317 テンペスト(10)

 意外にもあっさりそう問い返され、俺は逆に詰まることになった。


 口に出した言葉通り、隊長に聞きたいことは山ほどあるはずだった。だが、いざ問われてみるとそれがひとつも出てこない。……だからといってみすみすこの機会を逃すわけにはいかなかった。この場所で隊長と会えるのはもうこれが最後かも知れないのだ。


「……ここは、何なんだ?」


 必死に頭を振り絞って出てきたのは、自分でも呆れるほど素直な一言だった。だが口に出してみて、それが今、自分が聞きたいことのすべてであることに気づいた。


 そう……それこそ俺が聞きたいことのすべてだった。そんな思いをもってもう一度、俺はその質問を繰り返した。


「答えてくれ。いったい何なんだここは?」


「答えるまでもないだろう、その質問には」


「……え?」


「その質問には答えるまでもない。ここは場所だ」


「……答えになってない。俺にはここがどこかまるでわからない」


「ならばそういうことだ。それが質問の答えだ」


「……どういう意味だ?」


「言葉通りの意味だ。君は君自身、場所にいるのだ」


「……」


 確信に充ちた隊長の返答に、思わず絶句した。言葉遊びをしているのではない、そう言い返そうとして――言い返すことができなかった。


 無意味な同語反復トートロジーとも思える隊長の言葉。ただ一方で、その言葉に嘘はなかった。俺は俺自身、どこかまるでわからない場所にいる――確かにその通りだ、そのことに間違いはない。


 けれども俺が聞きたかったのはそんなことではない。頭の中にもう一度問い直す言葉を探して、だがそれが見つかるより隊長の質問がかかるのが先だった。


「では、次はこちらが質問する番だな」


「……待ってくれ。俺はまだ何も――」


「どうかね、感想は?」


「――!」


 予想もしなかったその質問に心臓が跳ね上がるのを感じた。それと同時に、つい今しがた自分が目にしたもの――血まみれの襤褸の下に覗いた自分自身の死に顔がありありと脳裏に蘇った。


 ここまで思い出さないできたもの……あるいはこのまま思い出すことなく記憶の底にしまいこんでいたかも知れないものを、その一言で強引に呼び戻された。


 そして、俺はそれが紛れもない事実であったことを初めて思った。そう……夢でも幻でもない、あれは確かにこの世界において現実に俺の身に起こった揺るがしようのない事実なのだ。


「ふむ、これは少し難しい質問になってしまったかな?」


「……」


「返事がこないようなら質問を替えよう。怪我の具合はどうだろう?」


「……怪我?」


「その左肩の怪我だ。見たところあまり軽いきずでもないようだが、手当をしないでも大丈夫なのだろうか?」


 その言葉に、今度はずきりと左肩が痛むのを感じた。


 いや……痛みは最初からあった。ただ目まぐるしい展開に忘れていたその痛みを、その隊長の一言で思い出した。


 そうして俺は、その二つを思い出した。


 この手で撃ち殺した自分自身の死に顔と、銃弾を受けた左肩の痛み。続けざまの質問でその二つをいちどきに思い出して――なぜだろう、俺はそこでになった。


 何の関係もないその二つの事実を、けれども決して両立してはならないもののように感じて、それで俺はまた何もわからなくなった。ちょうどここへきたばかりのときのように……いや、そのときよりもよほど深刻に。


 俺は何もわからなくなった……本当に、何もわからなくなってしまった。


「……いったい何しにきたんだよ、隊長」


「ん?」


「……これで振り出しに戻ったよ。また何もわからなくなった」


「本当にそうかな?」


「え……?」


「君にはもうわかっている。君がわからないと言っているそれについて、何もかも。そうではないかな?」


「……」


 またしても予想外の言葉に、再び俺は絶句した。ただ今回に限っては、その隊長の言葉を否定する気持ちはわいてこなかった。


 ……その通りだと思った。俺がわからないと言っているそれについて俺は、本当は何もかもわかっている。


 具体的に何がわかっているかといわれれば答えられない。だがたぶん、俺はそれについてちゃんとわかっている。


 わかっているからこそ、俺は身動きがとれないでいる。隊長の言葉によって思い出させられた二つの事実の板挟みになって、今、こうしてまともに息をつくこともできないでいる……。


「それを君にわかってもらいたくて今夜の小細工を弄したのだが、どうやら君にはその必要もなかったようだ」


「……」


「結果としてが迷惑をかけた形になってしまった。それについては重ねて謝ろう」


 遠くから低い地鳴りのような音が近づいてくる。それが車のエンジン音であることはしばらくもしないうちにわかった。その車がここに到着したとき、この降って湧いたような隊長との邂逅かいこうが終わりを告げることも。


 そう思っている間にも地鳴りは急速にその大きさを増してゆく。……まだ終われない、こんな中途半端なところで話を切りあげるわけにはいかない。


「……あんたが何を考えてるのかまるでわからないよ、俺には」


「私には君が何を考えているのかすべてわかる。君がこの舞台においてもう私という人間を必要としていないことも」


「……!」


 隊長の口から初めて出た『舞台』という言葉に、俯きかけていた頭を跳ねあげた。それとともに幾つもの質問――ぜひともここで聞いておかなければならない具体的な質問が次々と頭に思い浮かんできた。


 眩しいヘッドライトの明かりがビルの陰を曲がり、砂煙を巻きあげながらこちらに滑りこんできたのはそのときだった。


 突然の射光に思わず手をかざす――その手の裏で、隊長の足は早くもそのジープに向かっていた。


「では、また会おう」


「……待て」


「君はもう私を必要としていない。だが、おそらく私と君はこの舞台においてもう一度会うことになるだろう。この話の続きはそのときにしよう。今夜は楽しかった」


「待てよ!」


 俺の叫びを無視して、隊長がピカレスク映画の主人公よろしく颯爽とジープに飛び乗るのが見える。運転席でハンドルを握るのは三人目のクララ。残る二人のクララは既に後部座席に納まっている。


 別れの合図のつもりか短いクラクションが二度鳴らされ、その直後、耳障りなタイヤの音を立ててジープは後退し、その方向を反転させる。


「待てよ! 隊長!」


 絶叫は加速するジープのエンジン音に掻き消された。一発、二発と銃声が耳に届く。それが自分の手にしたリボルバーから発せられたものであることに気づいたのは、ジープが角を曲がりもうその姿が見えなくなったあとだった。


 遠い地鳴りのようなエンジン音はしばらく尾を引いた。その音が完全に消えてなくなってしまってから俺たち――俺とアイネはどちらからともなく、その場を後にするためにとぼとぼと歩き出した。


 ――影絵に似たビルの谷の向こう、まだ充分に深い藍色の空のすそには、暁の薄明が広がり始めていた。だが、この廃墟の懐まではその光は届かない。色も音も死に絶えた薄暗がりの道。その道を一言もないまま、重苦しい足取りで俺たちは歩いた。


 もう襲撃のおそれがないことはアイネの様子でわかった。それでも俺にとってそれは楽な道のりではなかった。左肩の銃創は一歩足をつくたびに軋みをあげ、時を追うごとにその痛みを増してゆくようだ。


 額から伝い落ちてくる冷たい汗……まだ肌寒い大気の中にそのわけを考えれば、隊長の言葉通りその創が決して軽くないものであることはわかる。


 そんな俺を気遣ってか――あるいは自分でも疲れ切っているためか、前を行くアイネはいつもよりだいぶゆっくりと歩いている。苦痛を押し隠して、その背中に引きずられるように俺はつき従って歩く。


 のろのろした無言の行軍は二人きりの葬列を思わせた。誰のための葬列なのか――そんなことをぼんやりと考えはじめたとき、前を行く背中が不意にその足を止めた。


「……呼んでる」


「え?」


「ハイジのこと呼んでる」


 そう言ってアイネは道脇の路地を指差した。それから頭をめぐらせてこちらを振り返る。


 黎明の薄明かりの中にその表情はよく見えない。何を言われているのかいまいちわからなかったが、促されるまま俺はその指差された路地へ向かうことにした。


「お……来た来た」


 少し近づいたところでアイネの言葉の意味がわかった。か細い声の主は路地の外、ひび割れたコンクリートの壁にもたれ、両脚を地面に投げ出し俯いていた。


「……待ちくたびれて……死ぬとこだったぜ……まったくよ」


 ノーマだった。軽口を叩く声には明らかに力がない。あちこち擦り切れてぼろ雑巾のようになったジャケットには幾つもの黒い染みが広がっている。


 そんなノーマを前に、俺は激しい既視感を覚えた。そう……これと同じ光景を俺はどこかで見ている。


「相棒とはぐれてよ……捜してたら……しくじっちまった」


「……」


「さっき……『鉄騎』が……ここ走ってったぜ……ったのか……?」


「……ああ」


「へへ……さすがだな……『死神』とって……生きてるなんてよ」


「……」


「それで……どうだ?」


「え?」


「アンタの目で見て……オレはまだ……助かりそうか?」


 天気のことを尋ねるような調子でノーマは言った。一瞬、返答に詰まった。だが後ろに立つアイネを振り返ることなく、俺はその答えを返した。


「助からない」


「そうか……なら……これでいいんだな?」


「え?」


「これでオレも……ハイジの言ってた……正しい死に方ってのが……できるわけだ」


「……」


「そんじゃ……頼む」


「……」


「頼むわ……ハイジ」


 ノーマはそう言ってゆっくりと目を閉じた。


 ――ずきり、と肩の傷が痛んだ。その痛みに導かれるように、世界が自分に向かって外側から押し寄せてくるような感覚が来た。


 圧倒的なその感覚に、声をあげてこの場から逃げ出したい衝動に駆られた。……中途半端な衝動ではなかった。後ろに立つ影がなければ、抗いようもなく俺はその衝動に身を任せていたかも知れない。


 何をしろと言われたのかは理解できた。今この場面で、自分がある種の必然としてそれをすべきであることも。


 ただ、それをすれば俺は本当に……それがわかった。


 その先に何があるのかわからない。そもそも今さら後戻りなどできないのかも知れない。けれどもこれからする行為によって、俺は確実に後戻りできなくなる。根拠のない確信をもって、だがはっきりとそれがわかった。


 それでも俺はジーンズのポケットからリボルバーを抜き、その銃口をノーマに向けた。黎明の空を背にする西向きの壁に、ノーマはもう身動きをしなかった。


「ノーマ」


 既に事切れているのかも知れない、そう思って名前を呼んだ。


 返事はなかった。だがわずかに表情が動くのが見えた。まだ息があることはそれでわかった。自分がこの場面を避けて通れないことも――そうしておそらく、避けて通ってはならないことも。


「じゃあ、またな」


 俺の短い訣別に、ノーマは口元にうっすらと笑みを浮かべた。迷いはそれで消えた。胸の中央に照準を合わせ、トリガーに指をかけた。


 もう後戻りはしない。俺はこの世界に立ち続ける限り、演じ始めたばかりのこの演技を最後まで貫き通す――


 銃声。


 ノーマは一度大きく背をのけぞらせたあと、壁に背を擦るようにゆっくりと横に倒れた。そして新しい血をこぼれさせる口元に微笑みを浮かべたまま、それきり動かなくなった。


 それを確認して、俺は後ろに向き直った。アイネは感情の読みとれない目でしばらく俺を見つめたあと、何も言わず踵を返した。


 歩き去ろうとするその背中に従う――その前に俺はもう一度後ろを振り返った。


 横様よこざまに倒れた塑像のような骸に、薄ぼんやりとした朝日は、まだ届かなかった。

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