181 共同作戦の夜(4)


「さっき言うたやろ! どこへ聞いとったんや、の言うこと!」


「だから、なに言ってるかわかんなかったんですってば!」


 そう言ったはしからジープが大きく揺れ、危うく舌を噛みそうになる。舗装のない岩だらけの荒野を走っているのだから仕方のない話だが、この縦揺れだけは本当に勘弁してほしい。


 広大な地平の彼方には既に残光となった夕陽が今にも隠れようとしている。ヘッドライトをけずに走るジープの窓には、緩慢に夜を迎えようとする砂漠の光景が鮮やかに映る――そんな中を、俺たちはあの廃墟に向かい車を走らせている。


「だいたい何でこの前は自転車だったんですか!」


「はあ? なにて?」


「何でこの前は自転車で行ったんですか! こんなジープがあるならこれで行きゃよかったじゃないですか!」


「なにしゃべくっとるか聞こえんて!」


 ジープに乗りこんでからもキリコさんの喋りが変わることはなかった。隣合わせで座る俺たちが大声で叫んでも聞き返すほどやかましいのだから運転席のエツミ軍曹に聞こえるはずがないと思うのだが、それでもキリコさんは方言を使うのをやめない。


 ……まったく大した役者根性だと思った。だがそれ以前にこのダイナミックな騒音のなか支離滅裂な方言で話されると、聞き取るこっちとしては本気で聞き取れないのだ。


「こいつはなんやってん!」


「はい!?」


「こいつに乗ってくのはなんやってん! せやかて今さらそんなん言うとられへんわけやし!」


「ちゃんと聞こえてるじゃないすか!」


「ああ聞こえとっとよ! 聞こえとるから自転車チャリくらいでがたがた言わんといてや! そんなたいした距離でもなかったやろ!」


「……自分はぜんぜん漕がなかったくせに」


「はあ!? 今なんて!?」


「なんでも!」


 車庫は地下にあった。このジープだけではない、だだっぴろい空間に数十台の車が向きも揃えずに雑然と駐められていた。薄暗い照明に浮かびあがる車体はどれも軍用のものと見え、中には機関銃らしきものを搭載した車両もあった。


 そこから地上までの道はだいぶ長かった。どこをどう通ったのだろう、永遠に続くような曲がりくねったトンネルを抜け、最後にシャッターが開いて抜け出たのは黄昏たそがれる荒野の、切り立った渓谷の底のような場所だった。


 そこからキリコさんはひっきりなしに今日の作戦について語っている。あるいはトンネルを出てすぐ始まったこの雑音ノイズでエツミ軍曹に聞こえにくくなるのを待っていたのかも知れない。


 目的はDJの捕獲、その点については何の問題もない。ただその方法と注意点――東西南北が入り混じるひどい方言で語られるそれが今夜の作戦の鍵になる――ということのようだ。


「何度も言うようだけんども、彼奴きゃつひっつかまえに行くのはおめさんだでな!」


「それはわかったんですけど、何でですか!?」


「あん!?」


「それが一番大事で一番難しいんですよね!」


「ああそんだ!」


「だったらそれ、二人で協力してやるべきなんじゃないですか!?」


 キリコさんの作戦の中で、さっきからどうしても引っかかっているのがその部分だった。


 俺がDJを捕らえるために動く――そこまではいい。だが話を聞くほどに歴戦の強者であるDJを捕獲することは至難だと思わざるをえない上に、俺一人でそれをやれというのはまずもって不可能に近い。曲がりなりにもプロの兵士であるもう一人と協力してことに当たりたいという俺の希望に無理はないと思う。


 けれどもそのもう一人には他にやってもらわなければならないことがあると、キリコさんはそう繰り返す。


にゃ他に仕事があるって言っつらに!」


「だから! 何なんですか!?」


「あぁん!?」


にやってもらう仕事って、いったい何なんですか!?」


 この質問をがなり立てたのは都合何度目になるだろう。DJの捕縛とは別にエツミ軍曹にやってもらわねばならないという仕事。それを尋ねるとキリコさんはきまって黙るか、あるいは話を逸らす。


 当然、何らかの配慮があってのことなのだろうが、それは俺にとって死活問題だった。……いや、俺にとってではない。今夜の作戦を首尾よく果たしおおすために、そんな重要な部分を曖昧にぼかされていたのでは話にならないのだ。


「はっきり言いますけど!」


「あぁん!?」


「絶対失敗しますよ! そんなんじゃ!」


「……」


「無理です! 俺ひとりであいつ捕まえるなんて!」


 険しい表情を向けてくるキリコさんをじっと見つめ返した。遂に口に出してしまったその言葉は、けれども弱音ではなく紛れもないだった。


 多少、特殊な訓練を積んだとはいえ実戦経験のない素人に毛の生えた俺が、日夜戦闘に明け暮れ生き抜いてきた筋金入りの兵士を捕らえろというのだから無理に決まっている。まして地の利においても向こうにとっては庭で、俺はたった今この揺れる車の中で懐中電灯に照らされた地図を見せられたばかりなのだ。


 これでうまくいくとしたら濡れずに水の中から出てくるようなものだ。この際だからすべて言ってやろうとまた口を開きかけた俺の手に、そっとキリコさんの手が添えられたのはそのときだった。


「飲んどき!」


「え!?」


「いいから! それ飲んどき!」


「……」


 怒ったような口調でキリコさんは言った。何か粒のようなものが握らされたのを感じ、手を開いて見ると二粒の錠剤だった。種類は違う。よく見ようと顔に近づけたところで車が大きく揺れ、落としそうになるのを慌てて口に放りこんだ。水なしで飲んだ錠剤は何度も喉につかえながらゆっくりと胃の中へ落ちていった。


「これであんさんに鉄砲はあたらしまへん!」


「え!?」


「薬飲まはったやろ? これでもうあんさんに鉄砲はあたらへんねん!」


「何ですかそれ!? わかりません!」


「そん薬飲まはったら、弾が入っとらん鉄砲はようになるんやって!」


「……」


「弾が入っとらん鉄砲で撃たれはってもようになる! あんさんが言うてはりましたように!」


「……」


「どないどす!? あんさん、それでも無理と言わはりまっか!?」


 詰問に近いキリコさんの言葉に、すぐには答えられなかった。……無理かどうかの判断に迷ったわけではない、それ以前に頭が追いつかなかったのだ。


 薬を飲んだから鉄砲は効かない。弾が入っていない鉄砲で撃たれたところで痛くも痒くもない――そうキリコさんは言った。


 よく考えれば――いや、考えるまでもなくそれは当たり前のことだ。それが俺のよく知る世界における普遍的なルールであって、けれどもそのルールが通用しないのが、弾が入っていない銃で人を撃ち殺せるのがここでのルール……ではなかったのか。


「つまり! おみゃあさんの言うとった『科学』に戻るんだわ!」


「え!?」


「おみゃあさんの言うとった『科学』がって戻ってくるんだわ!」


「あ……」


 まるで俺の頭の中を覗いたようなキリコさんの説明に、ようやく話が飲みこめてきた。さっきの薬を飲んだことでルールが変わる――やはりその理解でいいのだ。


 ――弾が入っていない銃では人を殺すことはおろか、傷つけることさえできない。俺がこれまで常識と思ってきたことが常識として通じる世界になる……そういうことなのだ。


「弾は入ってないんですね!?」


「あぁん!?」


「連中の銃には、弾は入ってないんですね!?」


「せや!」


 なるほど、話が見えた。……そういえばいつかキリコさんは言っていた。『試験場』で彼らは実際に殺し合っている、だが彼女を含む『研究所』の人間が彼らによって傷つけられることはない。


 そのとき俺は、それがここのルールだと受け取った。だが、その理解は間違っていた。そのルールを成立させるためにがある……あのときの言葉はそういうことだったのだ。


「わかりません!」


「何がわがんねだ!?」


「ルールはわかりました! けど、それでもうまくいくかわからない!」


 耳元で叫ぶキリコさんの声に負けじと、思ったままをがなり立てた。


 彼女の言うことが本当なら、確かに状況はかなり違ったものになる。俺は相手の攻撃を気にせず、ただDJを捕まえることだけを考えればいい。


 ……だがそれでも不安は残る。暗闇の廃墟にあいつを見つけられるという確証はない。それに首尾よくその姿をとらえたところで、あのばかでかい図体の男と格闘してにできる自信は、正直、俺にはない。


「おめはんの弾はあたる!」


「え!?」


「おめはんの弾はんだ! だで心配はいんね!」


「……」


「そんでも無理か!?」


「……」


「無理か、って聞いてんだってばさ!」


「それなら、まるっきり無理でもないと思います!」


「ならそれでいこまい!」


 言葉に出した通り、その前提ならまるっきり無理というわけではないように思える。地の利があちらにあるとはいえ、戦闘能力についてはこちらが優位……と言うより一方的なものになる。


 友だちのあいつを目の前にして俺が銃のトリガーを引けるかは疑問だが、殺さずに済むのならそれもどうにかなるだろう。作戦におけるキリコさんの動きは未知数。けれども、おそらくDJの居場所を割り出して俺に教えるなりはしてくれる――そういうことになるのだろう。


「でも!」


「あぁん!?」


「それなら余計ほしいんですけど!」


 性懲りもなく俺は、またその話を蒸し返した。なまじ可能性があることがわかっただけに、どうしてもエツミ軍曹の役割が気になる。


 彼女と二人でかかれば、DJの捕縛はだいぶ現実的なものになる。銃器の扱いにしても、あるいは俺より慣れているかも知れない。彼女を戦力として考えた場合、あきらかに作戦を成功に導くための決め手になり得るのだ。


 しかし、おそらくそれを俺よりもよく理解しながら、エツミ軍曹には他にやってもらわねばならない仕事があるとキリコさんは言う。ならば、その仕事というのは――


「おっかねえのがおるんじゃ!」


「え!?」


おっかねえのがおるんじゃ! にゃ、そいつん敵娼あいかたばつとめてもらわんと!」


 ますます怪しくなる方言だったが、伝えようとしていることはだいたい理解できた。


 一人だけ恐ろしいやつがいる、だから軍曹にはそいつを引き受けてもらう。……キリコさんが言いたかったのは、つまりそういうことだ。


 ただそうなると、その一人だけ恐ろしいやつというのが誰なのか、今度はそれが気になってくる。廃墟にDJを追う中で、俺がそいつに遭遇しないとも限らない。


 そう思い、その恐ろしいやつについて聞こうと口を開こうとしたとき、不意にキリコさんが俺の頭を掴んで引き寄せ、その唇を俺の耳に押し当てた。


「――あんただよ」


「え?」


が怖いんだ。それで察しておくれ」


「……」


 耳の中をくすぐるようなキリコさんの小さな声は、だがはっきりと鼓膜に届いた。俺の頭を解放して胸の前に腕を組む、その横顔にはもうさっきと同じ、どこか苛立つような険しい表情が浮かんでいた。


 怖いのは俺、それで察してほしい。


 その言葉の意味を考え――かちりと噛み合うのを感じた瞬間、すんでの所で俺は「あっ」と声をあげるのをこらえ、むしろ釈然としない顔をつくって窓の外に目を移した。


「……」


 もちろん、俺にはそれですべてがわかった。すべての話がつながり、ばらばらだったパズルのピースがすべて符合するのがわかった。


 キリコさんの立てた『作戦』が一気に理解できた。


 危険なのは俺――つまり、だけ。だからそれをエツミ軍曹に任せる――いや、何としても押しつける。それがキリコさんの思い描く構図で……同時にエツミ軍曹には決して知られてはならないことだったのだ。


 なぜもう一人の俺が危険か――そのあたりもはっきりと見えてくる。


 さっきの薬を飲んだら弾の入っていない銃は無効になるという特別ルール。そのルールが適用されないただ一人の例外がなのだ。


 出るはずがなかった衛兵隊ガーディアンの死者と、存在が取り沙汰された『魔弾の射手』。廃墟を訪れたとき新入りとして紹介された、まだその場に不慣れな様子がありありと見てとれるもう一人の俺。思い返せばここまでに俺がたどってきた場面ひとつひとつが、今ようやく理解したその事実を伏線のように示唆していた……そう思えてならない。


 ……そう、DJを捕らえる上で最大の障害はあいつ自身ではなくだったのだ。


 どんな理由によるものか安全保障のためのシステムから逸脱し、既に一人の衛兵隊を殺害しているは、さながら草刈り場に現れた毒蛇コブラのように『研究所』の成員にとって極めて危険な存在に違いない。


 そのもう一人の俺をエツミ軍曹に引き受けてもらう、だから俺は一人でDJを捕らえなければならない。……そういうことなら、一見不合理に思える作戦が周到に練られたものであることがわかってくる。


 もう一人の俺は『研究所』にとって見過ごせない脅威となりつつある。ただ、今夜の作戦で捕らえるのはあくまでDJであってではない。もう一人の俺を捕らえてしまってはならない、なぜならにはDJのいなくなった廃墟でやってもらわねばならないことがある。そこまで考えて――俺はその作戦に隠されたキリコさんの冷たい思惑に気づいた。


 もう一人の俺をあの廃墟に残さなければならない――それはつまり、決して彼をということだ。


 極めて危険な存在でありながら、決して殺してはならない相手に差し向ける以上、逆にエツミ軍曹の身の安全は保証できない。いや、むしろその作戦における彼女の役割はに近い。


 もう一人の俺をエツミ軍曹に引き受けさせ、彼を絶対に殺してしまわないように計らいながら、その過程で彼女が不慮の死を遂げても構わない――そんな冷徹な計画をキリコさんはえがいている。それがわかった。


 何気ない風を装って隣に目を向けた。すっかり日の落ちた砂漠を行く車中に、苛立つような表情でじっと前を見つめる藍色の横顔があった。俺が顔を向けても、彼女の目はこちらを見なかった。もうすべて話し終えた、その横顔がそう言っているように見えて、俺もキリコさんに倣い、前を見た。


 黒々とした廃墟が前方に現れたのはそのときだった。


 接近を気取られないためだろうか、さっきからジープは速度を下げ、ちょうど俺が漕いだ自転車ほどのスピードでその廃墟に向かっている。そのために激しい振動はおさまったが、今度は波間を漂うような上下のグラインドがしきりに脳を揺らせる。吐き気を覚えそうになるそんな揺れの中で、俺の脳はこれまでにない速度でぐるぐるとまわった。


 失敗が許されない作戦。利害が一致しない相手との一時的な共闘関係。複雑に絡み合った事情と交錯する思惑、偽りの信頼。欺く者、欺かれる者。ゆっくりと、だが確実に迫っている、やり直しのきかない一回こっきりの舞台――


 そこで、俺は考えるのをやめた。考えてみれば――いや、考えるまでもなくこれは舞台だった。わけのわからないまま始まったこの舞台ともつかない舞台における劇中劇なのだから、俺はただ演ずればいいのだと思った。


 ……そう、俺はただ演ずるだけだ。期せずして与えられた舞台で、自分に与えられた役を幕が降りるその時まで――

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