不可視の獣(後編2)

 暇な日だ。三島に連絡を取ろうとしても、返事がない。勉強でもしているのか、買い物か、はたまた寝ているのか。


 まあ、別にいい。本当に暇潰しで話したかっただけで、たいした用事もない。

「ふぁ~~あ」

 昨日夜遅くまで映画を見ていたせいか、自然とあくびが出た。家事はもうやってしまったし、外に出る気もしない。少し早いけど風呂でも入ろうかなと思った途端、


 ちゃり、


 金属が擦れる音がした。


*****


 もう猪は、ビル二つと一軒家を一つ噛み砕いて飲み込んでいる。明らかに体積を超えた量を取り込んでいるが、猪は平気で動き回っていた。

 どう逃げたらいいのかすらわからず、ただただ頑丈そうな、別のビルの中に逃げ込んで座り込んでいた。

(いよいよ死ぬんじゃないかな、これ……) 

 あれに食べられたら、あれと一体化してしまったらどうなるだろうか。ただただ目の前のものを見て聞くことしかできない私の"霊感"はその疑問に応えてくれない。人は未知のものにもっとも恐怖を感じるという。どんなことになるかわからない、なにがあるかわからない、これからどんな恐ろしい目に遭うかわかない。

 今の私は、とても、怖い。

(いっそ先に死んじゃおうかな……………)

 異常事態に遭遇した人間特有の突飛な思考はよく脳に馴染んだ。ふらふらと立ち上がって、轟音をバックに窓の外、三階の景色のその真下に視線をやる。固そうなコンクリートは、待っているかのようにじっと地面を覆ってその場に佇んでいた。

 窓枠を掴む手に力が入る。今ここで飛び降りれば、よくわからない怪物に食べられて、吸収されて、パーツの一つとなることはないのだ。

 その代わり、全部終わりになってしまうけれど。

「……………………っ」

 今まで命を絶とうなんて思ったことなんて何度もある。何度も、というかそれはいつも頭の片隅にうっすらとこびりついているものだった。

 他人とまるで違う世界しか視れない自分。それゆえに今後世界に馴染むことができないことが確定している一生。だったら、と考え続けても、なんとなくズルズルとここまで生きてきてしまった。

 なんとなく、死ぬのが怖いから。

 たったそれだけの理由で、なんとなくここまできた。そのなんとなく、はこんな局面に到っても私の手と足を止める。

 前になんて言われたか。昔衝動的に歩道橋から飛び降りようかなと考えていたときに、言われた言葉。ご飯食べてあったかくして寝てから考えろだったか。そんな暇はあの猪は与えてくれないだろう。

 

 どぉん


 ビルが揺れる。窓の外の猪が、近くにある別のビルに食らいついている。どうしようどうしようで頭がいっぱいになっていると。


 ちゃり


 軽い、金属音がした。


「……………どこ!? 風呂は!?」

 見慣れた褐色肌が、困惑の顔を浮かべながら近くの部屋のドアから体をはみだしてきた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る