秩序
社会というのは秩序によって形成されるものだ。
秩序がなければ社会はできあがらない。秩序というものを作り上げるには大多数の人の我慢と犠牲が必要だが、それによって生活する上で一定の安全が保たれる。
だから、それを破ろうとする無法者は排除される。
不動くんといっしょに、雑誌で話題となったカフェにやってきた。
「並んでるね」
「ま、三人くらいなら待てるだろ?」
「うん」
外にメニューが貼られた看板があるので、暇潰しは十分だ。
「ねこさんのパンケーキ、食べたい」
「いっぱいあるじゃん」
「和風とはちみつクリームのやつ、どっちにしようかな」
「俺このガレットってやつ食べてみたいな」
そんな平和な会話。他に並んでいる人たちも似たよう内容を話している、穏やかな時間。
ブオォオン
ブオォオン
そんな時を切り裂くように、爆音が遠くからやってきた。振り返ると、明らかに制限速度を越えた真っ赤なスポーツカーが道路を突っ切って行っていた。今にも色が変わりそうな青信号をギリギリで駆け抜けていって、あっという間に視界から消えていく。
威嚇するような音だけは、まだ空気を震わせていた。
「……ああいうのに石投げてえわ、石」
「こら」
事故の元だよ、と言うと不動くんは舌を出す。
「今どき暴走? 爆走? ともかくダセェしうるせえんだよ。街中でやるなよ。捕まってしまえあんなよ」
「そうだね。事故とか起こりそうだし……」
「車はかっこいいのムカつくんだよなー」
「車、好き?」
「かっけえなとは思う。あー、でも自分で使うならやっぱ使いやすいのかなー。わかんねえけど、2シートは使いにくそう」
「家具とか、大きい買い物とかしたら助手席だけだと載せきれないかもね」
「そうそう」
そんな他愛もないことを話しているうちに町に響く爆音すら耳に届かなくなっていった。
*****
「……………………………」
カフェの帰りのことだ。
帰りに寄ろうとした店への道が工事中であったため、遠回りしようとしたのだ。個人経営らしき小さな酒場が並ぶやや細い道をくぐろうとすると、そこにそれはあった。
「ん? どした?」
「………………………………」
車が、埋まっている。
さっきの車かもしれない。そうでないかもしれない。ただ、赤いスポーツカーが古いアパートに埋まっていた。
事故ではない。だって車もアパートも破片を散らばらせていないから。まるで最初からそう作られた現代芸術のように、あるいはアパートが粘土でできているかのように、車は形を保ったまま、アパートにその前半分を埋めていた。
「……ねえ、なんか変なもの、ある?」
「ないけど……」
「そう」
じゃあ、もうあちらのものになってしまったのだろう。
よくよく見れば、小さい妖精さんか、あるいはお化けか、親指くらいの多数のそういったこまごまとした存在が車に群がって、落書きをしたり石で叩いたりしている。
彼らがやったのだろうか。いや、彼らにこんな大胆なことができる力があるとは思えない。多分ただの便乗だ。
『キー!』
小さな叫び声。車と壁の境目あたりにいた一匹が、壁に飲まれそうになっている。なんとか抜け出して一目散に逃げていくと、他の存在たちも境目から距離を置いた。
どうやら、まだまだ壁は車を飲み込んでいる最中のようだ。
アパートが主体なのだろうか。こんなことをする力があるアパートなんて、お化けが経営しているのだろうかと顔をあげる。
『市営住宅 ***** A-1棟』
剥げかけたペンキで、そう描かれている。たしかに似たようなアパートが近くに林立している。
「"市"か……」
市営住宅、学校などの市営の施設。それらは全て"市"の支配下にある。普段は静かに息を潜めているけれど、目に余るときにはこうして"こちらがわ"から牙を向く。
だから、秩序を乱してはいけないのだ。ほんのときどき、こういうことが起こるから。
役所がやっていることではないだろう。"市"、という巨大な怪異が独自の価値観で行っていることなのだ。私たちが歩いている道路も、全て"市"の手のひらの上。怪異として巨大すぎてよっぽどのことでもない限り個人に意識を向けることはないから、何度も何度も暴走行為を繰り返していたのだろう。
「お化け?」
「うん」
とっても大きな、百万都市のお化け。
私たちは今日もその上で、秩序を守りながら生きていかなければならない。
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