その楔に形はなく(中編2)

 その子は一人で中庭にいた。


「あ…………」

「…………………………………」

 ぽた、ぽた、と土の上に歪んだ赤い水玉ができている。

 とある日の放課後、同じクラスの美しい少女は中庭のベンチに座り込んでぼんやりとしていた。その手首には真新しい傷跡があり、今も血が流れている。

「……何?」

 気づいたのか、少し険のある目をこちらに向ける。

「……えっと」

「とりあげる?」

 ひらひらと、濡れたカッターをゆるく揺らす。

「欲しいなら、どうぞ?」

「しないよ」

「あら、どうして?」

「とっても、根本的な原因をどうにかしないと意味がないって……言ってたから……僕の、兄さんが」

「へえ、お医者さんかしら?」

「違うよ……たまに、同じことしてるから……」

 傷口を、指でさす。

「…………………………ふぅん。どうして? 教えてほしいわ」

 汚れていない右の手で、友也の頬をそっと撫でる。

「ひ、日陰兄は、実際どうなのか、はっきり言わなかったけど……」

 死なないために自分に傷を作るやつもいる、と。頭の中の全てを覆う死の衝動を振り払うために、自ら痛みを獲得する者もいる、と。

 ゆえに最大の癌は死の衝動にかられる原因であり、道具を取り上げてもまた別の方法で痛みを得るから意味がない。

 自傷の痛みは、死に拐われぬための楔だ。

「だから、その、困ってることあったら、話、聞くよ……?」

「………………………………………」

 整った無表情でじっと見つめられるのは少々怖く感じた。しかし友也は目を離すこともできず、少女の大きい瞳を見つめるしかない。

「この衝動の理由なんて自分でもよくわからないの」

「………………………」

「なんで自分で痛い思いをわざわざしてるのか自分でも不思議だったわ。でもそうね、そういう理由なら納得かもね。

 死は、魅力的だもの」

「で、でも、やっぱり、傷とか残っちゃうし、不衛生だし、やめたほうが……」

「そうよ。だからねえ、ふふ、あなたが楔になってよ」

「え…………」

「私、お友達が欲しいの。あなたがお友達になってくれるなら、きっとこんなこと止められるわ。だって死に拐われたら、お友達と話すこともできないもの」

 ニコニコと、笑う。

 整った顔の、きれいな笑顔。でも目からも口からもその本心が読み取れない、少し怖い笑顔。情緒不安定なときの兄がする、表情。

「ねえ、この哀れな女を助けるために、お友達になってくださらない?」

「う、うん…………」

 押しに弱い性格が、何も考えずに言葉を発した。

 どこまでも現実なのにどこか現実感のない、子供同士の約束事。それは、他に誰もいない中庭で行われた。

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