309 テンペスト(2)

「へっ、昨日言われたことくらいオレだって覚えてらあ」


 ふて腐れた顔でそう言うノーマに、また笑いが起きる。形だけその笑いに加わりながら俺は、胸の奥に湧きあがってくる後ろめたい気持ちを必死になって抑えこんだ。


 あの場所で口にした不確かな憶測――ルードを送るために敢えて口にした方便が、今や取り消すことのできない真理として一人歩きしている。尾ひれどころか、立派に手も足も生えて。……確信などない。彼らが死んだところで、俺の元いたあそこへ戻るなどという保証はどこにもない。まして最後までこちらで生きようと踏みとどまってみたところで……。


 だが、もう後戻りはできない。俺の中に存在するこの疑念――これだけは決して表に出してはならない。この舞台の緞帳が降りきるまで俺はこの後ろめたさを抱え、誰にも知られないようにこのいんちきな語り部の役を演じ続けなければならない……。


「それによ、考えてみりゃまだ駄目だ」


「何のこった?」


「まだそっちに行くこたできねえってこった。オレにはまだこっちでやり残したことがある」


「何だ、そのやり残しってのは?」


「『死神』とやるこった」


「はあ? ノーマじゃ相手にもならねえよ。一瞬で真っ二つにされるのがオチだろが」


「そっちのるじゃねえよ。犯す方のる、だ」


「……ああ、そっちか。けどどっちみち同じこったろ。まずってたおさねえことにはれねえんだからよ」


「なに、そのへんは隊長がそのうちうまくやってくれるさ。いくら『死神』の腕が立つったって所詮は一人だ。隊長が本気になってオレら全員でかかりゃあ――」


「その件だがよ、アンタの口利きで何とかならねえかな」


 熱を帯びてきたオズとノーマの掛け合いに水を差すように、落ち着いた静かな声でユビナシ――その名の通り両手とも薬指がない痩身の男が、おずおずと俺に声をかけてきた。


「え?」


「仲間にできねえかってことだよ、『鉄騎』の連中を。あいつらにはほとほと手え焼いてんだよ。仲間に引き入れられるんなら、それに越したこたねえ。アンタ、あいつらと知り合いなんだろ?」


「知り合い……まあ、そうなんだけど。仲間に引き入れるのはたぶん無理だ」


「何でだ?」


「何で……って言われても」


「ばか! 仲間にしたられねえだろうが!」


「斬り殺されるよりマシだろが。なあハイジさんよ、どうにかできねえか?」


「……難しいな。だいたいこの前だって仲良く話してたわけじゃなくて……やっぱり無理だ」


「そう、無理だ無理だ!」


「だたらよ、どうやたらあいつらたおせると思う? ハイジならよ」


 今度の質問はラビットからだった。いつもの喋りからすれば幾分真剣な口調のそれを受けて、全員の視線がまた俺に集まるのがわかった。


 ……そんな目で見られても困る。こと戦闘に関しての俺は素人同然なのだ。そう思いながらも俺は少しだけ考え、ふと思いついたところを口に出した。


「あのクルマを奪ったらどうだ?」


「車?」


「『鉄騎』のことだよ」


「ああ、そう言てたか。けど、そなもん奪てどうすんだ。誰が操るんだよ」


「誰って……俺が操れるけど」


「何だと!?」


「本当か!?」


 そう叫んでオズとヒダリテが勢いよく立ち上がり、男たちは一気に色めき立った。一言もなく聞き続けていたゴライアスさえ、興奮の面もちで身を乗り出すようにしている。


 そんな彼らの反応に圧倒されながら、俺は自分の口にした言葉を慎重に思い直した。……大丈夫、あの車なら運転できる。たとえ軍用のジープだろうと何だろうと、苦労してマニュアルで免許を取った俺ならばどうにか乗りこなせる。


「というか、誰にでも操れるよ」


「……出任せじゃねえだろうな、それは」


「出任せじゃない。そんなに難しいもんじゃないし、半日もあれば誰でも操れるようになる」


「……本当かよ」


「ああ、本当だ」


 訝しそうな目で見つめてくるラビットたちに、自信を持って俺はそう返した。


 車の運転で難しいのは、道路という限られたスペースを交通法規に従って走ることであって、その縛りさえなければ難しくも何ともない。オートマならものの数分、マニュアルでも半日あれば充分におつりが来る。エンジンの始動と基本的なアクセル・ブレーキ、それから場合によってはクラッチとシフトレバーの連動を覚えればそれで訓練は終わりだ。


「もしあの『鉄騎』を奪えたら教えるよ。そうすればラビットたちにもすぐに操れるようになる」


 ――と、自分が彼らを相手に、その訓練をいつかどこかで実際にやらなければならないことを思った。


 昨日、あの唐突な電話の中でキリコさんが語った話を信じるならその訓練を避けて通ることはできない。俺がDJあいつに成り代わってここの隊長になるのなら。この廃墟を取り巻く広大な砂漠を越え、彼らをその外へ導く役目が本当に自分のものになるなら……。


「よし! ならその手でいこうじゃねえか。『鉄騎』を奪っちまえばもうこっちのもんだ」


「どうやって奪うんだ?」


「そいつはオレに任せろ。あのハゲの脳天に風穴空けるくらいオレにだってできるさ」


「『死神』はどうすんだよ」


「おまえにまかせるぜ相棒オズ


「冗談じゃねえ。てめえがれてめえが」


「下らねことで喧嘩すな。あれだ。ノーマもとりあえず『死神』のこた忘れろ。それよか今夜のこと考えるだな」


「ラビットの言う通りだ。『国王軍』の女は粒揃いだぜ。次やるのが楽しみだっていつかおめえも言ってたじゃねえか」


「そうか……そうだったな。そう考えりゃ今夜はりがいがある。よおしみなぎってきたぜ! 今夜は暴れてやろうじゃねえか!」


 そう言って雄叫びをあげるノーマにオズたちも同調する。すっかり俺の話から離れて下世話な話題に流れる彼らを眺めながら、小さくひとつ溜息をついた。


 部屋の隅に目をやると、アイネはもうとっくに興味が失せたというように銃の手入れを始めていた。


 浮かれ騒ぐ男たちの中にあって、ゴライアスだけが一人、話の続きを促すようにじっと俺を見ていた。


◇ ◇ ◇


 招集の声がかかったのは日没の間際だった。結局、その時間になるまで居座っていたラビットたちと連れだち、死にかけた弱々しい陽光の射す通路を広間へと向かった。


 嵐はもう止んでいた。窓の外には地面に長い影を落とすビルの群れと、不安を感じさせるほど澄み切った群青に染まりゆく夜空になりきれない空とが覗いていた。


 広間に着くと、ちょうど例の儀式が始まったところのようだった。草を積みあげたテーブルの周りに集まり、めいめいそれを紙で巻いて煙草にしている。


 部屋に入るなりラビットたちは何も告げずそのテーブルを囲む人群ひとむらに交じった。アイネも同じように無言のまま、だが彼らとは反対の方向へ進むと、胸の前に腕を組み壁に背を預けて、この部屋ではもう見慣れた壁際の彫像となった。


 取り残された形になった俺は、初めラビットたちに従って儀式の輪に加わりかけ、だがやはり思い直して壁際――アイネが寄りかかっている壁の一隅に同じように背もたれた。


 次々に部屋へ入ってくる男たちで、テーブルの周りには早くも喧噪が起こりつつある。新参者がその輪に加わるのは、もう少し落ち着いてからでいい。あとを追うように壁際に向かう俺にアイネは軽い一瞥を投げただけで、それきりもうこちらを見ようとはしなかった。


 そうして紫煙の漂い始めた薄闇の部屋に、俺は一人になった。


 所在なく壁に背もたれたまま、目に映る情景をぼんやりと眺めた。ゆっくりと立ちのぼる煙の列。次第に大きくなってゆく話し声と、鼻を突くいぶされた草の臭い。もう肌寒い夜気。刻一刻と青みを増す夕闇の中、影絵芝居のように黒々とうごめく男たちの群像――


 そんな情景が一昨日の夜――初めての出撃があったあの夜に重なった。嬲り殺された捕虜の死体をキリコさんに引き渡し、ぐちゃぐちゃに乱れる思いをどうすることもできなかったあの夜……。


 煙に霞む藍色の広間は、そのときのものと何ひとつ変わらない。ただ乱暴に肩を抱いてくる腕と、耳元に吐きかけられる煙臭い呼気いきがないことを除いて……。


「……」


 ジーンズのポケットに指を伸ばし、冷たい鉄の塊に触れた。――ルードの形見の銃。あの黎明の部屋にあるじを撃ち殺した銃は、今も俺の手の中にある。


 招集がかかって出立しゅったつの準備をしているとき、俺はなぜかその銃をポケットに入れていた。両手で構えなければまともに撃てない俺に銃は二丁もいらない。重くてかさばるだけのそれを敢えて手に取った理由――そのときはわからなかったその理由が、こうしてあの夜と同じ情景を眺める今の俺にはわかる。


 もう一度、ルードの銃に指を触れた。ちょうど彼の顔がそうであったように傷だらけの、無骨で飾り気のない無銘のリボルバー。小振りながらずっしりと重いそれは、まがいのない鋳鉄製の本物だった。


 反対のポケットに手を伸ばす――同じように冷たい、だが明らかに別の材質が指先に触れる。プラスチックの弾を詰めこんだ紛い物の銃。銃把に刻まれた滑り止めをなぞりながら俺は、その銃を自分だと思った。


 白い煙の立ちこめる黄昏の広間に、気がつけば宴はたけなわだった。


 そのただ中にあって自分は――自分だけが紛い物なのだと思った。あの夜、俺をさいなんだ出口のない迷路は、もうここにはない。けれどもあの夜を写したようなこの情景の中に踏み入り、彼らと同じ権利で宴に加わることも、俺にはできない。


『そんなシケたツラしてたら死ぬぞ』


 ふと、耳元で声が響いた。浮かれ騒ぐ男たちの喧噪を背に、あの夜のルードの幻が現れて消えた。


 たわいない感傷に胸が疼いた。思わず自嘲の笑みを浮かべながら、俺はその感傷に逆らわなかった。この暗闇の中にぐちゃぐちゃだった俺の心を救ってくれた男のために。あの暁の中に俺がこの手で最期の銃弾を撃ちこんだ男のために――


「……」


 ルードは本当に向こうへ戻ったのだろうか。


 ぼんやりした感傷の中に、素直な気持ちで俺はそう思った。ただの疑問として……語り部としての責任からも、自分が口にした言葉からも離れた、純粋な疑問として。


 あいつは本当に向こうへ戻ったのだろうか。俺のいたあの元の世界に戻って、そこでまたあの傷だらけの顔に陽気な笑みを浮かべているのだろうか……。


「……」


 もちろん、答えなど出ない。その答えはルード――俺の言葉に目を閉じ、撃ち殺されたあの男しか知らない。


 その言葉がもし嘘だったとしたら……それを思うと暗い罪の意識が錐のように俺の胸を刺す。誰よりも彼のために。俺の言葉を信じて死んでいった、この世界へ来て初めての友だちのために――


「よお、やらねのか?」


 不意にかけられた声に、俺の意識は一昨日から今夜に引き戻された。声のした方に目をやればラビットが自分でも煙草をくわえながら、火の点ったもう一本のそれを、吸い口をこちらに差し出していた。


「出る前にはやらねとさ。吸い方は教えてもらたんだろ? あいつによ」


「ああ……ありがとう」


 そう呟いて、ラビットからその煙草を受け取った。


 刺々しい異臭が鼻をつく。その臭いにえながら口に含み、煙を吸いこもうとする――その前に、あの夜ルードに教えてもらった、戦場に向かう準備のためのその『正しい吸い方』を思い起こす。


「ふう……」


「なあ新入りさんよ。今夜はよろしく頼むぜ」


 最初の一息を吸い、その分の煙を吐き出したところで、今度は別の声がかかった。


 ラビットの隣に立ち、にやにやと笑うその声の主は、まだ俺が名前を覚えていない男の一人だった。何度か顔を合わせているが、名前までは出てこない。「ああ」と曖昧な返事を返す俺に、馴れ馴れしい調子で男はなおも続けた。


「今夜はアンタが頼りだからな。噂のやつを見せてくれよ」


「え?」


「『魔弾』ってやつだよ。『黒衣』とるのは正直怖えが、あいつらが弾丸タマぶちこまれてくたばるとこ見られるなら、そんな楽しみなこたねえや」


「……ああ」


「みんな同じこと思ってるぜ? 口には出さなくてもよ。『国王軍』の掃討なんてことを隊長が言い出したのも、アンタって切り札が仲間に加わったからだってことをよ」


「そうともよ。今夜の戦いじゃ間違いなく『黒衣の隊あいつら』が出てくる。そんときゃ頼んだぜ。アイネの言ってたのが嘘じゃねえこと見せてくれ」


 横合いから口を挟んできたのはオズだった。その後ろにはオーエン、それからユビナシもいる。みな一様に値踏むような目で俺を見つめながら、口元に笑みを浮かべている。


 その表情の意味がわかって、俺はできるだけ同じ顔をつくった。期待に応えるだけの働きができるかわからないのは、俺も同じなのだ。


「まあ、俺にできる限りのことはするよ。ご期待通りにいくかわからないけど」


「いくに決まってるじゃねえか。なにせアンタは、今夜の出撃の主役なんだからな」


 そう言ってオズが肩を叩いてくる。陽気そのものの声と表情に、彼がもう戦場へ向かうための準備を終えていることがわかる。


 俺は小さく溜息をついて、ラビットから渡された煙草の煙を大きく吸いこんだ。いっぱいに肺にためて、目の前の彼らを見る。そうして煙を吐きながら、「わかった、任せろ」と返した。


 さっきまでと同じ値踏むような目はそのままに、「任せた」、「ああ、頼んだぜ」と彼らは口々に告げた。……現金なやつらだと内心に苦笑しながら、まんざら悪い気でもない自分がいることに気づいた。


 感傷はもうなかった。背筋には早くも熱を持った塊がうずうずと疼き始めていた。粗末な紙に巻いた枯れ草がもたらしてくれるもの――あの夜ルードが教えてくれた、今日という日を生き延びるための準備。


 いつの間にかできあがっていた仲間たちの輪の中で、その準備を済ませるために俺はまたその煙草を口に大きく息を吸いこんだ。

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