少し昔の彼女との話

 女なのに、女の子と付き合ったことがある。


 中学時代、自分の霊感が原因で不登校になっていた。そんな私の日々の過ごし方といえば、一日中図書館に籠もって勉強と読書を繰り返す地味なものだった。

 図書館は良い。静かで、落ちついて、本がいっぱいある。妖精さんやお化けもときどきいるが、みんな静かに本を読んだり寝ていたりする。

 外みたいに、道端で内臓を散らした妖精さんの遺体はない。

 外みたいに、脳みその集団が宙に浮いて風に流されたりしていない。

 外みたいに、強いお化けに食べられる弱いお化けの断末魔は聞こえてこない。

 外には、私にしか視えない幻想がいっぱい。他の人には理解されない幻想がいっぱい。

 ────三島さんって、変な人だよね。

 だから私は、いつも孤独。

「隣いい?」

「……どうぞ」

 急に話しかけられて、上を向く。立っていたのは、中性的な美形の人。胸が少し膨らんでいるから、それでようやく女の人だということが分かる。

 隣の人は椅子に座ると静かにハードカバーの本を読み始めた。私も自分の読書に戻り、本の中の世界に没頭して隣の人のことはすぐに忘れた。昼になって飲食可のコーナーでお弁当を食べて、夕方まで読書と勉強を繰り返す。いつも通りの一日。

(……ん?)

 ハードカバーの本の周りで、何かがうろちょろしている。体長数センチの肉付きがほどよい棒人間。全身の色は青く、目や鼻や口はない。それらは私が読んでいる本によじ登り、印刷された文字に触れた。


 ずるり


 文字が、本から抜け出かけている。文字取りさんという妖精さんだ。文字をこっそり本から取り出して、コレクションする妖精さんだ。私が指先でちょんとつつくと文字を置いてすぐに逃げていく。図書館みたいな本が多い場所にはときどきいるのだ。

「……ねえ、君」

「え?」

 隣の人がひそひそ声で話しかけてきた。

「君は、お化けが視える人なんじゃないかな?」 


「私の姉が、そうだった」

 図書館の外。広場の片隅にある屋根付きのベンチ。私たち以外誰もいない寂しいそこで、隣の人、晶さんの話を聞く。

「十歳年上の姉は、不思議な雰囲気の人だった。当時小学校低学年だった私には、身近な家族のはずなのに、天使のような絵画のような、どこか違う世界の人のような気がしていた。もちろん、そこ込みで好きだったよ」

「…………」

「姉が本を読んでいると、さっきの君みたいにちょんちょん何かを突いてるんだ。何もないのに。だから何してるか聞いたんら、『文字をとられちゃうから』ってね」

「………」

「“霊感少女“だったんだよ。私の姉は」

 持っていた缶コーヒーを飲み干し、隣のゴミ箱に捨てる。

「信じるんですか。お姉さんの言うことを」

「信じるよ。大好きな姉が言うことだもの。姉は嘘をつく人じゃないし、それに」

 空を見る。空は青い。

「あれは、真実を語っても周りから信じられなくて疲れてる、悲しい目だったよ」

「…………………………」

 自分で持っていたコーンポタージュの缶を強く握る。

「だからまあ、姉みたいな君を見たらつい声をかけてしまったというわけさ」

 フフ、と笑う。

「そう、ですか……お姉さんは」

「死んだよ」

 それはまるで当たり前のことのように。

「首を括った」

「……そうですか。仲間が出来るかと思ったんですが」

「私じゃダメかな? 興味がある。仲間にはなれないけど、友達にはなれると思わないかい?」

「……私は、陰気で友達にしても楽しくないですよ。こんな不登校児」

「私だって大学サボってこんなとこ来てるんだぜ。仲間だ」

「でも……」

「怖いかい?」

 ざ、と鳩が飛んだ。多頭の鳩。足が複数ある鳩。虹色の鳩。それぞれに、足が掴んでいるのはこれまたバラバラになった多頭の猫。それが、空飛ぶ脳みそに向かって飛び去っていく。

 それは、私にしか感じ取れない歪んだ幻想。

「自分が視ているものが。他人に理解されない溝が」

「………………っ」

「私には何も視えないからその溝を埋めることは出来ないけど、忘れさせることはできるよ」

「どうやって……っ」

 唇で唇を塞がれた。思考が止まり何も考えられなくなっている間に舌が入り、口の中をなぞっていく。

「な、なにするんですか!?」

「ほら」

 フフ、と薄い笑み。思わずベンチから立ち上がる。

「有象無象なんてどうでも良くなっただろう?」 

「なっ……」

「じゃあね子猫ちゃん……なあんちゃって」

 晶さんは微笑みを絶やさぬまま、鼻歌を歌ってどこかへと去って行った。一人残された私はといえば、言葉も力も失ってへなへなと崩れ落ちる。

 そのときの周囲の歪んだ幻想など、私にはもはやどうでもよい存在だった。

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