206 最後まで演じきるということ(8)
⦅ぶっちゃけ、あんたはあたしたちの言葉がわかるのかい?⦆
⦅……と申しますと⦆
⦅理解できるのか、ってことだよ。さっきあたしたちが話してた言葉を⦆
⦅ご存じのとおりです、博士⦆
⦅あたしはどっちか聞いてんだけどねえ。理解できるのかできないのか⦆
⦅まったく理解できません⦆
⦅聞く方も喋る方もかい?⦆
⦅両方であります⦆
⦅なら、あたしら三人の会話はこの言葉でいこうか。ハイジが発言するときはあたしが同時通訳するってことでさ。それでいいかい?⦆
⦅了解致しました、博士⦆
⦅さあて、そういうことならまず最初にどうしても確認しておかないといけないことがあるよ⦆
そう言ってキリコさんは大きく伸びをし、両手を頭の裏に組んでふうとひとつ息を吐いた。そうしていかにもリラックスしたような、気の抜けた眼差しを軍曹に向けた。
その眼差しに軍曹は表情を変えなかったが、俺の方では思わず内心に身構えた。キリコさんがあえてそういうポーズをとるときは決まって話が深刻になるときなのだ。
⦅あたしらの計画をあんたがどこまで把握してるか、正直なところを聞かせておくれ。それがないと始まらないよ⦆
果たしてキリコさんがその質問を口にすると、闇の中にも軍曹の顔つきがはっきりと険しいものに変わるのが見えた。
だがキリコさんの言うとおり、それは確かにどうしても聞き出しておかなければならないことだった。おそらくどちらも、それについて敢えて手の内を晒したくはない。けれどもそのあたりについての共通認識なしに、これから協力してやっていくことなどとてもできはしないだろう。
⦅彼らを引き連れてここから去る。そういった計画であるものと理解しております⦆
⦅そいつら引き連れてどこ行こうとしてたか知ってるかい?⦆
⦅……存じておりません⦆
⦅ふん、じゃあ質問を変えようか。いったいどうやってあたしらの計画を嗅ぎつけたんだい?⦆
⦅自分ではありません。
⦅……ああ、あいつがいたっけ⦆
⦅キリコ博士が彼らを引き連れて脱走しようとしている。当面は泳がせつつそれを阻止せよ、とそのような指示を
⦅なるほど⦆
そこでキリコさんはいったん区切り、面白くなさそうにぼりぼりと頭の裏を掻いた。それからまた軍曹に向き直って、さっきより幾分かしこまった感じで話し始めた。
⦅正直、あたしらにも行くあてがあったわけじゃないよ。そもそもちゃんと見通しの立った計画でもなし、ここまでずっと綱渡りでやってきたようなもんさ⦆
⦅……⦆
⦅ただここがもう時間の問題だってことがわかって、連中を残しちゃ行けないと思ったのさ。むざむざ
⦅……わかります、
⦅だからどうしても連中をここから連れ出したかった。それだけの話さ。連れ出したあとは、首尾よくどっかに流れ着いたとして、まあ盗賊にでもなるのがオチだと思ってた。そんなわけで本部が引き取ってくれるんなら、それはそれで悪くないって思いがあるのも確かだよ⦆
⦅はい⦆
⦅けどね、本部に着いたら全員処分、ってことなら話は別だ⦆
⦅……⦆
⦅そういう気配を察したらあたしは即座に降りさせてもらう。連中を見殺しにできないってのがあたしの行動原理だ⦆
⦅……はい⦆
⦅連中の身の安全が確保される限りにおいて、あたしはあんたとの間に協力関係を結ぶ。それが破られたとき、すぐさま一方的にその関係を切らせてもらう。申し訳ないがそういうことになるよ。そのへんをひとつ心に留めておいてくれるかい?⦆
⦅はい。了解致しました、
話の内容が内容だけに、わずかに緊張を孕んだ声で軍曹はそう答えた。
二人のやりとりを聞きながら、俺は内心に驚きと感動を覚えていた。キリコさんの言葉には一点の嘘もなかった。ごまかしもなければ曖昧にぼかすところもない。ただ、誠意だけがあった。軍曹に差し向けられたその誠意が何を意味するものなのか――そのあたりについては考えるまでもなかった。
だが、そうなると今度はこちらの番だと思った。キリコさんがここまで語ったのだから、軍曹からも当然それに見合うだけの返礼がなければならない。何ともキリコさんらしい駆け引きだった。行き止まりだとばかり思っていたこの廃墟の部屋に、白熱した舞台の興奮が舞い戻ってきた。
そんな気持ちが表情に出ていたのだろう、キリコさんはやおらこちらに目を向けてしばらく俺を見つめたあと、やれやれというような顔をして視線をはずし、俺たちにしか通じない言葉で言った。
「何も返ってきやしないよ」
「え?」
「この女からはもう何も返ってきやしない。さっきので全部だ」
「……」
「あるいは何か隠してるかも知れない。けど、もう何も出てきやしないよ。この女はあたしたちに話せるだけのことをすべて話した。とりあえずそう考えてやろうじゃないか」
「……そうですか」
こちらの頭の中を読んだかのようなキリコさんの言葉だった。その言葉に、口ではそう返したが何となくもやもやした思いが残った。
これから協力してやっていくために、軍曹から聞き出しておかなければならないことが山ほどあるはずだった。にもかかわらず自分の方では手の内を惜しげもなく晒しておいて、それを駆け引きの道具にすることもせず、相手を信じてかかろうというのだから気前が良すぎる気がする。
そんな思いに引きずられて、思わず未練たらしい言葉が俺の口をついて出た。
「それにしても、ずいぶんとまた大盤振る舞いでしたね」
「そう思うかい?」
「思いますよ。ずっと隠してたことまでばらしちゃって」
「あたしたちができてるってことをかい?」
「そっちじゃなくて。……というか、嘘言わないでください」
「この女は充分に語ってくれたよ。そのことに間違いはないさ」
「……」
「マリオについて話してくれた内容を思えばおつりが来る。さっきのはこの女の正当な取り分だよ。そういうふうに考えてみちゃくれないかい?」
少し申し訳なさそうな顔をこちらに向けてそう言うキリコさんに、俺としては「わかりました」と応えるしかなかった。
……正直、まだ釈然としない思いはあったが、キリコさんがそう言うのならばそれが正しいのだろう。それに、口ではもっともらしいことを言いながら何か考えがあってのことなのかも知れない。どのみち俺としてはようやくはまってきた《兵隊》として、再び回り出したこの舞台に最後まで胸を張って立ち続けるだけだ。
⦅一点、宜しいでしょうか⦆
唐突に切り込んできた軍曹に、俺とキリコさんは揃って顔を向けた。
俺たちが喋っている間ずっと待ちぼうけを食わされていた軍曹の口調に恨みがましいものはなかったが、話を切り出したその一言からは一種の決意のようなものが感じられた。
やはり自分に理解できない言語で会話しているところへ割って入るのは何かとやりづらいものがあるのだろう。……思い起こせば身に覚えがある話だけに、この何とも複雑な状況に追い込まれた軍曹に対してかすかな同情を覚えた。
⦅何だったい?⦆
⦅
⦅まあ、そういうことになるかねえ⦆
⦅僭越ながら、立派なお考えであるものと感服致しました⦆
⦅……そりゃどうも⦆
⦅ですが自分は、自分の任務を優先することしかできません。仮に我々の目指すところが相反するものとなりました場合、自分が任務の遂行を第一に考え、我々の間に不幸な結果がもたらされる可能性を、どうかご考慮頂きたい⦆
⦅わかってるさ、そのへんは。お互い背中には気をつける、ってことでいいだろ⦆
何を今さらと言うように鼻で笑いながらそう返すキリコさんに、軍曹はにこりともせず更に言葉を続けた。
⦅では、さしあたってご指示を⦆
⦅は?⦆
⦅相互の立場に理解は得られました。その上で、自分は
⦅いや……まあそう慌てなくてもいいんじゃないのかい?⦆
⦅恐れながら、種々の事情を勘案致しますと、
⦅……そりゃま、そうなんだけどさ⦆
⦅一度は捕縛したジ
⦅……んなこたわかってるよ。そんときゃそんときだ⦆
⦅何より《プロトタイプ》の発動により事態が一刻を争うものとなったことをお考え下さい。自分はすぐにでも動けます。
⦅……指示か。指示ねえ⦆
妙に熱のこもった軍曹の要求から逃れるように視線を窓の外に移して、気のない調子でキリコさんは独り
⦅そんならまあ、視察といこうかね⦆
⦅視察……と申しますと⦆
⦅現場に足運んで実情を確認することだよ。授業で習わなかったかい?⦆
⦅は。ではその現場について詳しくご指示を⦆
「……ったく、冗談の通じないやつはこれだから」
⦅何か?⦆
⦅何にも。現場ってのはこの子だよ。もう一人のこの子がいるところさ⦆
そう言ってキリコさんはこちらに顔を向けないまま、後ろ手に親指で俺を指さして見せた。その仕草に応えるように軍曹はまじまじと俺を見つめ、それからまたキリコさんに向き直って言った。
⦅視察の趣旨は理解致しました。ですがその場合、自分が同行することに問題はないのでしょうか⦆
⦅大いに問題があるんじゃないかい?⦆
⦅……では、どのようにすれば宜しいでしょうか⦆
⦅あんたはここで留守番してておくれ。あたしとハイジで行ってくるよ⦆
⦅……自分が《蟻》になりましても⦆
⦅だったらハイジはどうするんだい? あんたの代わりにここでお留守番かい?⦆
⦅……かしこまりました。では、お待ちしております⦆
⦅そうかい。ならあたしたちは行くとしようか。電話がかかってきたら用件を聞いといとくれ。大事な電話がくるかも知れないからねえ。留守番とはいえ重要な任務だ⦆
⦅……おそれながら、自分はトリニティからの電話に出ることは――⦆
⦅何か問題あるのかい?⦆
⦅……いえ、かしこまりました。では、行ってらっしゃいませ⦆
釈然としない気持ちを無理に押し殺すような軍曹の挨拶に、立ち上がりかけた姿勢のままキリコさんはぷっと吹き出した。それから決壊したようにあたり構わず笑いこける彼女と、あっけにとられたような表情で見守る軍曹。
……この構図は、ちょうど俺とキリコさんの間で何度も繰り返されてきたものだった。もちろん、俺にはキリコさんが笑う理由がわかった。自分が当事者だったときは見当もつかなかったが、こうして見れば案外単純な構図だったのかも知れない――ふとそんなことを思った。
⦅悪いね、笑っちまって⦆
やがて笑い終えたキリコさんは指の背で涙を拭いながら、さすがに憮然としている軍曹にそう声をかけた。軍曹からの返事はなかった。ただ闇の中からじっとキリコさんの方を見つめている。そんな軍曹にキリコさんは少し興が削がれた様子で小さく鼻を鳴らした。
⦅冗談だよ。組んでそうそうあんたをはぶにするようなこたしないさ⦆
⦅……⦆
⦅というか、あたしと組んでやってこうってんならもう少し頭やわらかくしてもらわないとねえ。さっきみたいのにいちいち真面目に応えてたんじゃ身がもたないよ。そうだろ、ハイジ?⦆
そう言ってこちらに顔を向けてくるキリコさんに、呆れるような気持ちで俺は「確かに」と相づちを打った。
にやりと短い笑みを残して
⦅あんたの気持ちはありがたいよ。けど、今は動くべきときじゃないんだ⦆
⦅……⦆
⦅あたしにももどかしい思いはある。いてもたってもいられない気持ちだってね。あんたの言ったとおり、あいつのこともある。逃げたあいつが戻ってきちまったらその時点で計画はおじゃんだ⦆
⦅……⦆
⦅ただ、それについちゃ急いだって同じことさ。あいつが連中の所に戻ってくりゃ、もう一人のこの子がどんなに頑張っていようが元の木阿弥だ。そのへんはもう祈るしかないよ。あいつが戻ってこないことをせいぜい祈るしかない⦆
⦅……⦆
⦅当面はあっちを信じて待つしかない。今はそういうときなんだよ⦆
⦅……⦆
⦅あんまり悠長にもしていられないが、急いで駄目にしちまったら元も子もない。ここまで必死こいて撒いてきた種がようやく芽出かけてるところなんだ。大事に育てたいって気持ちに嘘はないよ。わかってくれるかい?⦆
⦅……はい、了解致しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます