鏡がない部屋

 「ここに鏡を持ち込まない」という制約がある安い部屋を借りることができた。


「ちっちゃい手鏡くらいならいいけど……そうだね、顔全体が映るようなサイズはダメ」

 おばちゃんの大家はそう語るが、理由は教えてくれなかった。とはいえ都内の山手線沿線のリビングが8畳の1LDKを4万で借りれるのだからその程度で文句は言えない。

(他の部屋はフツーにもっと高いし……)

 つまり鏡を持ち込んだら何かが起こるんだろう。なにか良くないものが映ってしまうのだろう。

(まあいいか、手鏡はありだし)

 化粧は一応するが興味がないのでそこまで気合いのはいったものはしない。大きな鏡くらいなくたって大丈夫だろう。

 安さにつられて始めたこの生活は順調だった。手鏡のみでの生活もすっかりと慣れた。安い家賃でそこそこきれい、そして駅にも大学にも近い部屋は最高だった。

「はいこれプレゼント」

 誕生日のときに、サークルやゼミの友人たちからプレゼントをたくさん貰った。ほくほく気分で家に帰り、プレゼントを開封する。

 その中の一つが、顔全体が映る、鏡。

『引っ越した部屋に鏡なかったって言ってたよね! かわいいの見つけたからプレゼント!』

 メッセージカードにはそう記されていた。たしかに鏡を禁じられていることは伏せて、鏡がないとだけ言ったことがある。

 枠は自分好みデザインで、新品なので鏡面はピカピカだ。

 そして映っているのは、自分だけ。

 どう見ても、鏡面におかしなものはない。部屋の様子も何か起こる様子もない。

(なんだ、鏡があったって平気じゃん)

 わざわざ禁じるくらいだからオカルト的な何かあるのだろうかと思ったが、拍子抜けだ。

「あ、化粧よれてる」

 一日の終わりだから当然ではある。やはり顔全体が見れる鏡はいい。

「明日からちゃんと使おう」

 そう決めて、その日は寝た。

 

 やっぱり顔がちゃんと映る鏡はいい。化粧もばっちりできるし、髪だって全体を見れるほうがいい。化粧も髪もばっちり決めていったら、友達からほめられた。

 気分がいい。安さを優先して化粧品を買っていたが、もっといいものを買った方がいいだろう。がんばればがんばるほど自分がかわいくなっていって、なんで今まで真面目にやらなかったんだろうと思う。休みの日も一日鏡とにらめっこをして化粧の研究をしてもっともっとかわいくなって、美しくなって。

 もっと。

「……………………あれ?」

 なんで、今まで興味がなかった化粧をこんなにがんばってるんだろうと、ふと気づいた。

「正気に戻ったかい。鏡を持ち込んだらダメって言ったでしょ」

「!?」

 いつの間にか、大家のおばちゃんが金槌を持って隣に立っていた。そして周囲には、割れた鏡の破片が散らばっている。

「なん……あれ……?」

 体に力が入らない。猛烈にお腹が空いた。腰もお尻も痛い。まるで、ずっと同じ姿勢でいたときみたいに。

「ほら、水だよ。あんた、ポストから察するに二日か三日は飲まず食わずでそうしてたんだろうさ」

「は……?」

 でもたしかに、スマホの日付は三日ほど進んでいる。

「この部屋に鏡を持ち込むとこうなるのさ。鏡が壊れるまで、まるで魅いられたように鏡と向かい合い続けるんだよ。手鏡ぐらいなら平気だけどね。

 言っても信じてもらえないから『鏡を持ち込むな』とだけ言ってるのさ。勝手に心霊沙汰だと思い込んでくれるからね」

 大家はそう言うと「死にたくなかったら鏡は持ち込むんじゃないよ」とさっさと出ていった。大家だからマスターキーぐらいは持っているのだろう。

「…………………引っ越そうかな」

 鏡の破片と化粧品で一杯の部屋。スマホに表示された大量の友人たちからの通知。ああ、どこから片付けたものだろうか。


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