豪雨の中で

 大雨の日だった。


「あら、これじゃあお買い物行けないわね」

 あれは小学生の時だったか。それくらい小さな頃の、とある雨の日。

 お母さんはそう言っていた。ざあざあざあざあ、バケツをひっくり返したような雨。テレビの音すらかき消してしまうほどの豪雨は、雨でもかんばろうってやる気すらも削いでしまう。

「今日の夕飯は家にあるものにしようね」

「……お豆腐」

「お豆腐? お豆腐のどのお料理が良いの?」

「焼いてて、上にお肉とお野菜が乗ってたやつ……」

「豆腐ステーキね」

 こくん、と小学生の私は頷く。

「あ、お醤油足りるかしら。今日買いにいくつもりだったから……」

 お父さんが新聞から顔を上げた。

「この間お土産でもらったやつがあるだろ。あの小さくて高そうなやつ」

「そうね。せっかくだし開けちゃいましょう」

 お父さんとお母さんが話している。私はそれに混ざらずに、空から何か来るような気がして窓の外を眺めていた。

 一瞬光ったあと、ゴロゴロという大きい音がする。

「やだ、雷」

 お母さんは嫌そうな顔をしてカーテンを閉める。

「テレビでいいのないかしら」

 そう言ってテレビをつけて、お父さんはまた新聞を読み始めた。私はまだ、カーテンが閉まった窓を見ている。

 “いる“から。

 雷といっしょに落ちてきたそれが、窓の外にいるから。カーテンの隙間から、それを眺める。

 雨に阻まれ何もかも不明瞭なのに、それだけははっきりと視えた。不定形の黒い何か。多分思考すらままならないだろう。これからこの世でいろいろなものを見て聞いて、そうして形を得ていくお化けの赤ちゃんのようなもの。それがうちの庭にいる。

「千花」

「?」

「外に何かあるの?」

「……なんでもない」

 お化けの赤ちゃんはうごうごと蠢いている。やがてどこかへ去っていき、立派に成長して、やがてちゃんとしたお化けとなるだろう。それが人に害をなすのかそうでないかは今はまだわからないが。

「…………」

 この雨があがったあと、きっとこの町には怪談が一つ増えている。

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