賢い猫

 飼い猫のアンコは賢い。


 元野良猫だったけど、すぐにトイレの位置もやり方も覚えたし、エサだってお皿からこぼさない。爪研ぎだってちゃんと専用グッズでやって、家族の誰かが何か作業しているときは決して邪魔しない。飼い始めたころは外も放し飼いしてたが、様々な危険を考慮して完全室内飼いに変更してもすぐ順応した、とっても賢い猫だ。

「あら~アンコったらとってもかわいい~!」

「カメラ! カメラ!」

 買ったばかりの食パン型クッションの上でおとなしく丸まって寝ているアンコを、お母さんとお父さんが競うように撮っている。アンコは私が拾ってきたのだが、二人ともすっかり骨抜きになって、SNSのアカウントを開設してアンコ育成日記と称して日々写真をあげているのだ。

 ぴく、とアンコの耳が動いたのっそりと起き上がると、壁際に移動して座り、じっとただの壁を見つめている。

 ただの白い壁。何もない壁。そこを、じい、っと無言で見つめている。

 まるで、そこに何かがあるかのように。

「……アンコ?」

「…………………………………」

 お母さんが声をかけても微動だにしない。

 そうしているうちにややあって、しゃっ、と右前足を振り上げた。ぺた!っと肉球が壁に当たる。壁に平手打ちをしているかのようだ。

 アンコは自身の右前足を確認すると、右足を床につけないように、近くにいたお父さんとお母さんをスルーして、部屋の奥のソファにいた私に右前足を差し出してきた。

 右前足の肉球には、圧死した極小の羽虫の死骸があった。

「…………………………」

「虫さん倒したんだね。えらいね」

 ティッシュで拭いてやると、アンコは一声鳴いてから、私の膝に乗って丸まって、再び寝た。

「アンコったら~! 私たちのほうが近いのに!」

「エサやってるの俺なのに!」

「拾ったの私だし」

「はあ、恩を忘れないなんてえらい子……」

「賢い子だなあ。アンコは」

 親バカならぬ猫バカである。しかしその猫バカ二人よりもアンコは私に懐いているのだ。

 もっともそれは、別に私が拾ったからというわけではないけれど。


 夜。両親二人が寝静まった頃、忘れ物をとるために私はリビングに降りてきた。

 パ、と電気がつくと、真っ黒い何かがすっと視界の端を通る。

 アンコだ。黒猫の、アンコ。それが何かを口からぶら下げながら、部屋を歩いていた。そして、誰もいない方向に、何かを襲うかのように飛びかかった。

 いや、いる。全身緑色で、目がたくさんある、体長数十センチのお化けがいる。アンコはそれに襲いかかると、爪と牙であっという間にめちゃくちゃにした。

 アンコは外へと出ることができる大きな窓をぺちぺちと叩く。私がそこを開けると、倒したお化けを咥えて外に放り投げた。

 アンコは、お化けが視える猫だ。

「お化けを倒してくれたんだね。偉いね」

 お化けの体液で汚れたアンコをウェットティッシュで拭いてやるとごろごろと喉を鳴らした。怪我はないようだ。ついでに戦いの痕跡で体液でまみれた床も掃除し、本来の目的である忘れ物もとって、自室へと戻ろうとするとアンコもついてきた。

 その日は、アンコといっしょに就寝した。


 翌朝、アンコの前足にぺちぺちと叩かれて目を覚ます。アンコといっしょに階段を降りてリビングに行くと、既にお母さんとお父さんは起きていた。

「ほら、朝ご飯だぞ~」

 待ってましたとばかりにお父さんがエサが入った深めのお皿と、水が入ったお皿を差し出す。アンコは今日もこぼさず器用に食べている。

「千花、あんたまたアンコと寝たの」

「だってついてきたんだもん。ぺちぺちって叩いて起こしてくれたよ」

「はあ~うらやましい……私たちの部屋にも来てほしいわよね……」

「だよなあ」

「……………」

 しょうがない。私とアンコには「お化け」という共通のネタがあるのだ。

「拾ったのはたしかに千花だけど、なんでそんなに懐かれるのかしら。コツとかあるの?」

「さあ……? やっぱ拾ったからだと思うよ」

 どうせお化けのことは両親も信じてくれないし、それっぽいすっとぼけた回答をする。

 これは秘密。私とかわいい飼い猫の秘密。私だって、アンコは愛おしいし、アンコに一番懐かれていることは嬉しいのだ。

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