182 共同作戦の夜(5)

⦅――さて、と⦆


 いよいよ速度を下げ、ほとんど歩くほどで進んでいたジープが停まり、合図もなく三人が車を降りたところで、キリコさんが最初から用意してあったに違いないその言葉を告げた。


⦅ここらでひとつ作戦会議といこうじゃないか。の中へ入っちまう前にさ⦆


 俺たちが降り立ったそこはだいぶ廃墟の中に入りこんだ、密集して立つビルの谷間のような場所だった。ジープを人目につかせないためだろうか、よく見ればそこは袋小路になっていて、今まさに抜けてきたやっと一台通れるほどの隘路あいろの他に出入りできそうな道はなかった。


 コンクリートの合間に除く夥しい星の輝きを除けば周囲は一切の闇で、我々三人以外に動くものの姿はなかった。エツミ軍曹の返事を待たず、キリコさんはもう一度同じ言葉を重ねた。


⦅作戦会議をしよう、って言ってんだよ。もっと大きな声で言わなきゃ聞こえないのかい?⦆


⦅聞こえております博士ドクター。ですが、その前にこれを⦆


⦅ああ、そうだったね。なら早いとこやっちまっておくれ⦆


 やはり気取られないためなのだろう、二人の声はどちらも充分に抑えられたものだった。ただそれなら車の中で話せば良さそうなものだと思うのも束の間、その荷台からエツミ軍曹が丸められたシートのようなものを取り出し、それをジープにかけるに及んで謎が解けた。


 材質はわからないが表面に幾つものブロックを貼りつけたそのシートは、明らかにカムフラージュのためのカバーだった。軍曹が手際よくそれをジープに被せ端の紐を結ぶと、なるほど夜目には小高い瓦礫の山にしか見えない。


⦅……終わったかい?⦆


⦅はい、終わりました⦆


⦅じゃあさっきの話を始めようじゃないか⦆


⦅はい、ですがその前に――⦆


 エツミ軍曹が軽く指を打ち鳴らした、その瞬間だった。


「……!」


 周囲から一斉に現れた人影が俺たちを取り巻き、銃口をこちらに向けた。何人いるのだろう、全員エツミ軍曹と同じ軍服を身にまとっている――衛兵隊ガーディアンだった。


 あまりに突然のことでどう反応していいかもわからず、思わず隣を見た。


 いつにも増して冷静な、値踏みするような目で彼らを見まわすキリコさんの顔があった。けれどもその顔が逆に冷静とはほど遠い、切羽詰まったときのものであることを俺は知っている。


⦅……こいつはいったいどういうことだい?⦆


 絞り出すような声でキリコさんは言った。遅まきながら銃を取ろうとする俺を手で制す。「無駄だよ、この人数じゃ」という呟きがそれに続いた。


「それにまだあんたは持ってないじゃないか、弾の入ったやつを」


「え?」


「連中はみんなあの薬飲んでんだよ。忘れたのかい? あれ飲むと弾が入ってないやつは効かなくなるってのを」


「あ、そういうこと……」


 懐に手を入れかけたぎこちない姿勢で固まったまま、そんな間の抜けた返事を返した。裏を返せば彼らの銃にはちゃんと弾が入っている、そういうことなのだろう。


 ただこの状況にあって俺の気持ちは自分でも驚くほど落ち着いていた。まだ事態がうまくのみこめないせいだろうか――そう思うのと、エツミ軍曹から声がかかるのとが一緒だった。


⦅銃を捨てて下さい⦆


⦅はあ? 銃なんかどこに――⦆


⦅銃を捨てるよう、彼に命じて下さい⦆


「……言われた通りにしな」


 ひび割れた声でキリコさんはそう言った。一瞬遅れて何を言われたか理解し、銃をホルスターから抜いて地面に投げ捨てた。


 その銃を一瞥したあと、エツミ軍曹はまたこちらに視線を向けた。軍人らしい冷徹な表情が闇の中にもはっきりと見て取れた。


⦅では、先ほどの件を⦆


⦅何の件だったっけね⦆


⦅作戦会議というお話だったかと⦆


⦅冗談にしちゃ笑えないね。そんな物騒なもん突きつけられて会議も何もないだろ⦆


⦅会議が必要なことは博士の方がよくご存じのはずですが⦆


⦅……ああ必要だよ。確かに必要だ。じゃあ早速話し合おうじゃないか。いったいこれはどういうわけだい?⦆


⦅ご覧の通りです。以後、お二人には我々の――いえ、自分の指揮に従っていただきます⦆


「あたしらの話を理解できた……ってわけでもなさそうだね。手際が良すぎる」


 最後の台詞だけ俺たちの言葉で呟くと、キリコさんは小さくひとつ溜息をいた。それから忌々しそうに髪を掻きむしり、吐き捨てるように言った。


⦅それで、あんたらの目的は?⦆


⦅貴女と同じです、博士⦆


⦅同じ?⦆


⦅博士の提言された緊急の処置、ジャックのDaughter of Jack娘を捕らえることであります⦆


⦅だったら何だってこんな真似するんだい⦆


⦅危険を避けるためです⦆


⦅危険?⦆


⦅はい。この『試験場』に突如現れた脅威、我々の同胞を死に至らしめた『魔弾の射手』を避けるためです。あるいはと言い換えた方がよろしいでしょうか?⦆


 隣でキリコさんが息をのむのがわかった。水際だった演技もここまで、といったところだろうか。


 ……それもそのはずだった。話の内容を整理すれば、完全に裏をかかれたということになる。となれば、この先の展開もある程度読める。伏兵を潜ませ、銃を突きつけてまで軍曹が俺たちに求める厄介な任務とは――


の相手は、やはりにお任せしたいのです⦆


⦅……何か勘違いをしていないかい? あんたの判断じゃ――⦆


⦅自分の判断ではありません。評議会の判断です⦆


⦅……⦆


⦅それが評議会の判断であります、博士。自分はその判断に基づき、職務を遂行するだけです⦆


⦅……ただの犬じゃなかったようだね⦆


⦅ご自由に。ただ、犬は主人の命令に忠実に従うものです⦆


「……これはマリオを甘く見過ぎた」


 絞り出すようにそれだけ言うと、キリコさんは黙った。軍曹は動かない、俺たちに向けられた銃口も動かない。


 それだけ確認したあと、俺の口は自然と動いていた。


「で、俺はどうすればいいんですか?」


「……ハイジは黙っといで」


「と言うか、しかないでしょ。この際」


「ハイジ!」


 責めるように短く俺の名を呼び、キリコさんはこちらに向き直った。不安と焦燥に歪むその顔を、俺はじっと見つめ返した。


 明らかに切羽詰まっている彼女を前に、俺はまったく動じていなかった。混乱もなければ恐怖もない――自分でも不思議なほど落ち着いた頭で考えて、言った。


「連中の目的がDJを捕まえること、ってのに間違いはないんですか?」


「……どういうことだい?」


「何か他に目的があるとか」


「……さあね。ただ、マリオたちにとってDJって奴が邪魔であることに間違いはないよ。それこそ、どんな手使ってでも排除したいくらいに」


「裏をかいて、を殺すことが目的ってことはありませんか?」


「あんたをかい?」


「もう一人の」


「ああ……それはまあないだろ」


「そうですか?」


「それが目的ならこんな真似してまでハイジにその役を押しつけようとはしないさ」


「まあそうですね」


「……裏をかかれたことに違いはないけどさ。あたしのやろうとしてたことをまんまと逆にやられちまったわけだ」


「だったら――」


「ん?」


「――だったら軍曹の言う通りにして問題ないんじゃないですか?」


 俺の言葉にキリコさんは意表をつかれたような顔で口を閉ざした。


 ――落ち着いた頭で冷静に考えた、それが俺の結論だった。


 エツミ軍曹が押し通そうとしている作戦は、実のところそれほど悪いものではない。……と言うより、むしろ極めて現実的で成功の可能性が高いものに思える。DJを捕らえることともう一人の俺を殺さないこと――そのふたつを成し遂げることが今夜の至上命題であることを考えれば。


 まず、DJを捕らえることについて。その任務は俺が一人であたるより、この人数で対処してもらった方がいい。そればかりはもう目に見えている。


 俺よりはずっと地理に詳しいはずだし、どうやら一部隊として軍曹の指揮下にある彼らであれば組織的な行動が可能だろう。ひきかえ、俺一人では後ろに回りこむことはおろか、この夜の廃墟にあいつの姿を見つけることさえ覚束ないのだ。


 次に、もう一人の俺を殺さないことについて。これは俺自身があたれば何の問題もない。任務の内容にしてみても俺だけでDJを捕らえることに比べればずっと楽な仕事であるし、少なくとも無理ではない。


 それにキリコさんの仮説通りもう一人の俺がここにだとするなら、その戦闘力は俺とさして変わらないということになる。走る速さも同じなら思考パターンもある程度読める。


 ただひとつだけ問題があるとすれば彼と対峙することで俺が撃ち殺されるかも知れない――それだけなのだ。


「……分の悪い賭けになるよ」


「賭けを始めたのは俺じゃありません」


「だったら尚更――」


「こんなところでどうするんですか」


「……」


「言ってましたよね。『賽は投げられた』って」


「……」


「だったら、川を渡るしかないでしょう。俺の言ってること間違ってますか?」


 キリコさんからの返事はなかった。勢いに任せて口に出した言葉は、けれども掛け値のない本心だった。


 今夜の作戦に懸けるキリコさんの思いを、俺はよく知っている。それが決して避けては通れない試練と言うべきものであることも。文字通りこの『試験場』の運命を左右する、敗北の許されない伸るか反るかの大博打であることも。


 頭のネジが飛んだのだろうか、恐怖はまったくなかった。今まさに銃口を向けられていることにも、これからのことにも。


 それどころか、場違いにもを覚える自分がいた。何のための高揚であるかも、何に対しての高揚であるかもわからないまま、その高揚に衝き動かされるままエツミ軍曹に向き直り、言い放った。


「で、あんたは俺に何をやらせたいんだって?」


「ハイジ!」


 息だけで叫ぶキリコさんの声を無視して軍曹の返答を待った。


 言葉が通じないことはわかっていた。だが、これで伝わるはずだった。俺たちのやりとりを眺めていればどっちの方向に話が進んでいるのか、そんなのは誰にだってわかる。


 エツミ軍曹はしばらく値踏みするように俺を見つめていたが、やがてその美しい面ざしにゆっくりと唇を動かして言った。


【Can you speak Eng英語は話せるのか?lish ?】


「え? ああ……」【So-soそこそこ。


【Good eno充分だ。ugh. Then, Let's speak by Englでは、ここからは英語で願いたい。ish. Are you all righよろしいだろうか?t ?】


【All rightオーライ。. But speak slowly, pleただ、ゆっくり喋ってほしい。ase. I'm not so 英語はそんなに good at Eng得意でもないから。lish.】


【I understa了解した。nd.】⦅ではキリコ博士――⦆


 そこでエツミ軍曹はキリコさんに向き直り、俺には理解できない言葉で確認を求めた。


⦅規則に反することになりますが、緊急時ですのでの使用にご理解下さいますよう。その他に関しましては、お聞きの通りです⦆


 そう言ってエツミ軍曹が片手を挙げると、俺たちに向けられていた銃が一斉に下げられた。


 ……もっとも、形勢が逆転したのではないということはわかっていた。今、俺と軍曹の間に交わされた合意の結果として、とりあえず銃口を向けるのをやめたというだけのことだ。


 軍曹の問いかけに、キリコさんは答えなかった。ただ取り巻きの目に気づかれないようにそっと俺の手に触れ、それから痛いほどの力で親指以外の四本の指を握りしめて、言った。


「死なないでおくれ」


「……」


「死なないであたしの所に帰ってきておくれ、ハイジ――」

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