭もってから三年後に両親は離婚した。父が「お前に預けてたらロクな大人にならない!」と最後まで俺を引き取ろうとしたが、母は抵抗しきって結局俺は母とともに暮らすことになった。

 うるさい父がいなくなることにほっとした。うちの一番の収入源である父がいなくなることに恐怖した。そして何よりも、最後まで、自分をまっとうに生きる道に戻そうとしてくれた父の手をとろうとしなかった自分を嫌悪した。

 その頃からだろうか。母がどこかの宗教団体に入信したのは。

 俺が部屋から出てくる夕飯のときに母が勝手に語ってきた。内容は頭に入らなかった。ただただ、お布施で家のお金がなくなるんじゃないかとか、俺も勝手に入信させられて山奥に連れ去られて、修行なんかさせられて死ぬんじゃないかと。

 けれどたまにお経のようなものを唱えたり、団体の人間とお茶をするだけで、俺にはなんの影響もないように見えたのでほっといた。

 結局俺は、何も、何もしなかったのだ。


「ん……」

 いつものオンラインゲームをやり、一区切りついてから気がついた。もう半日も何も食べてない。不思議と空腹感はなかったが、さすがに何か食べないといけないと思った。ゲームの最中に空腹になってしょうもないミスはしたくない。

「飯……」

 ちょうど夕飯の時間だったので、階段を降りて、それだけ言う。そうすれば、いつも母が夕飯を出してくるのでそれを食べればいい。けれど、今日は何もせずただニコニコしていただけだった。

「飯……」

「としちゃん、お腹空いてないでしょ?」

「まあ……そうだけど……」

 すると母は大いに喜んだ。

「やったわ! ■■■様が私のお願いを聞いてくださったのね!」

「は……?」

 ひゅ、と何かが素早く動いた。それが母が俺を包丁で切りつけた軌道だと悟ったのは手に液体が流れる感覚がしてからだった。

 殺される。

「ひっ、ひっ、ひいぃ!」 

 椅子から転げ落ちる。腰が抜けて動けない。逃げたいという気持ちがあった。生き延びたいという気持ちがあった。同時に、こうなって当然だという気持ちもあった。

「痛くないでしょ?」 

 母は、そう言ってまだニコニコとしている。

 たしかに痛くない。ぬるぬるとした血の感覚はあるのに。そこでようやく傷口を見て気付いた。血が、青い。絵の具のような、鮮やかな青。

「……え?」

「■■■様のお力よ。もう痛くもならないの、苦しくもならないの、お腹も空かないの。

 もうこれでお金がなくても生きていけるの」

 ニッコリと、母は告げた。

「え……え……」

「不安だったの。私の稼ぎじゃいつか絶対としちゃんに苦しい思いをさせちゃうから。だからとしちゃんが苦しまないようにね、そういう体にしてもらったの。

 ああ、■■■様にすがって良かった!」

 母の声は耳に入ってこない。ただただ俺は痛みのない体と、流れ出る鮮やかな青い血を眺め続ける。


 俺は、俺は、『何』に────。

 

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