近所の老人とハサミ
近所に頭がおかしいじいさんがいた。
独身の独り暮らしなのにたまに外に聞こえるくらいの奇声を上げていて、そいつの家の前を通ると威嚇されて、ときにはハサミを持ち出すして人に向けるときがあった。じいさんゆえに一歩一歩ゆっくり歩くことしかできないので、子供でも簡単に逃げれるから怪我人は出ていない。
でも、みんな早く死んでほしいと思っていた。たとえ負傷者が出てなくても、気分で気軽に刃物を持ち出すのやつなんて、存在するだけで最悪だった。
関わりたくない。なるべく刺激せずに関わらないのが最善だとされていた。
だから、その日も無視した。
その日も外に聞こえるくらいの奇声を上げていたが、みんな無視した。その日の奇声はいつもの動物のような奇声ではなく、苦しそうな声だったが、みんな無視した。
しばらくして孤独死しているのが見つかり、近所の住人は正直ほっとした。業者らしき集団により部屋の清掃が入り老人の痕跡はなくなり、ようやく静かな日々を過ごせるようになると考えていた。
*****
夜。あの頭のおかしいじいさんが死んで、ようやく夜の道を安全に通れるようになったとほっとしながら歩いている。いつもだったらじいさんの家を避けるように遠回りしないと威嚇されるが、これからは真っ直ぐに帰れるのだ。
あのじいさんには子供のころに追いかけられた。まだあの頃はじいさんも足腰が丈夫だったから、追い付かれて何を考えたのか殴られたあと抑え込まれてハサミで髪を切り刻まれ、たまたま近くを巡回していた警官に助けもらったことがある。おかげですっかりハサミはトラウマだ。あのじいさんへの感情も、嫌悪より恐怖のほうが強い。
でも、もういいのだ。気にしなくていいのだ。解放感で、足取りも軽くなる。
ひゅっ
「え?」
何かが自分の横を通りすぎたような気がした。最初は、低空飛行している鳥かと思った。
けど、振り返ると、そこにはハサミが宙に浮いていた。大きくて古いハサミ。それはトラウマのせいで頭に焼き付いている、あの老人のハサミ。それがまるで透明人間が持っているかのように空中に浮いていて、どんどんの暗がりの中に進んでいき、やがて闇に紛れて見えなくなった。
気がつくと、腰が抜けて道路に座り込んでいた。
みんな、みんなほっとしていた。安心していた。あの老人の死を受け入れていた。でも、でも。
「…………………………………………………………………」
人は死んだら幽霊になるという迷信がある。当然大人になってからは信じていなかった。でも、まるで幽霊のような、見えない何かがハサミを動かしているのをたった今見た。
死とは。あの老人の死とは、老人の命の終末ではなく、ろくに動かぬ年老いた体からの解放だとしたら……。
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