全裸の女がやってきた

 森で、大人の女の人が大声で泣いていた。


『うええ~~~~~ん!!!』

「…………」

 子供みたいな泣き方だが、泣いているのは完全に大人の女性だった。背が高くて、胸が大きくて、腰はくびれていて、お尻は大きい美人さんだ。

 けど私には霊感があるから分かる。この人は人間ではない。妖精さんの類だ。通常妖精さんは手のひらサイズが多いから、人間の大人と同じ大きさの妖精さんは珍しい。

「…………あの、どうしたんですか」

『私のことが視えるの!?』

 女性は私にしがみつく。

『助けて~~~! ちょっと人間の国に遊びにきただけなのに迷子になっちゃったの~~~! おうち帰りたい~~~!』

 見た目は大人だが中身は子供みたいだ。ぐずる女性をなだめて話を聞く。どうも五丁目の空き家が、妖精さんの国の入り口のようだ。

「近くだし、案内しますよ」

『ありがとう! 私、リリィよ。よろしくね!』

「私は千花です。三島千花」

『チカちゃんね! かわいい!』 

 リリィさんは明るい妖精さんだ。友好的な部類だから、コミュニケーションは問題なくとれるだろう。だけど、たった一つの点が私には不思議でならなかった。

 全裸。

 リリィさんは、服を着ていない。

『私たちの国で服を着るなんて、寒いときだけよ!』 

「そうなんですか」

『そうよ! 見てこのなめらかな肌! 豊かな胸! くびれた腰! 大きなお尻! 艶やかな髪!

 どれもこれも私が長年ケアし続けて獲得した美しさ! 誇りよ! 私たちの国ではその誇りを周囲に知らしめることこそが正義なの!』

 つまり、全裸しかいない国ということになる。すごい価値観だ。リリィさんに限らず妖精さんというのは私たち人間とはかけ離れた価値観を持っていることが多いけど、美しさを誇る余り全裸というのは初めて見た。どんな妖精さんでも少なくとも腰布くらいはつけているのに、この人は股間にすら何もつけていない。

『むむ、貴女の胸、成長途上ね。私には分かるわ』

「……どうも」

『恋人はいる? 揉んで貰うといいわよ』

「いえ、そういうのは……」

 悪い妖精さんではないが、価値観が決定的にズレている。曖昧に笑って返事をしているうちに、五丁目町の空き家についた。

「着きましたよ」 

『ああ! そう! ここよ! 本当にありがとう!!!』

 リリィさんは私のことをぎゅっと抱きしめる。胸で窒息しそうだ。

『このご恩は忘れないわ! 今度とびっっっきりのお礼を用意するからね!』


*****


 いい夢を見た。とてもとても良い夢だった。

「不動、朝から機嫌いいけどどうしたんだよ」

「えー? いや、うへへへ」

「キモ」

 うるせえ、と友達の一人にローキックをお見舞いする。とはいえ、お互い座っているからダメージなんてほとんどない。

「で、何。いいことあった?」

「いやー実はスーパーハイパーウルトラスペシャル良い夢を見ちゃってな」

「ふーん、どんな?」

「三島とセックスする夢!」

 うへへへとだらしない笑みが漏れる。でもしょうがないことだ。夢の中とはいえ好きな子とセックスできたんだから幸せの絶頂に至っても致し方ないことだと思う。夢の中では彼氏彼女の関係だった。ぜひ現実でもそうなってほしいものだ。

「三島ちゃんとねー……マグロっぽそう」

 たしかに普段の三島は無感動無表情だ。そういうイメージがあってもおかしくはない。

「いやこれが意外と積極的でな。途中から俺の上に乗ってきて……あー幸せ」

「クールなあの子が夜は……って、童貞かよ」

「童貞じゃねえよ。元カノぐらいいるっつーの」

「こいつ、元カノにSMプレイ頼んでフラれたことあるぞ」

 いきなり人の黒歴史をバラすんじゃない。ゲラゲラ笑う友人たちの声を聞きながら、バラした友達にヘッドロックをかける。

「で? 夢の三島ちゃんにもSM頼んでフラれたか?」

「してねえよ! あの件については反省しております!

 こう優しく、お姫様を扱うようにだな、痛くないようにちゃんと」

「ふーん、じゃあいいこと教えてやろうか」

「?」 

「三島ちゃん、後ろにいるぞ」

 背筋に寒気が走った。まさか、いや

まさか。体は硬直するも、後ろを振り返らずにはいられない。

 たしかに、三島はいた。いつも通り無感動無表情で、その視線を俺に向けている。

「…………………………………」

「あの」

「…………………………………」

「ごめんなさい」

「…………………………………」

「きらわないで」

「…………………………………」

「みすてないで………」

 語彙力が死んだ。泣きそう。なんで。さっきはいなかったのに。

「………ごめん、しばらく話しかけないで」

 このときほど死にたくなったときは、今までの人生にはなかった。


*****


 教室から出て、廊下。幸いなことに誰もいない。

「……リリィさん」

『はぁい』

 今日も全裸のリリィさんが現れた。さっきから、いや、今日は朝からそんな気配が漂っていたのだ。

「あの、私、昨日…………………変な夢を見たんですけど」

『ええ、もちろん私がやったわ!』

 自信満々に、リリィさんは答える。

『いい男からの精を得る! これが私の国で一番良いことなんですもの! この間のお礼よ!』

「………………………………」

 頭が痛い。つまり私が見た夢は、ただの夢じゃなくて。

『安心して! あくまで夢で、体は処女のままだから! ちょっとあなたとあの男の子の心を惑わして、夢を繋げただけ! 人間は初めての人を大切に選ぶんでしょう? 私、ちゃんと勉強したわ!』

「あの……なんで不動くんと……」

『あなたの記憶を読んで男を見繕って調べた結果、その中で一番顔が良くていい体をしててアソコの形と大きさが良かったのがあの子なの! 性格とかはよくわかんないけど!』

 オブラートに包むということが出来ない種族なんだろうか。

 夢とはいえ最高の体験ができたでしょう?』

「…………………いんま?」

『ええ、そうよ。淫魔、サキュバス……あら、言ってなかったかしら?』

 リリィさんは首を傾げる。見た目は全裸の女性。実は淫魔。ああ、うん、納得としか言いようがない。

『驚いた? ふふ、そうよね。いきなり最高の体験ができたんだもの。これが淫魔流サプライズなの。あの子、こなれてる割になかなか優しくていい子だったわね。付き合っちゃえば?』

「いや、その」

『あら、不満?』

「抗議したい気分というか」

『あらどうして? 覗き見たけどけっこう楽し』

「楽しんでません」

『でも私の見立てではあなたはけっこうムッ』

「違います」

『でも年頃だし、あなた毎夜オ』

「してません」

 ほんとぉ~?と疑わしそうな顔でじっと見るのを止めて欲しい。

『うーん……人間へのお礼って難しいわ。コレが価値観の違いってやつなのね』

「そうですね……」

 たしかに、人間と淫魔の溝は深い。きっとリリィさんは私の今の心情を察することはできないだろう。

『ふむ、このままでは淫魔がすたるわ。もっと良いお礼を』

「お菓子とかでいいので、ほんと」

『わかった! 淫魔界一番のケーキ屋さんで』

「人間界のコンビニのお菓子でいいです」

 お手軽すぎない? というリリィさんを説得して出ていって貰った。リリィさんが完全に見えなくなった頃に、はぁ、と壁に体をもたれて、崩れ落ちる。

「………………ただのゆめだとおもってたのに……………」

 これじゃほとんど現実じゃないか。これから不動くんとどう向き合えばいいんだ。

「きすとか、しちゃったじゃん……」

 夢の中の不動くんにされたのだ。夢の中では私は不動くんのことを彼氏だと思い込んでいた。おそらくリリィさんが言ってた『惑わす』とは、スムーズに性行為をさせるために、お互いを恋人だと思い込ませることだろう。生々しい夢だから、まだ感触を覚えている。キスよりすごいことをしていたのだが、妙に記憶に残っているのはそこなのだ。

 愛していると、言われながらされたのだ。

「…………………うー……………………」

 床に座り込んだせいでポケットから落ちた携帯のランプが、点滅してる。通知にはメッセージが八十三件。おそらく不動くんから謝罪のメッセージが延々と届き続けているのだろう。

 さっきの泣きかけていた不動くんの顔を思い出す。あのままはかわいそうだ。

「………………あー……………」

 平静を、平静を保つんだ。いつものように、無感動に、無表情に。

 そう自分に言い聞かせながら、教室への足を進めた。

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