余裕綽々(嘘)

 さて、彼は年始から年末までずっと「余裕」を貫いていた。


「はーーー、お前なんでそんな余裕あんだよ!」

「そりゃあA判定だしぃ? 勉強もちゃんとやってるしぃ? B判定くんたちとは違うんだよなぁ?」

「腹立つー!」

 まだ冬休み前、男子に囲まれていた不動くんはムカつくようなドヤ顔をしていた。難関大学を受けるというのに常に余裕綽々で、ときには友達を叱咤激励し、あるいは友達が科目問わずつまづいているところを丁寧に解説してやり、ある日は悪辣に煽る。今日は煽る日か。

 とはいえそんな不動くんはみんな慣れたもの。ひとしきりブーイングしたあとに大人しく勉強に戻り、わからないところがあれば素直に不動くんに質問する子もいる。

 よくあるいつもの光景。B判定とC判定をうろうろしてる私は、いいなあ、と思いながら眺めていた。


*****


「ん……………」

 冬休みのある日。目覚めると真っ白い空間にいた。

「………夢か…………」

 すぐに夢だと察す。これが明晰夢ってやつだろうかと思ったが、爽やかな青空と草原を願っても白い空間は白い空間のままで、ちっとも変わりはしない。

『うう……ぐすっ……』

 テキトーに歩いていると、なんだか聞いたことがある男の子の泣き声だ。しゃがんで丸まって、見たことがある子が泣いている。

「……何やってるの、不動くん」

『……………やだ…………………』

 いつもじゃらじゃらつけてるブレスレットは外して、代わりに左手首に三本、赤い線。そこからとろとろ流れる液体が、白い床に嫌な模様を作り上げていく。そして周囲にあるのはたくさんの紙。これは、模試やテストの結果だ。

『A判定』

『90点』

『A判定』

『89点』

『92点』

「…………何がイヤで泣いてるの、本当」

 むしろ鼻高々になる要素だろう。それを使って煽っている光景すら容易に想像がつく。

『怖いんだよ』

「何が?」

『当日になって体調崩さねえかとか。くっだらねえケアレスミスで点数下がって足切りとか嫌じゃん……怖いんだよ……』

「ああ……」

 まあたしかにそれは怖い。どんなに優秀でもそれで志望校に入れないことはあるだろう。でもそれは、みんなも同じ気持ちだ。

「他のお友達も同じようなこと言ってたでしょ?」

『言ってたけどダセェこと言うなって言った……』

「なんで?」

『そんなのにビビってんのカッコ悪いじゃん……………』

「…………………………………」

 前々から思っていたが不動くんは見栄っ張りだ。"強くてなんでもできる自分"にこだわりすぎているような気がする。それで当たり前の不安すら誰にも言えなくてこの有り様か。

(いや、私が勝手に夢に見てるだけだけど……) 

 あくまでこれは夢。現実の不動くんはそんなこと全く気にせず楽しい夢の中だろう。

(……夢の中で勝手に不動くんが悩んで傷ついてることにしてしまった……)

 異常性癖に悩んでることは知っているが、これは、多分違うだろう。

「ほら泣かないで、私がどうにかしてあげるから」

『どうにかって……』

「じゃあ……その傷をとってあげよう」

 どうせ夢なら、なんでもできる。傷口の端を摘まんで持ち上げると、まるで瘡蓋かのようにペリペリと剥がれていった。

「ほら、痛くない痛くない」

『なんで……』

「さあ……夢だからかな」

『返せよ!』

「なんで?」

『そいつ、三島の傷になろうとしてるぞ!』

 たしかに"傷"は蠢いて、私の体に張り付こうとしてる。なるほど、変な夢だ。

「じゃあこうしてあげる」

 先手必勝。ぺしっ、とその傷を私の体にテキトーに貼り付けた。瞬間、じくじくとした痛みが体を襲い、血が流れ出てくる。

『ちょ……おい! 返せよ!』

「やだ」

『やだって……!』

「これに懲りたら、見栄張らないでお友達に相談しなよ」

『…………っ!』

 突如白い世界に、どんどん白い霧が満ちてきた。

 ああ、夢の終わりか。本当に、変な夢だった。


*****


「……なんで」

 朝起きると、内腿に三本の生々しい傷があった。夢じゃなかったのか? たしかにあのときスカートを履いていたから、貼り付けやすいそこにテキトーに貼り付けたのだ。

「……………」

 下着が写らないように気をつけて傷の写真を撮って、メッセージなしで不動くんのLINEに送る。

『……………………っ! なっ、おい!』

 秒で電話がかかってきた。錯乱してるのか言葉にはなっていないが。

「手首の傷、消えてる?」

『消えてる! 消えてるんだよ! だから怖いんだよ! なんだよあれ夢じゃなかったのかよ!』

「そうみたいだね。不思議なこともあるものだね」

『か、返せよ! 傷返せって!』

「ほっとけば治るよ」

『それで放置できるわけじゃねえだろ』

「返す方法知らないし……」

『う……』

「……で、受験、怖いの?」

『……………………………………………まあ』

「見栄っ張り」

『……………………………………………………』

 そんなこと、全然知らなかった。

「素直になりなよ、もう」

『だ、だって……』

「今の方がカッコ悪い」

『…………………………………』

 間があって、それでも出てきたのは呻き声だけ。

「ねえ」

『あとで、また、電話するから』

 そしてそのまま切られてしまった。かけ直しても繋がらない。「手首切らないでよ」とメッセージは送っておいた。

 受験が怖いなんて、そんなありふれた思いはみんなで共有してしまえばいいのに。

「すこしは頼りなよ……バカ」

 私の言葉は、今の不動くんには届かない。



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