ヒミツ

 人を殺したことがある。


********


「どうも」

「よろしく、御山くん」

 同じ図書委員の三島さんといっしょにプリントのホチキス止めをすることになった。三島さんに恋をしている不動は「かわれかわれ俺にやらせろ」とうるさかったが、担任に引きずられてクラス委員の話し合いに連れて行かれていた。目立ちたいからってクラス委員なんかやっているせいである。

 アレとは幼馴染みで、幼稚園からの付き合いだ。示し合わせたわけでもないのに高校までいっしょになった。腐れ縁とはこういうことだろう。

「三島さんはさ」

「うん」

「不動のことどう思ってるの」

「んー……」

 ぱちぱちぱち

 ホチキスの手を止めることなく、三島さんは少し考えた。

「変な人」

「変だなぁ」

「あと危ない人」

「だよねぇ」


 幼稚園生のときのことだ。アレとはたしかに同じ幼稚園にいたが、決して仲が良いわけではなかった。

 仲が良い悪い以前に交流がない。なんせアレは入園してすぐ、同じ学年はもちろん年長組まで園内の全ての乱暴者を締め上げて、自分の傘下に入れていた特大の問題児だったのだ。その上トンボの解体だの蛙爆竹だのの趣味の悪い遊びを好んでいた。近寄る理由がない。不幸中の幸いは、反抗をしない人間をいじめることには興味はなかったことだろう。大人しく頭を垂れていれば、むしろ気前はいいほうだった。

 当時の僕にはそんなことより大きな問題があった。母だ。

 その頃父は出張の連続で、日本はもちろんときには海外も飛び回っていた。父は母を溺愛していて会える日が少ないことを悲しんではいたが、母と息子である僕に不自由な思いはさせまいと仕事には真面目に取り組んでいた。だから、うちは半分母子家庭みたいな家だった。

 母は、よく僕を抱っこしていた。通常の親子なら問題ないだろうが、僕はその行為を密かに嫌っていた。

 下腹部を、尻を、足を、とにかく撫で回されるのが嫌だったのだ。風呂でも異常なまでに密着されていた。今から思えばそういう性質を持った人間だったのだろうが、当時の無知な僕ではそれを知らず、ただ生理的な嫌悪感と、「親を嫌ってはいけない」という一般論の狭間で悩んでいたのだ。

 ある日のことだ。いったい親の間でどういう話があったのか分からないが、不動のやつがうちに泊まりにくることになったのである。

「日陰くんと仲良くしてね」

 そして二人で遊ぶことになった。不動は乱暴者だが大人しくしていれば問題ないし、他人がいる前だと母も必要以上に触ってこようとしない。トータルで考えるとプラスではあった。

 不動はゲームを持ってきてたので、二人で遊んだ。アクションゲームで一通り遊んだあと、唐突に不動が口を開いた。

「かくれんぼしよーぜ」

 急に何を言い出すかと思ったが、同意した。じゃんけんで不動が隠れるほうに決まり、一分数えて探し始める。いくら一軒家でも豪邸ではない。ましてやうちに初めて来た不動が隠れることができる場所など数えるほどだろう。

「みーっけ」

「うわ、はえー」

 クローゼットの中に隠れていた不動を見つけた。不動は出てこようとしたが、足が何かに引っかかったようだ。無理矢理出てこようとしたせいで、中に入っていた箱がでてきて中身がぶち撒かれた。

 写真が、床に散らばる。

「………………っ!」

 裸の幼児や、小学生くらいの子供の写真。中には、当時は理解できていなかったが大人との性交渉の最中のものもあった。写っている子供は、みんな感情がそぎ落とされた無表情か、苦しんでいる顔。それが、女性ものの下着が入っていた箱の底に隠されていたのだ。

 母に触れられているときのような、生理的な嫌悪が爆発する。吐きそうだ。

「へー」

 何も言えなくなっている僕を気遣うことなく、不動は写真をじろじろ見る。

「お前もこういうことされてんの?」

「…………っ!」

「お前、いっつも帰るときにイヤそうな顔してるもんな。あんな美人のかーちゃんなのに。ふーん。へーなるほど」

「さ、されて、ない……!」

「そっかー」

 不動は何枚か見たあと、箱に写真と下着を戻してクローゼットに戻した。

「おやつ食べたい」

「えっ……」

「おやつ食べたい。甘いやつ」

「……………うん」

 頭の中がまとまらない。怖い。不動に言われるがままに、おやつのためにクローゼットがある二階から一階に降りようとした。

 ガタッ!

 リビングから大きな音がした。何かと思って見に行くと、テレビを見ていたはずの母が倒れていた。苦しんでいる。

「た、たすけ……」

「………!」

「息が、急に息が……きゅ、きゅうきゅうしゃ、でんわで、いちばんと、いちばんと、きゅうばん……おして……」

 母が途切れ途切れに必死な顔で助けを求めてくる。携帯電話を探していると、気の抜けた声がした。

「なー、プリン食べて良い?」

「え…………」

「だってさー、お前もさっきの写真見たじゃん?」

 写真、とそれだけしか言ってないのに母の顔が一瞬真顔になった。息苦しさには負けてすぐにまたうめき声を上げだしたが、それでもほんの一瞬の、不動を見上げる無表情の顔は恐ろしかった。

「悪者なんだろー? 助けなくていいじゃん」

「…………………っ」

 分かっている。今ここで母を見捨てれば、もう体を触られたりしなくていいのだ。もしかしたら、いずれはあの写真のように、酷い目に遭うのかとしれない。

 ぎゅっと手を握られた。驚いて不動を見ると、ニコニコとしている。

「なあ、お前はどうする? 俺はどっちでもいいけど」

「う……うー……………」

「やめて……助けて……もうしないから…………」

「………………」

「ごめんなさい………」

「………………」 

「たすけて…………」

「………………………………………………………」

 母が動かなくなった。なんだか何も考えられない。不動が手を急に離したかと思えば、冷蔵庫からプリンを持ってきた。

「すぐに救急車呼んだら病院で生き返るかもしれねえし、プリン食ってからにしようぜ」

「……………………」

「お前は黙ってればいいから」

「……………………」

「なー、これヒミツな。怒られそうだし」

「うん……………」

「テレビで見たんだけどさ、ヒミツを知ってるやつが友達なんだろ? じゃあ俺たち今から友達だな」

「え………」

「幼稚園、子分ばっかでつまんねーしな」

「……………」

「じゃあ指切りな。これヒミツな。指切りげんまん……」

「………………」

「嘘ついたら、針千本」

 のーます、と。


 二人で、母の死体を眺めながらプリンを食べた。


*****


 母の死因はピーナッツアレルギーだった。ピーナッツクリームが塗られたパンを食べたのだ。母は元々ピーナッツアレルギーではない。ピーナッツクリームが大好物でよくパンに塗って食べていた。おそらく何度も食べたことで密かにアレルギーを発症し、そしてよりにもよって初めてのアレルギー反応で死にまで至ってしまったのだ。

 母を愛していた父はたいそう悲しんでいたが、葬儀が終わり、母の部屋、あのクローゼットがある部屋を掃除したあとは妙に落ち着かなかったり、頭を抱えていた。

「なあ…………その、お前、母さんに変なことされなかったか………?」

 父がおそるおそるそんなことを聞いてきた。息を呑み、何も言えなくなり、すぐさま逃げた。

 父は追ってこなかったが、それ以降母の話をすることはなくなり、生きていたときと同じようにそのまま全部残すと言っていた母の荷物も全て処分した。母の仏壇もないし、墓参りに行った記憶もない。出張が多い部署から別の場所に志願して異動し、二人の落ち着いた生活が始まった。


*******


「三島さんはさ、何かあいつのヒミツとか知ってる?」

「不動くんのヒミツ?」

 んー、と少し考えた風だったが、

「それは、ヒミツ」

「ふーん」

 パチ、と最後のホチキスを止めた。同時に、やかましい足音が近づいてくる。

「はいはいはーーーーーーーーーい!!!!!! クラス委員のやつ終わったから手伝いに来ましたーーーー!!!!!!」

「もう終わったけど」

「マジ? じゃあデート行こうぜ!!!」

 渋る三島さんの周りをアホが回っている。

「三島さん」

「ん?」

「あいつさ、頭おかしいから彼氏にするにはオススメしないよ」

 三島さんに優しく忠告する。もっともアレと十年以上付き合いがある僕が言っても説得力ないが。

「三島に何吹き込んでんだテメェ!

 でな、この前言ってた店のプリンアラモードが最高でさ~」

 アホが三島さんと共に去って行った。残るのは静寂と、少し疲れた僕が一人。

「プリンかあ………」

 あの日のことを思い出して、小さいため息を一つついた。

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