姉の友達

 リビングで姉がアルバムの整理をしていた。


 デジタル万歳な世の中だが「データなんて簡単に消えちゃうし」と姉貴は厳選した写真データを律儀に印刷して残している。印刷する際に選び抜いているのでこうして整理の際に抜かれるのは、別れた彼氏や縁を切った友達がでたときだ。リビングのテーブルの上には、抜かれる写真と位置を変える写真が分けて置かれている。

「自分の写りがいいのばっか残してやがる」

「当然でしょ」

 オシャレ大好き。お化粧大好き。男は顔で選んでる。そんな姉なせいか、写真に写る「友達」の顔面レベルもとても高い。

「友達も顔で選んでるだろ……」

「バカねー。美しい女のところにはね、美しい女しか集まんないの」

「うわ頭悪そうな答え」

「うっさいわね邪魔すんなら自分の部屋行きなさい!」

 しっし、と野良犬を追い払うような手つきだ。


 ひらり、と。


 写真が一枚、床に落ちた。拾い上げたそれは何かのパーティの最中なのか、みんな飲み物を持って笑顔を向けている。

「……姉貴、この人誰?」

「何よバカ日陰、とっとと……んー……?」

 写真を見せると、姉貴も首をかしげた。写真の端に写っていたのは、不細工とまではいかないが地味な女だ。黒髪で、眼鏡で、モノトーンの部屋着のような服だった。姉貴たちはみんなお洒落をしているので、逆に目立って浮いていた。

「えー……なにこの人。知らない。つかこんな服ありえない。ダッサ」

「知らない人か」

「まあこのパーティーのときいっぱい人いたし……たまたま写ったんじゃないの」

「友達じゃねえんだ。ばっちりピースしてるけど」

「バカ言わないでよ。誰かこんな地味なのと仲良くなるかっての」

 やっぱ顔で選んでるじゃねえか、と姉貴の性格の悪さに嘆息した。


 数日後、リビングのコルクボードに変化が起きていた。そこは家族の写真を飾る場所でもある。家族写真以外にも、部活の大会で優勝したときとか、高校の入学式とか、親戚が集まったときに記念撮影したものとか、いろいろだ。そのなかに、この前の写真も紛れていた。姉貴は写りのいい写真をときどきここに飾っているのだ。

「何見てんの」

「謎の写真飾ったんだなーって」

「謎?」

「ほらこの端の女」

「ああ、美奈のこと」

 姉は、当然のごとくさらりと回答した。

「……友達でも知り合いでもねえって言ってたじゃん」

「あー……忘れてた。友達だよ」

「どんな忘れかただよ」

「美奈、イメチェンしたからね。そっちで覚えてんの」

「…………」

 なんだろうか。違和感のような、不安感のような。得体が知れない気配がする。イメチェンしたとはいえ、この顔で全てを判断する女がこんな元が地味な人を友達にするんだろうか。

「何よ黙って……バカにしてんの?」

「まあ、姉貴のことは常々バカだとは思ってる」

「はあ!? あんたほんっとうに生意気なのどうにかなんないの!?」

「いい加減にしなさいあなたたち」

 母さんがやってきたので大人しくする。姉はまだキャンキャン言っているが、呆れた様子の母さんたしなめられるだけだった。


「わん、わん」

「んー……?」

 いつのまにかソファで寝ていたらしい。飼い犬のリュースケが犬用のおもちゃを咥えて、前足で俺の体を叩いていた。家の中に人の気配はない。みんなどこかに出掛けているようだ。

「遊んでほしいのか」

「わん」

「待ってろ。飲み物飲んだら遊んでやるから」

 少し喉が渇いたため、冷蔵庫から茶を取り出し、リビングに戻って飲む。ふぅ、と一息つくと、ふと部屋の隅のコルクボードが目に入った。

 ────美奈、イメチェンしたからね。そっちで覚えてんの。

「イメチェン前の姿忘れるってどんだけ昔なんだよこの写真……」

 写真を手に取り、裏を見る。姉貴はいつも写真の裏に撮った日付を書くのだ。その日付は、一週間前。

「……いや、一週間で顔は忘れねえだろ」

「ウゥー……」

 リュースケが唸る。敵意丸出しの視線は、写真へと向けられていた。

「おい、どうし……」


 ピンポーン


 玄関のチャイムが鳴った。

「ワン! ワンワンワン!!!」

「お、おい! 客だぞやめろ!」

 リュースケはすぐさま玄関へ向かうと大声で吠え出した。普段はこんなこと絶対にしないのに。インターフォンを取るが、なぜか映像は映らない。

「あれ?」

『あのー……』

「あー、すいません。ちょっと犬がはしゃいでて」

 音声は繋がっているようだ。

『そう、なんですか』

「はい。すみませんどちら様ですか」

『みな、です』

「みな?」

『あなたのおねえさんの、おともだち、です』

「ワンワンワン!!!」

 リュースケが、ひときわけたたましく吠えた。

「姉貴の?」

『あそびに、きました』

「……………」

 少しゆっくり話している以外は、普通の女の人の声。

「ワンワン!!!」

(……なんで俺が姉貴の弟だって分かった?)

 この家に男は多い。たしかに自分や友也と言った「弟」もいるが、長男は姉貴よりも年上で、「兄」にあたる。父もいるし、男というだけでは誰かはわからない。

 もちろんそれぞれ家族の声を知っていれば聞き分けるのは容易だし、ただ単に若い男の声を聞いて弟だと思い込んだだけということもあるが。

「バウバウ!!!」

 吠え続けるリュースケ。急に画面だけつかなくなったインターフォン。なんだかじっとりとした嫌な雰囲気が漂っている。

「姉貴は出掛けてますんで……」

『でかけてますか』

「いつ帰ってくるかもわかんないんで、お引き取りください」

『では、まってます』

「は?」

『まってます。ここで。かえってくるまで』

「はあ? 迷惑なんですけどぉ」

『邪魔はしませんので』

「……………」

 そりゃねえよ、と心中で呟く。時計を見ると、そろそろ気弱な弟が帰ってくる頃だ。

「しゃあねえな……」

「わう!?」

「お前は待ってろ。追っ払ってくるから」

 女とはいえ不審者相手だ。一応武器になりそうな傘を持って玄関のドアを開けようとする。

「ワンワンワンワン!!!!!!」

「ちょっ!」

 リュースケが、けたたましく吠えたてながら開けるのを妨害するかのようにドアに体当たりを始める。

「ちょ、おい!」

「ワンワンワンワン!!!!」

「わかった! わかったって! 外出ないから!」

 途端にリュースケは体当たりを止めた。だが唸りながら、ドアの外を警戒することは止めない。そして外にいる女は、この大きな音を聞いても逃げるわけでも、こちらを心配して声をかけてくるわけではなかった。

(どうするよこれ……三島に連絡でもするか……?)

 不自然な姉貴の様子といい、もしかしてお化けの類いだったりして、とポケットからスマートフォンを取り出そうとして、写真を持ったままなことに気づいた。

「…………」

 別に根拠なんかない。

 どうしてそうするか根拠なんてないが、写真のその地味な女の部分を、他と切り離すように破り捨てた。


『あっ』


 小さな声。でもはっきりと聞こえる声。

 それが聞こえたあと、何か乾いた音がして、それっきり何も聞こえなくなった。

「………………」

 試しに玄関のドアノブを掴む。リュースケは静かなままだ。

 玄関ポーチにはただ塵芥のようなものが一掴み、あるだけ。

「……おやつ奢ってやるよ。リュースケ」

「わん!」

 とてもとても嬉しそうな顔で、一声元気に大きく鳴いた。


「なんでこれ破れてるの?」

 地味な女の部分はライターで燃やして処分した。残りの部分はコルクボードに戻しておいたが、当然姉貴は異変に気づいた。

「日陰ぇ、こんなくだらないことすんのアンタくらいでしょ」

「はーーーーーーーヤダヤダヤダヤダ。なにもかも根拠なく弟のせいにする姉とか本当勘弁なんですけど」

「家にずっといたのあんたくらいでしょうが!」

 姉貴は怒鳴るものの、写真を改めて見るとトーンを落とした。

「……まあいいか。なんか写り悪いしこれ」

「気に入ってるから飾ったんじゃねえのかよ」

「そのはずだけど……なんで飾ったんだろうこれ。別に写り良くないし。いっしょに写ってるの、別にそこまでキレイな子たちじゃないし」

「……美奈さんの部分、破れちゃってんなあ」

 試しに、そう口に出してみる。

「誰よ、美奈って」

 訝しげな、本当になんの心当たりがない顔だ。

「……なんでもねえ。勘違いだ」

「は? ほんと意味わかんないんだけど。メンヘラだけじゃなくて頭も悪い弟とか最悪なんだけど」

「あははははは家族といえど普通にぶん殴っていいかクソ姉貴」

「女に暴力とか最っ低!」

「け、ケンカはやめてよ……」

 弟の友也がビクビクしながら間に入ってきた。護衛なのかリュースケもそばに控えている。

「友也ぁ。将来彼女作るときはこういう口も性格も悪い女は絶対に止めとけよ。人生損だぜ」

「友也! 顔は大事だけど、こいつみたいな顔だけしか取り柄がないような男には絶対なっちゃだめだからね! いい!?」

「え、ええ……ふ、二人とも、悪い人じゃないと……思うよ……」

「またケンカして。いい加減にしなさいあんたたち」

 いつの間にか帰ってきていた母さんが友也を抱き締める。

「あんたたち姉弟でそっくりなんだからケンカとか卒業して仲良くしなさいよ」

「「どこが!?」」

 被った。不服である。

「ちょっとお母さん! 私メンヘラじゃないんだけど!?」

「俺こいつみたいに人を顔面だけで判断しないんだけど!?」

「派手な見た目ばっか気にして自己主張強くてやかましいところとかそっくりよ。少しは友也やお兄ちゃんを見習いなさい。これ以上うるさくすると夕飯あんたたちの嫌いなメニューにするからね」

「えー……」

「……はー」

 夕飯のことを出されたら逆らえないのだ。悲しい性である。

「萎えるぜ……あーもー、リュースケ、気晴らしに散歩いくぞ」

「ワン!」

 散歩セットをとって家を出る。春になりかけの風が吹き去っていき、玄関ポーチの塵芥は、知らぬうちにすっかりと消え去っていってしまった。

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