言ってはいけない言葉
その集落には"絶対に言ってはいけない言葉"があるという。そしてその言葉は、人によって違ううえに、一年で変わるという。
「はぁ、わざわざ東京からここまで……」
「はは、研究のためにはよくあることです」
民俗学の研究者はそのとある集落を訪れた。言ってはいけない言葉の伝承なんて全国に数多くあるが、それが個人によって変わり、一年で変更になるという話は聞いたことがない。
その集落に子供の頃から住んでいるという老人は「これが俺の今年のやつです」と紙を一枚取り出した。
『やみなさ』
たった四文字が記されたそれを渡しながら「バカらしいことだとは思うんですがねぇ」と話し始めた。
「昔っからやってることですし、なんかねぇ、気味悪くて続けてしまいますわ。一応あんたも口には出さんでくださいよ」
「一年で変わるということですが、どなたか翌年の言ってはいけない言葉を決めているんですか?」
「それが、まあ、わからんのがもっと気味悪いところで……」
集落の者はみんな、正月が終わる頃にふと頭に強く三文字から四文字の言葉がふと頭に思い浮かぶという。そしてそれを唱えてはいけないという強い思いに囚われるのだ。それがその年の言ってはいけない言葉だ。
「唱えた人はいないんですか?」
「そりゃいますわ。若者とかね。なーんもない。事故も病気もなーんもないですわ。だからただの迷信に決まってますが、なんか、こう、ねぇ……」
老人に礼を言って、他の人々へと話を聞いて回った。
数百名へと及んだ取材は一応の区切りがついて自宅へと帰る。ここ数年の言ってはいけない言葉を書き写した紙がテーブルに年代別に並べてられている。手の中にあるノートには住民の簡単なデータと言葉の一覧がまとめられていた。
「またなんか変なことやってる」
「研究だぞ」
「ふぅん」
同居している恋人は民俗学に無関心だが、それゆえに口も出さない。食っていけるならいいじゃない? というスタンスだ。……正確には食って行けず他の分野の執筆やら配信やらの収入でどうにか、というのが現状だご。
「言ってはいけない言葉だと」
「ふぅん……似たような言葉ばっかり」
「そうだ……似たような、でも意味をなさない言葉……」
「もっと面白い単語ないの? ボボボーボ・ボーボボとかさぁ」
「そりゃお前が読んでる漫画のタイトルだろうが」
恋人はつまんなぁいと部屋を出ていく。ようやく静かになったと一息つくと、ふと思い立った。
そういえば、この言葉たちの中に「ぼ」の字はない。ば、や、が、など他の濁点がある単語はあるのに。
慌てて年別の単語を全て五十音に当てはめる。そうだ。人は禁じられたら、わかっていてもそれに触れてしまう習性がある。だから、本当に触れてほしくないのなら、あえて……。
「ない……」
全ての年で、特定の四文字が"言ってはいけない単語"に含まれていない。
「き……ぬ……ぼ……ま……」
「ねぇ〜、シャンプーの予備ってどこだっけ〜?」
女が部屋へと入ってくる。恋人の研究者の部屋へと。
「ん〜? コンビニ?」
部屋の窓は開け放たれ、風が吹いていた。
「あーあ、知らないっ」
開け放たれた窓に攫われたのだろうか。先程まで机に広げられていた言ってはいけない言葉の紙も、まとめたノートも、何もかもなくなっていて、当の研究者の姿も今はどこにも見当たらなかった。
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